ネットの常駐している人からみれば、「なにそれ」なネタですが、
街にでかけると立派な0.2が溢れています。それは歴史は繰り返すです。
私が子供頃「テレビ」が犯人とされました。
しかし、一方でテレビにより網羅的な知識吸収ができると主張する
声が最後に拠り所としたのは「これからの時代は」です。
私が思春期を迎えた頃は「テレビゲーム」、いわゆる「ファミコン」。
これには「ドラクエ」などをあげて、創造性や疑似空間における体験と
苦しい弁解を重ねての終着駅は「これからの時代は」でした。
そして<中略>。不惑を迎える今年、「ツイッター」や「iPhone」。
<中略>。そしていまも繰り返される「これからの時代は」。
ツイッターのなかではしゃいでいる著名人、啓蒙家、その他諸々。
過去の「これからの時代は」という主張はすべて過ちで、今唱える
念仏は正しいというという論法は新興宗教のそれです。
■「沖縄なう」に見る0.2の萌芽 – 久米島出張特別編
http://journal.mycom.co.jp/column/itshacho/084/index.html