日韓「慰安婦」合意に見つける希望とは手切れ金

 率直な感想は「やっぱり」。慰安婦合意について。

 安倍首相を保守派、極右とみる向きが多い中で、私は彼を「リベラル」と評してきました。安保法制ひとつとってみても、世界基準におけるリベラルとは「お花畑平和論者、戦争放棄カルト」ではなく、国益のためには銃を持ち、血を流すことは、左右のどちらの区別はありません。

 一方で経済政策は、TPP締結に代表されるようにリベラル色が強く、さらに消費増税を検討する民間議員に古市憲寿のような粗忽者をいれるのは、アリバイ作りかも知れませんが、「保守」ならば眉根を寄せるはずの人選も目立ちます。保守における寛容な態度とみるか、馬脚と見るか。

 ただ、リベラル=悪ではなく、思想信条、方法論に過ぎず、一国のリーダーに求められるのは、ひとえに「国益」の追及で、ここから見たときの、

「慰安婦問題の日韓合意」

 は、一枚のカードに過ぎず、これをどう使うかの今後にすべてがかかっております。そして希望でもあります。

 合意内容について、個人的には納得していない、というか「やれやれ、またか」という諦念に包まれております。

 まず、この年末に韓国が譲歩をちらつかせ、解決を求めてきたのは、あちらの都合に過ぎません。

 中国市場の落ち込みと、日本の円安による価格競争力の低下のダブルパンチに、もともと技術開発力を持たないことから、ひとときの勝者になったとしても、技術の陳腐化により衰退することが宿命づけられている韓国経済は、暗雲の足元に底なし沼が拡がっています。

 徴用工とやらの裁判で、新日鉄住金に賠償命令を下し、これが確定した暁には、日本企業の韓国撤退は加速し、これは資本の逃避だけではなく、技術流入・・・一部には窃盗と見受けられる事例もありますが、「開発力」を持たないことが陳腐化を加速させ、輸出に頼る経済構造は致命的なダメージを与えます。

 ご自慢の「韓流コンテンツ」にしても、安価な出荷でシェアを獲得する戦術ですから、これも三日天下の様相を帯びます。つまり、一巡までの寿命であることは、電通とフジテレビがゴリ押ししたにも拘わらず、国内の韓流ブームの沈静化に明らかです。

 ピンチに際して金銭を融通できる「スワップ協定」とは、現実的には韓国の経済危機に備えるためのもので、これが今年の2月に終了したこともボディブローのように効いてきています。

 韓国政府も経済団体も、日本がすり寄る形で、協定が延長されると踏んでいたのと、当時はまだ堅調が喧伝されていた中国経済にすがれば問題ないと考えていたのでしょう。

 ご存知の通り、中国経済の減退は鮮明で、チャイナショックは世界経済を揺るがし、かつて米国がくしゃみをすれば風邪をひく日本と揶揄された以上の、衝撃が韓国を襲います。

 それが証拠に10月に韓国の経済団体の代表は、スワップ協定の再開を求めています。

 年末の忙しい中、理由を挙げれば切りが無いので、ここまでにしておきますが、ことほど左様に、国家としての韓国は青息吐息で、日本にすがる他ないのです。

 無論、軍事政権だった時代の韓国に比べれば、発展もし、豊かにもなりましたが、豊かさからの転落を怖れる人間心理は、世界中が共有します。

 つまり、日本との関係改善は、韓国側を利するものであり、そもそも論で見れば、日韓に横たわる「懸案事項」とやらは、すべて韓国側からのいちゃもんといっても過言ではないでしょう。

 合意を受けた国内を見てみます。

 ネトウヨと称される、急進的な勢力は失望と絶望に打ちひしがれています。殺せ、死ねという主張は論外ながらも、共感する嘆きをひと言で表現すれば

「またか」

 ということ。

 日本人的な感覚においては「嘘」を突き続けてきたのは韓国であり、再び騙されるのは火を見るより明らかだという嘆きです。

 いわゆる「ムービングゴールポスト」論で、そもそも論において、いま日韓に横たわる問題とやらは、日韓基本条約においてすべて決着しており、韓国人慰安婦への保障や福祉は、韓国政府が行うことであり、これを助けるのは「内政干渉」。

 また、村山富市元首相によるアジア女性基金でも、ケチをつけたのはあちらの内政の話しで、何をしてもどうしても、文句をいってきたのはあちら側。

 譲歩すれば、さらに踏み込むことを是とするのは、中華文明圏の特徴ですから、その価値観において、彼らに悪意がないから厄介ではありますが、善意と誠意のレベルで対応し続けた日本が裏切られ続けた根本的な理由であります。

 そして今回の「合意」とやらにも端々に、クラスター爆弾レベルの災厄の目が埋め込まれています。

 まず「文書」による合意がないこと。つまりは口約束。後になれば何でも言える、と高を括っている節が韓国側にはあります。だって、それがいままでの手口ですし、彼らの成功体験ですから。

 東京基督教大学の西岡力教授が読売新聞に寄せた指摘もその通り、引用します。

《今回の合意にある『国際社会で互いに非難、批判を控える』ことによって虚偽の認識を正すこと自体が出来なくなるなら、真の解決からは遠ざかることになる》

 つまり「韓流歴史解釈」が、朝日新聞の捏造報道により支えられていたとしても、その主張は非難や批判ではなく、ウリナラの歴史であり合意に反するものではない、というもの。

 ついでにいえば、韓国の歴史認識は、そもそも論で「ヤバイ」のですから、この一文は日本にとって最悪なものになるリスクを孕んでいます。

 非難や批判といった抽象的なものではなく、具体的にどの箇所が、どの記述が、どの歴史的事実についてかを「文書化」しなければ、必ず蒸し返すことは、戦後に限定しても、歴史が多弁になることでしょう。

 先の読売新聞から、もうひとつ引用しておきます。
 韓国・国民大学 李元德教授のコメント

《最終決着の確約だが、いったん政府間で妥結した問題を次の政府が争点化することはありえない。「ゴールポストを動かす」としきりに日本が懸念するのは一種の強迫観念だ》

 大学教授でさえ、この認識。日韓基本条約以降の日韓の歴史をご存じないようですし、「強迫観念」とするなら、それが生まれた背景があるはずですがこれに触れません。

 また、「次の政府」としているので「次の次の政府」までは縛っていません。そしてその李教授は、この前段で

《少女像は今回の妥結を通じて解決するのは難しいと思う。日韓で円満な解決が出来れば、時間はかかるが自然に解決されると思う》

 と述べています。時間はかかるのでしょうが、やらないとはいっていない、という論理構成。日本全面敗北とネトウヨ界隈が悲嘆する気持は痛いほど分かります。

 しかし、ある種の希望がないわけではありません。

 今回の合意の背景に、米国による圧力があるのは事実で、米国様が合意を担保する・・・訳がありません。日韓の緊張緩和は米国の国益に適うとは言え、どちらかの肩を持つことは、米国の国益に反するからです。

 何が希望か。まず、安倍首相がリベラルだとしても、国益をもとにして韓国との妥協を選択したのなら、もう「次」はないということです。

 安倍首相の判断する国益と、日本の名誉を天秤に掛け、後者を犠牲にできたことから、安倍首相が、「米国は世界の警察ではない」と宣言し、米国の名誉を傷つけたオバマ級のリベラルだったとみることもできます。

 いずれにせよ、これで約束が履行されないようであれば、

「断交」

 レベルの決断もあり得るということです。賭に負けた、騙されたとしても、それが「最後」ならば、捨て金とガマンもできます。

 そして安倍首相でさえ、永遠に首相を続けることはできません。韓国というか中華文明圏の難癖を付ける時間軸は、人類史級であり、次の首相や政権与党によっては、また、韓国の無体な要求に屈する・・・・という危機が遠いというのが、本妥結における唯一の「希望」。

 昨年8月の朝日新聞が、捏造報道を認めたことが決定打となり、歴史的事実としての「従軍慰安婦」は「なかった」ことが明らかとなりました。

 「慰安婦」と「従軍」の区別といっても良いかも知れません。それでも朝日新聞は「女性の人権問題」にすり替えて、ジャパンディスカウントに興じていますが、しかし、一般大衆はそれに洗脳されるほどバカではありません。

 また、アジア女性基金の存在も、一連の報道を通じて知れ渡り、そこに今回の妥結が加われば、一般的な日本人の感覚として

「もう、充分じゃね?」

 となることでしょう。この後に及んで10億円と歯噛みする気持もありますし、「泥棒に追銭」という揶揄も耳にしますが、そうではなく「手切れ金」とみれば、決して高くはないでしょう。

 というのは、それでも韓国は、謝罪を求め賠償の拡大を要求することでしょう。これは歴史が証言していることですし、彼らの文明と国民性から止めることはできません。

 ウィーン条約に違反していても、少女像を撤去しない国家であり国民です。「場所を変えた」としても、何mか移動させるだけかもしれません。

 これは他国のことで、他国の主権を侵すことはできません。

 ただ、その理不尽を甘受するかどうかは、民主主義国家である日本においては、その主権者足る国民が決めること。

 つまり、韓国の今後の「態度」が、良き隣人のそれであるならば、韓国に融和的な、民主党以下の勢力に支持が集まる可能性もありますし、ヘイトスピーチは論外としても、韓国系のヒトモノカネへの嫌悪感も和らぐことでしょう。

 その逆ならば、今以上の嫌韓感情が高まることは間違いありません。民主党の息の根を止めるのは韓国かもしれません。ならば、それも日本における希望のひとつでしょう。

 合意後、岸田外務大臣が朴槿恵(パククネ)大統領を表敬訪問した際、「日本側の措置が迅速、誠実に履行されることが最も重要だ」とこの後に及んでも、日本に「命令」をしていますが、その言葉はそっくりそのままお返しします。

 つまり、今回が「最後の我慢、最後の誠意」とみれば、これほどの「希望」はないということ。

 こう断じる背景にあるのが「ネット」です。

 ネット社会も20年を数え、さらにブログが普及して10年。そして街角のオッチャンでも、歴史的事実を記録できるようになり、だれでもその事実に、容易にアクセスできるようになりました。

 さらに「少女像」です。この「目に見える問題」が、来年以降、韓国に刺さる棘になることでしょう。大切なことなので繰り返します。これは韓国の国内問題です。

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