残念、ただただ残念。永沢光雄さん。

 仕事柄、複数の新聞を購読しています。左でも右でもなく「拝金主義」を貫く、日経新聞の迷走ぶりに苦笑しつつ、読売新聞の巨人軍報道には「不偏不党、公明正大」という言葉を知らないのだろうなと涙を流して同情しています。

朝鮮日報新聞、略して朝日新聞はとったりとらなかったり。「どこの国の新聞やねん」。インチキ関西弁でしかコメントをしたくないほどですが、正反対の意見に耳を傾けることにより、浮かび上がったくるものも多いので時々。まぁ概ね系列のテレビ局で放送されている「やじうま新聞」で充分ではあるのですが。
毎日もみのもんたさんの安っぽい・・・コホン、失礼。分かりやすい正義感で見ればお釣りが来るほどですので。

これはイザ!だからというおべんちゃらではなく、一番「読みで」があるのが産経新聞です。一部100円で月額2950円ですので、

「2月は月刊契約の方が高くなる」

という不思議な新聞です。あと「未履修」を追求するなら産経新聞の入社資格から「大卒程度の学力」を削除しなさい。さもなければ「未履修進学者は除く」と。

誉める前に腐しておきました。

それでは誉めます。

一番気に入ったのは「反対意見を掲載する」姿勢です。
朝鮮・・・もとい朝日新聞も日経も、もちろん毎日も東京も「論」は論として扱い、立ち向かう術は当然「論」でと。

最近の某日経新聞では匿名にしていました。

また、国際事情も比較して包括的に取り上げており、昨今のロシアニュースなどは「見るべき所」の勘所を押さえており役立ちます。
インターネットニュースもテレビも「みんなが見たがるもの」に偏るものですが、報道機関の使命として、「これから」を示唆してくれているのが産経新聞です。

余談ですが、この「示唆」を「気づき」とおかしな日本語に言い換える風潮がありますが大嫌いです。「気づき」を特売して儲けている人がいることに「気づけ」と。

そして黒田さんの韓国ウォッチングは陳腐な言葉で表現するなら「ウィット」に富んでおり、朝鮮半島への深い愛情を感じさせてくれます。

またコラムも多士済々な執筆陣で毎朝楽しみです。なにより執筆陣同士で「大人の喧嘩」をしているのが楽しい。いいんですよ。大人になって喧嘩したって。と、ワクワクしてしまいます。

土曜日の阿久悠さんのコラムは・・・素敵です。流石というか失礼でしょうが、
本当にリズミカルな日本語を感じさせてくれ、中身はもとより物書きの末席の隣の立ち見席にいるものとして「勉強になるなぁ」と。

・・・と、数々の楽しみがある産経新聞ですが、ひとつ、とても残念で悲しい出来事がありました。永沢光雄さんの逝去です。

「生老病死」

楽しみにしておりました。いつか、出会いとチャンスに恵まれれば一度お会いしたいと。

病気と闘うというのは他人には永遠に理解できないことです。だからどんなコメントをしてもそれは当事者にとっては意味を持たないのかも知れません。

病気の側に立ち、外界と自分の内面との距離感に迷走を続けつつも、連載の中で

「永沢光雄の内面」

を覗き見した読者に澱の苦みを感じさせないように、上手にデキャンタージュして味あわせる巧みさ・・・そして何よりも他者への優しさを感じたときに涙とともに、ジワッと温かい「心」を分けて貰った気がしていました。

もう、その温かい心に触れることはできなくなりました。
もちろん、作家として世に残した「子供達」から、その熱のかけらを得ることはできますが・・・今、同じ時代を永沢さんは新宿の空のした、私は足立区と埼玉県の境目で共有できているという片思いの連帯を感じることがないかと思うと。

ただ、ただ残念です。

私の父は46才で他界してしますので、故人に対して「若すぎる」という定冠詞は的はずれ以外の何者でもないことを知っています。それが90でも、38才でも最後の瞬間に「ちょうど良い」ことなんてありません。

しかし、桑原さんに宛てた最後の手紙を読むにつけ、どこか旅立ちにむけた

「もうちょっと、でも・・・もう」

という複雑な心情が見える気がします。
そして私信とはいえ「物書き」として、その覚悟をしたためる「矜持」に胸が詰まってしまいました。

どんな言葉を費やしても虚しく、綴っているだけでまたこみあげてくるものがあります。

ウェブ進化論の梅田氏が自著の中で告白しているように、ブログやネットの世界には「情報収集はネットで充分」という人が増えてきていますが、「自分の興味なかった世界」まで詰まっているのが新聞や雑誌といった媒体です。これにより「関心空間」の外側で起こっている出来事との接点が生まれます。そしてそこには、「売文稼業(と書くと怒られるでしょうが)」という戦場で生き抜いている人の「金を貰える文章」があります。
ネットはまだこのレベルまで来ていません。どころか「ブログの大洪水」によって、レベルは年々低下してきています。
そんな中

「温かい心」

を伝えてくれる。辛くても、相手に伝えるときには「どう受け止められるか」まで考えて伝えてくれた永沢光雄さんに出会えなくなったことが、ただただ残念です。

毎朝「もしかしたら誤報で、掲載されているかも」と、愚かな期待をして産経新聞を開いております。

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