今を生きる日本人がだした答え

 同じ商店街のよしみということで自著を置いてくれないかと、
義母と専務でお願いしにいっても置いてくれなかった東武伊勢崎線
竹ノ塚駅前のK書店で自著を発見。

発売から10日以上経過してからですが嬉しいものです。

さて今日はこのあと10時より「ネタ会議」に伺うので早速
本題に入ります。

歴史の文脈。

これを度々ここで指摘していますが、「言論封殺」がもたらした
先の戦争での歴史を私たちは知っています。

前々号で「言葉狩り」にスポットを当てたのも、本来の意味から
して差別には全く当たらないのに

「不快という声の大きい人」

の為に「言論封殺」されてしまうことへの警鐘がありました。
これはまた別口で取り上げる予定ですが、私の会社は電話帳に
載せていることもあり、様々な売り込み電話がありますが、
その中に「団体」から寄付の要請があることもあります。

地獄の底から響き渡るしゃがれた低音で

「御存知の通り我々は○○の差別と戦うべく●十年・・・」

と淀みなく自らの活動を語った後、その活動をまとめた本を
だしたから買ってくれと続けます。

一切お断りしていると告げると「ちっ」と舌打ちして一方的に
電話が切られます。

本当に活動しているのかも知れません。
そうでないのかも知れません。

実際に差別に苦しんでいる方もいる一方、それを食い物にしてい
る人も実在するのです。

その「材料」に言葉は便利なのです。

「その言葉には差別的要素が含まれている。訂正して謝罪しろ」

自著で「商標権」に触れた下りで「御存知のように」と突然メール
を送ってきた会社の話しを紹介しましたが、さもそれが常識のよう
に振る舞うと、交渉を有利に進めることができます。

そして多くの日本人は「根拠の開示」まで要求せずに

「そんなものなのかな?」

と横並び意識をスパークさせます。
つまり、知らない自分が非常識なのかもと瞬間的に怯んでしまう
のです。

ここら辺が面白いのが日中問題や日韓騒動を議論する番組で
「中国代表」「韓国代表」の方々が論拠に乏しいことをいっても、
そこを指摘する「日本代表」が少ないのに対して、その逆を日本代
表がいった瞬間、中間の代表は火のような攻撃を始めます。

彼らは自分の知っていることが宇宙の中心ですから当然です。
これは良い悪いでも揶揄でもなく、文化と歴史の違いです。

そして今、「核保有の議論」が相変わらず、言論封殺の対象と
なっています。

自民党の中川昭一政調会長のテレビの発言を受けてです。

これは西村慎吾さんの「核武装が必要」とは段階の違う話で

「核が必要かどうかも含めて話し合おうよ」

という程度のものなのに立派な野党に成り下がった民主党も
含めてやり玉に挙げようとしています。
補選の道具にしようという向きもあります。

しかし、議論は必要です。

左派や知識人を中心に

「あの戦争時代・・・」

と語るときに大政翼賛体制を持ち出すのなら、同じ愚を犯しては
なりません。
自由な議論、多様な意見が無くなったときに、暴走がはじまると
止める手段は無くなってしまうことを私たちは歴史として経験して
いるのです。

だから、

「大いに議論」

を重ねた上で、

「持たず、作らず、持ち込ませる」

という結論に達すればいいでしょうし、そうでない結論も又、

「今を生きる日本人がだした答え」

なのです。
「はだしのゲン」を小学生時代に読んだ私は、論理ではなく感情的
に核兵器が好きではありませんが、好き嫌いだけで世の中渡ってい
けるほどご近所は優しくないことは

「拉致被害の歴史」

が教えてくれています。

そして彼の将軍様の国を締め付けると「暴発」するという指摘も
ありますが、彼の半島には暴発の歴史はありませんし、世界的に見
ると多くの場合、「暴発」は国内で起こります。

クーデターや革命という形で。

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