不定期連載の「せいろん女子会」は横須賀の記念艦「三笠」を見学してからの近現代史。東郷平八郎や秋山真之を「イケメン」とする切り口は女性らしく、戦国BASARAよろしく、歴史性無視したキャラクターすることで、近現代史を設定し直すことができるのではと夢想。
パヨクは「歴史修正主義」と批判するでしょうが、歴史に多少でも馴染んだものなら、歴史が修正されることは当たり前で、聖徳太子を厩戸皇子と書き換える目論見も同じながら、こちらの批判が起こらないのは学者の世界もマスコミも左派が支配しているから。
世界唯一の「インペリアル」である「天皇」の権威を傷つける方向への修正は前のめりになり、その反対は認めないというダブルスタンダード。
鎌倉幕府のはじまりを、全国への守護地頭の設置という「実効支配」がはじまった1185年にするのは、天皇のみが与えることのできる征夷大将軍という権威から目を逸らすためでしょう。
私はこの解釈を是としませんが、これも「歴史修正」。
ならば近現代史においても、後年事実が明らかになれば「修正」するのは当然のことであり、「せいろん女子」の1人は「アップデート」と呼び、ひとりは「バグを修正」と指摘。
そして《アプリだって、バグ修正しなかったら、ユーザーは怒るじゃないですか》と、実にわかりやすい。
聖徳太子については、憲法議論における井沢元彦氏の談話でも触れています。「十七条の憲法」の第一条が「和を以て貴しとなす」であり、十七条が独断を戒めているところに「日本人にとって話し合いが一番重要だ」という精神を見つけるのです。
また、話し合いの重要性は、仏教や儒教、キリスト教にもない概念とは目からウロコが落ちます。いずれも聖人や君子からの教えを賜るものだからです。
対する聖徳太子は「話し合い」を憲法として定めます。仏教に傾倒し戦争までした聖徳太子の心変わりについては、本誌にあたっていただくとして、天照大神が「国を譲りなさい」と諭したら、大国主命が「天孫に譲ります」と応じた神話からはじまるように、日本には古来から「話しあい」が根付いたのでしょう。
■月刊正論2017年6月号「激論! 教育勅語 共謀罪 9条」
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