リベラルだ左翼だと取り上げることが増えましたが、イデオロギー対立を煽っているのでも求めているものでもありません。彼らは巧妙にメディアを支配しており、指摘していくと取り上げる回数が増えてしまうのです。ユダヤ陰謀論のような話しと言うより、類は友を呼ぶ、先輩が後輩を呼ぶ、仲間を集めてサロンを気取るという程度のものですが、テレビや新聞、雑誌のすべてにリベラルが蔓延っています。
同調する意見、従うものを「論客」として紹介し、反対する意見を封殺します。これが永らく続いてきました。ただし、「歴史の揺り戻し」をネットメディアの勃興が助けたことにより、彼らの既得権益も万全では無くなりつつあります。
しかし、それでも大豆に絡みつく納豆菌の如く、メディアとその周辺に絡みついており、それが「生活の糧」となっていることからも、なりふり構わぬその主張を面白がっていることを否定はしません。IT業界を勝手に代表していた連中とも重なることも理由の1つです。ちなみに私は納豆が嫌いです。
彼らリベラルの特徴は、高慢ちきな「選民意識」にあります。日本のリベラルの母胎は日教組といっても過言ではなく、彼らのゆりかごはマルクス・レーニン主義を信奉する「共産主義」です。
そしてリベラルや左翼をわざわざ「定義」するのは、いまの「若者」を仮に20才から30才までと設定すると、ベルリンの壁が壊された平成元年にはアラサーは4才前後で、二十歳にいたってはソ連が崩壊した平成3年でさえも生まれてはいません。イデオロギー対立を知らない世代といっても過言ではありません。
もちろん、当時を生きていたことと、知識の有無はイコールではなく、それは「原発事故」が浮き彫りにしました。
橋下徹、津田大介、山本太郎など、脱原発を掲げるものが口々に言う
「知らなかった」
に象徴されます。多少の前後はあっても、彼らと私はほぼ同世代です。ところが東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故が起こるまで、原子力発電と、関連する問題や課題を
「知らなかった」
と宣います。度々指摘していますが、教科書では「第五福竜丸」の事件を習い、スリーマイル島にチェリノブイリがありました。私より年長の橋下徹大阪市長なら、「オイルショック」も記憶できる年齢の時に起こったことです。オイルショックは原発依存が深まった理由の1つです。
湾岸戦争における原油高騰時も原子力発電に注目が集まり、空母「エンタープライズ」の入港を巡る騒動もあれば、なにより、子どもの頃は、被爆経験者が多く存命で、各所で経験を語っていました。
いわゆる「核のゴミ」の半減期は1万年レベルというのは、20世紀から変わらない事実です。
これは余談・・・というより、ある種の真理になりますが、
「無知なものほど大騒ぎする」
のです。
思想的背景でも同じです。イデオロギー対立が明らかだった頃、日本の左翼の主張はある種の明快さをもっていました。ところがソヴィエトの崩壊により、彼らは地下に潜るというか、それまでの主張を軌道修正しながら延命を図ります。
そのひとつが「反日」であり「売国」です。
「リベラル」を炙り出す理由のひとつはここにあります。
国益を損ねることを格好が良いと錯覚しているのが、日本型リベラルです。
だからと彼らに「国外に出ていけ」とか、ましてや「死ね」などとはいいません。反日ですら、売国だとしても、その言動を止める術を持たないということは、相応の「表現の自由」が、日本では担保されているという証明だからです。
物書きの端くれとして、これほど安心でき、誇れることはありません。
語弊を怖れずにいうなら「共産主義」とは、人間ひとり一人の自立・自律を前提としています。これまた大雑把ですが、誰もが集団のために惜しみなく尽くすことで成立し、ナマケモノや惰眠を貪る「同士」がいては成立しません。
日教組の教員が目を輝かして力説・・・いや、折伏を目指したように「理想」の社会がそこにはあります。老いも若きも、男女差も、生まれ落ちた環境もなく生活と安全が保証され、持ちうる能力に応じて集団に奉仕する社会です。
21世紀に生きる我々の大半は、この共産主義の理想が理想に過ぎなかったことを知っています。本家のソヴィエトは崩壊し、今なお名だけを残す中国共産党は、集団指導による独裁で、党幹部による利益の独占がなされ、理想ともっとも遠いところにあります。
人間社会の現実を知るものは、あるいは「本能」に正直なものからみれば「共産主義」など実現できるわけがありません。人間は愚かで、人はサボりたがります、他人より美味しい思いをしたいと願う傲慢さを持っていることを知っています。
しかし、リベラルは違います。
彼らは自らを「絶対正義」の側におきます。
それを支えるのは「選民意識」からくる「差別思想」です。
彼らの多くが、その素性から見るに優等生かよい子として学生生活を過ごしたのでしょう。憶測に推論を重ねますが、文芸部や新聞部、あるいは生徒会で書記かなにかをして過ごしたではないでしょうか。帰宅部の可能性も否定しきれません。
少なくとも「不良」と対峙してメンチを切り、握り拳における物理的コミュニケーションをした空気は感じません。
こうした文化系の特徴は、自分の頭の中という、完結された世界で構成された論理で理論武装することです。そして妄想のなかの彼女が理想的すぎるのと同じぐらい、自己評価が高くなります。
それが選民意識を生み出します。「選ばれた民」がいれば、「選ばれなかった民」がいるわけで、選民意識は差別思想そのものです。
私は差別を是とはしませんが、差別という発想を持ち、それを表明するのも表現の自由と以下同文です。
例えば津田大介氏は、御尊父が社会党の関係者とご高書でカミングアウトされており、生粋のリベラルなのでしょうが
買った本を追加コスト払ってまでデジタル化して真剣に読もうとしてる人を敵に回してどうするつもりなのかね。音楽業界より出版業界はインテリで賢いと思ってたんだけど。 / 「全部自分でスキャンしろってこと?」 …
http://t.co/Pl4OjZODZS #NewsPicks
— 津田大介 (@tsuda) 2014, 10月 24
と、これは紙の書籍をデジタルデータに変換する、いわゆる「自炊代行業者」に敗訴判決がでたことへのツイートです。
裏返せばこうなります。
“音楽業界は無教養でバカ”
音楽と出版の比較論としても、どちらの業界から見ても迷惑な話です。津田大介のインテリとバカの定義はわかりませんが、バカな出版関係者は多くいるとの指摘に、喝采を挙げる出版関係者は少なくないでしょうし、その反対もしかりです。
たしか津田大介はコピーコントロールCDに反対した過去がアリ、それをもって音楽業界を「バカ」と定義しているのかもしれませんが、己の主義主張と異なるからと、業界全体を「バカ」呼ばわりとは、朝鮮人全体を一括りにして罵る「在特会」と同じです。
背景に「選民意識」があることは疑いようがありません。繰り返しになりますが、この津田氏の
「音楽業界も印刷業界もバカ」
発言を私は否定も肯定もしません。
橋下徹大阪市長が在特会に対して指摘したように、民族を一括りにして否定する発言を「ヘイトスピーチ」と定義するなら、業界を十把一絡げに語るこれは「ヘイトスピーチ」になることでしょう。
しかし、それが業界差別であっても、ヘイトスピーチであっても、それが見逃されている「表現の自由」を肯定するだけです。
リベラルがずるいところは、こうした自分たちの陣営の発言は否定どころか、むしろ肯定的に評価するのに、別の立場から、同様の表現をしたとき、徹底的に攻撃する一貫性のなさにあるのですが、そのブレは「選民意識」で説明できます。
選ばれた自分たちは常に正しく、それ以外への差別は当然という発想ということです。吸った息を吐き出すぐらい自然に差別しているので、意識することなどありません。
そんなリベラル陣営の「本丸」が、ご存知「朝日新聞」です。ここなど「選民意識」丸出しで、謝らないのがその証拠でした。
結局、「吉田調書」の捏造級の誤報については謝罪しましたが、強制連行の論拠となり、性奴隷の発火点となった「吉田証言」について、記事は取り消しましたが、記事がもたらした国益の損失についての謝罪はありません。
選ばれし民に、間違いなどあってはならない。とでも考えているとしたら痛すぎますが、それは「思想信条の自由」がこの国では守ってくれます。
しかし、多少でも読解力があれば、朝日新聞の詭弁の苦しさは認めるしかなく、困っているのが売文稼業の多いリベラル陣営で、また、リベラルの票田というか顧客層もまた、選民意識が強い似たもの同士で、世間一般的にそれを「ナルシスト」と呼ぶわけですが、すると客からの突き上げもあります。
いまはまだ表面化していないのは、自らの選択の過ちを認めることができない同類で、朝日新聞にいまだに読者がいることからも明らかですが、しかし、徐々にながら確実に、リベラルの客が離れていっています。
波音と共に崩れ去る砂の城のような恐怖を感じているのかもしれません。
そのリベラル達が、いま掲げ始めたのが
「慰安婦はなかったという歴史改竄は許さない」
というスローガン。しかし、これは無理筋。極右でもない限り、従軍慰安婦や性奴隷、強制連行は否定しても、慰安婦そのものを否定するものはいないからです。
あるいは「売春婦や娼婦だ」という主張もあります。これは特に戦争体験者や、体験者から直接話を聞いた世代に多い主張ですが、皇軍のために体を張った女性の名誉への配慮から「慰安婦」とオブラートに包んだのが「慰安婦」です。または、皇軍が娼婦を買っていた、では体裁が悪いからかも知れませんが、これは日本人と日本語特有の歪曲表現といってもよいでしょう。どちらにせよ存在は事実です。
つまり、リベラルは、彼らの従前の「従軍慰安婦」なる虚妄を否定された現実の前に、妄想により、発生してもいない「歴史改竄」を捏造しようとしているのです。
そしてこの主張の「ズルイ」ところはこうです。
「そうなってからでは遅い」
という反論を用意しているところにあります。だから彼にはこう反論します。
「そうだね。すでに朝日新聞により歴史改竄がなされたからね」
と。選民意識の恐ろしいところは、自分を疑わないところにあります。だから、自らが支持してきた、朝日による歴史改善という事実はいまだもって認めていません。
リベラルはさらにこんな攻撃も仕掛けてきています。
「売国」「反日」「国益」
です。これらを「おどろおどろしい言葉」として、悪印象をつけることに必死です。
しかし、前2つは、彼らに捧げる称号です。国を売るが如き言動を繰り返し、日本の国益に反するふるまいを指すもので、その「国益」とは、日本人のリベラル以外なら、ロシアでも米国でも、中国でも韓国でも、どの国でも大切に考えるものです。
日本のリベラルが国益に鈍感なのは、共産主義をゆりかごとして育ち、「国家解体」を目論む思想に親しいからです。つまり「地球市民」的な発想が前提にあり、日本国の利益を「エゴ」のように毛嫌いします。
ちなみに「反日」を私はこう定義しています。
“自国を侮蔑されることを不快と感じ、国力の低下を危惧し、他国との友好は手段のひとつながらも、土下座してまでの友情を求めない。この反対を述べて恥じない活動を「反日」”
彼の場合はGoogleのサジェスト機能で「左翼」と紹介されもしますが、荻上チキ氏もそのひとり。
登場人物の大半がトンチキ発言で楽しませてくれる読売新聞「Web空間」においても、先の2つの活動を展開しています。独りよがりの文章はリベラルの特徴のひとつでもありますが、いくつかのトピックをいっしょくたにされ、ツッコミどころがありすぎて面倒なので、先の2点に絞ります。
自民党・国際情報検討委員会の出した決議を
“朝日の訂正により「『強制連行』の事実は否定され、性的虐待も否定された」とされている(読売新聞2014年10月27日)”
と紹介し、「だが」とし
“吉田証言のみが慰安婦制度非難の論拠になっているわけではなく、慰安所での性的虐待があったことまで否定するのは不可能だ(同)”
と悪魔の証明を求めます。
荻上の言う慰安所での性的虐待とは、売春行為における変態プレイを指すというのでしょうか。それとも世間一般的な売春宿において、体調がいまいちで、仕事をしたくない女性に仕事をさせたことを指すのでしょうか。それとも売春そのものを指すのならば、それを性的虐待とするのは論理の飛躍というものです。
吉田証言における「慰安婦狩り」により、つまりは拉致の末に娼婦にされ、報酬も得なければ自由もない「奴隷状態」になっていたという虚報が「慰安婦制度非難の論拠」であれば、その出発点である慰安婦狩りが否定された以上、本論における性的虐待はなくなるわけで、変態プレイの有無を論じているとしたら、それは荻上チキのみの珍説です。
しかも荻上が引用した箇所は
「世界各地で建設の続く慰安婦像の根拠も全く失われた。」
の前段で、さらには
“朝日新聞が発信してきた虚偽の記事が国際的な情報メディアの根拠となり、国際社会が我が国歴史の認識を歪曲し、結果として我が国の評価、国益を著しく毀損した。朝日新聞の謝罪は国民の名誉と国益の回復には程遠いが”
という前段まで落としています。
決議の趣旨は、慰安婦の否定など目指すものではなく、朝日新聞の虚報により失われた国益と、いまなお損なわれている日本の名誉について「情報戦」の重要性を確認するための「決議」で、その一部のみを引用して語る態度はフェアではありませんが、これもまたリベラルの特徴です。
その後も、
“国際社会の「誤解」を”
とわざわざカギ括弧で「誤解」とするなど、印象操作に余念がないのですが、
“気がかりなのは、一部週刊誌などの媒体が、批判の際に「国益」「売国」といった表現を用いていることだ(同)”
と問題提起します。そして
“「報道は<国益>を意識すべし」と主張するかのような論理は、メディアの自縄自縛になるうえ、「売国奴」といったラベリングを加速させるのではないか。(同)”
と、「売国」を「売国奴」とすり替えた上で、ラベリングに加速と想像を膨らませます。荻上チキ氏は売国奴とでも呼ばれているのでしょうか。
しかし、国益を意識するのは自縄自縛ではなく、国家に所属する国民の原則です。荻上チキはやはり売国主義者なのでしょう。
政府の不正を告発し、日本にとって不都合な真実を告発するジャーナリストもみな、彼らなりの「国益」のために告発しているのです。ただし、その国益とやらが、国益を害することもアリ、スパイ説もそれこそ週刊誌で取り沙汰されていますが、エドワード・スノーデン氏による告発はその最たる例です。
国益の解釈は十人十色であるのは、憲法の思想信条の自由が保障してくれますが、「国益」を否定的に捉えるのは、リベラルが好きなグローバルな世界で見ても珍説といえるでしょう。
国家のくびきから離れた「地球市民」などいまだ存在せず、グローバル化とは米国帝国主義のひとつの支配ツールで、英国がEUからの離脱を匂わせるのも、ロシアがウクライナにちょっかいをだしたのは、先に西側諸国が「クーデター」という火遊びをしたことが理由で、それらはすべてそれぞれの国の「国益」のためです。
だからその国の報道機関が「<国益>を意識すべし」なのは当然すぎる話で、何を問題視しているのかと考えたときに、やはり売国主義者=反日としか答えが出ません。
繰り返します。荻上チキが反日であっても売国奴であっても、彼の発言を差し止めることもなく、読売新聞が紙面を割いて報じる自由がある我が国を肯定します。
リベラルに軽薄さを感じずにはいられないのは、同様の主張が量産されるのが滑稽さです。
“TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターとして活躍中”
と紹介される政治学者・東大教授、西崎文子氏。
反日プロパガンダ番組に出演しているだけで、人物像が特定できるというものですが、そこに「東大」という産地が加われば、これ以上の人物紹介はないでしょう。さらに売日新聞と揶揄される毎日新聞のインタビューです。
“今求められる「議論の作法」について”
て2014年10月24日付で語っていますが、まるでその4日前に、文春新書から発売された保守派の論客 櫻井よしこ氏「議論の作法」を当てこするかのようなタイトルです。
記事の冒頭を引用します。
“世の中に極端な物言いが増え、不寛容な空気が漂っている。異なる意見を唱える相手を全否定し「売国奴」「国賊」などの言葉を投げつける。”
売国奴や国賊と、荻上チキと同じキーワードが登場しますが、特定秘密保護法や集団的自衛権においての報道で
「戦争に巻き込まれる」
と極端な物言いを好んで使い、不穏な空気を漂わせた毎日新聞に自省はないのでしょう。
そもそも、バカだクソだと、全人格否定は左翼に特徴的な表現で、異なる意見の全否定は、リベラルも含めて、自らやってきたことだと触れもしません。正義の側にいるので気がつかないのでしょう。自分以外は皆バカで、異なる意見はすべて悪というのが日本型リベラルだからです。
お気づきかも知れませんが、「ネトウヨ」とラベリングを貼るなら、彼らの論理構成も同様であるのは、思考パターンがリベラルだからです。小林よしのり氏もこれに該当します。
記事に目を移します。近藤とはホスト役の「近藤勝重」氏で、
“護憲平和主義の観点からニュースを解説・批評”
とウィキペディアで紹介される毎日新聞の特任編集委員さま。
“
近藤 他者を排除する極端な物言いと不寛容な空気が広まっています。議論には百人百様の意見を前提にした作法があると思うのですが。
西崎 この現象を「右傾化」の一言で済ませてはいけません。さまざまなレベルで起こっていることを一つ一つ丁寧に見ていく必要があります。
一つは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)での、「非国民」「反日」などと相手を全否定する物言いが目立ちます。(以下、略)
特集ワイド:近藤勝重の世相をみる 政治学者・東大教授、西崎文子さん(毎日新聞 2014年10月24日 東京夕刊)より
※Web版は会員登録しないと読めないのでURLを記載しません
”
自説の拡散と、反対の論には不寛容な毎日新聞についてはすでに触れましたが、これすらも「右傾化」とラベリングする西崎の不見識には呆れます。
正しくは「幼稚化」です。「人の話を聞きましょう」という幼稚園児に諭すレベルの話しで、このラベリングとは
「右翼は話を聞かない」
という根拠不明のデマに過ぎません。社会の幼稚化を軸にした議論なら、頷きもしますが、つまりは「反リベラル」への攻撃を西崎文子はしたいだけのことと馬脚が現れます。
様々なレベルと懐の深さを演出しますが、ならば原発再稼働や特定秘密保護法、集団的自衛権、さらには靖国参拝への不寛容さは、右翼より左翼やリベラルに鮮明な特徴です。
先の幼稚化に気づかないことと合わせるなら、状況認識能力に重大な欠損があるのかもしれません。それならば、お可愛そうにとお悔やみを述べることを躊躇しません。
西崎の発言に再び注目します。
“「非国民」「反日」などと相手を全否定する物言い”
なるほど、東大教授の肩書き分だけ荻上チキ氏よりは、ものが分かっているようです。非国民、反日に「全否定」の意味を与えている点です。
日本人でないなら、日本国の国益を損ねたとして、なんら痛痒を感じず、中国や韓国、そして米国からみれば、それは慶事といえます。
その結果、日本人からみた「非国民」「反日」と呼ばれることは、称号にこそなれ、全否定になどなりません。この点、西崎は国益という視点を持っているとみることができます。
もっともこれは「ヘイトスピーチ」の取り締まりを促すための前段なので、本当の意味での「国益」を理解しているかに疑問が残されますが。ヘイトスピーチもまた言論の自由が許された、我が国だからの現象です。
言論の自由を支持する立場に立つのなら、ヘイトスピーチへの法規制や、取り締まりを求めるのはダブルスタンダードです。ヘイトスピーチには徹底的に「言論」で対抗すべきだからです。
橋下徹大阪市長と在特会の桜井誠会長の罵り合いなど、在特会の特徴を全国に紹介する良い機会だったのですが、橋下徹の品性が同レベルだったために、在特会を利したのであって、仮に冷静に議論をすすめていたなら、また違った結果になっていたことでしょう。そしてこれもまた言論の自由が許されているからこそです。
そして、やはりというか、馬脚は現れます。
“
一方、雑誌メディアが「売国奴」などの言葉を使うのは別問題です。朝日新聞に対する「売国奴」などの過激な批判は、部数増、売り上げ増を狙っているのでしょうが、メディアがこういう風潮に加担するというのは、自分で自分の首を絞めているのではないか。
(同)”
荻上チキ氏の主張と合わせて指摘しておきますが、
「週刊誌ってそんなもの」
です。週刊ポストや週刊現代が
「65才からセックス」
を特集するようなものです。それでは週刊現代が
「安倍軍事政権」
と、事実無根の見出しを打ったことを、西崎や荻上は批判したというのでしょうか。俗に言う「週刊誌ネタ」とは、真贋の怪しさだけではなく、煽り気味の情報を指すのです。
日本型リベラルは、自らに不都合な情報が流されると、過剰に反応し、その言論を封殺しようとします。なにかに似ていると気がついたのがカルト宗教です。摘発前のオウム真理教による執拗なメディアへの抗議活動を思い出します。
それは自らを「正義の側」に置くからなのでしょう。しかし、正義を振りかざすものの正義ほど怪しいのです。それは
「悪いようにはしない」
という人は、必ず悪意を持っているのに似ています。
リベラルを攻撃しているのではありません。「指摘」しているのです。そして大切なことなので何度でも繰り返しますが、リベラルでも左翼でも自由に発言が許される、我田引水で、都合の良い部分だけをぬきだし、そこに思いこみを練り込んだ、ストーリーの拡散であっても、それが許される日本国の表現と言論の自由を強く支持します。
荻上チキ氏は先の読売のコラムをこう結びます。
“「決議」等を政府が真に受け、「自爆外交」を展開して「国益を害した」場合には、そうしたオピニオン形成を進めた媒体にも同程度の「責任」が問われるようになるのだろうか。そうならない気がするが。”
と、すべて仮定の上ながら「決議」を否定的に最後に紹介し、「等」と付することで責任を回避するのはリベラルによくある「言い訳を最初から用意していましたよ作文」で、「最後っ屁」で否定的な印象操作を試みるのも同じです。
しかし、これを「自爆」といいます。
「オピニオン形成をすすめた媒体」
の責任を問うのなら、目下のそれは朝日新聞にこそ問われるものです。そして「そうならない気がする」のは、朝日新聞の責任を問わないでください、お願いします。という隠喩とは穿ちすぎでしょうか。
いずれにせよ、いまだ大メディアを中心に、リベラルや左翼の発言が強く、彼らは「若手」の発掘にも余念がなく、荻上チキや津田大介を重宝します。古市憲寿もこのラインにあります。
「右傾化」とリベラルがラベリングを繰り返しますが、むしろ討論番組などで、保守の論客の出番は少なく、若手の意見とラベリングされたリベラルが席を占めている事実も、リベラルは触れはしません。