フランス人は世界の嫌われ者?

 フランスでの新聞社襲撃テロ事件でも「表現の自由」が先走りしております。

 なんども繰り返していることですが、表現の自由を大切に思う立場です。それは朝日新聞でも、その元記者の植村隆氏であっても、発言の自由は保障されなければなりません。同時に批判に晒されることを怖れるなら口をつぐまなければなりません。

 言論封殺ではありません。発言には責任が伴うということです。その責任を負えないものに、自由を与えるならば、社会から秩序が消えてしまいます。

 ただし、言論には言論で。というのが、欧米的価値観における言論のルールです。

 これが朝日新聞的には「言論には法廷」でとなり、イスラム原理主義的には残念ながら、暴力も含めた「報復」となるのは構造的な問題です。

 一般メディアでは、あまり報じられませんでしたので、本題にはいる前に触れておきます。朝日新聞における「慰安婦報道」において「強制連行」という表現が、拡大する引き金となったとされるのが、元記者の植村隆氏の記事です。

 植村氏の義母は、強制連行を含めた「慰安婦」があると主張する団体の代表を務める韓国の女性で、当時知り得ていたはずの事実を、あえてか、うっかりかはともかく、植村隆記者は記事で触れませんでした。

 状況証拠と事実関係、そして記事のそれぞれを補助線でつなげば「捏造記者」というレッテルが浮かびますが、彼は批判記事を掲載した「週刊文春」と「文藝春秋社」、同紙でするどく指摘した西岡力氏を名誉毀損は訴えたのです。

 しかも170人の弁護団を従え、会見に同席した代理人弁護士は、今後も植村隆氏を「捏造記者」としたものを訴えると脅します。

 立場の強いものが、訴訟をちらつかせることで、弱者を沈黙させる「スラップ訴訟」と呼ばれる手法です。

 週刊誌と元記者なら、週刊誌の方が強者かも知れませんが、先日、計算したところ、170人の弁護団とは月間2〜3億円相当の戦力です。

 この力を持って、例えば私のような物書きの発言を封じ込めようとするのが、植村隆氏のとった戦術であり、170人もの弁護士であり朝日新聞です。

 朝日新聞まで含めるのは、福島第一原発事故において、職員らが「逃げた」と印象づけるための、これまた「捏造的」な記事に対して、吉田所長を筆頭に、当時の関係者への丹念な取材から『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』を書き上げた門田隆将氏が異議を唱えると、法的手段をちらつかせていたのが、言論機関である朝日新聞だからです。

 事実が露呈して、後に撤回しますが、言論に対して言論で反撃せず、法廷闘争をちらつかせるのが、朝日新聞とその一派の手口です。

 蓋然的な情報を見る限り、「捏造記者」はレッテルではなく、事実の指摘と私は考えます。一方で、誰にでも「うっかり」はあります。そして一部の重要な事実を書き漏らしたとあれば、記者としての経歴と実力に傷はつきますが、

「ゴメンナサイ」

 をするのが、記者としての最低限の責任ではないでしょうか。うっかりでも過失でも、ハンバーガーに異物が混入していれば、謝罪を求められるように、記事に充分な事実が掲載されておらず、それにより「誤解」が拡散されたのなら当然です。

 左派、リベラル陣営には、植村氏の記事を捏造と断じるために

「悪意の有無」

 が必要とする主張も見つけますが詭弁です。捏造に必要となるのは悪意ではありません、作為です。

 強制連行があったと印象づける目的からの作為があったのなら、捏造記者であり、重大な事実関係の記述漏れがあったのなら、その記事においては記者失格ということです。

 ともかく、言論には言論で返すのが、西欧的表現の自由の世界のルールです。

 植村隆氏は一個人としての元記者ではありません。産経新聞が現在講師を務める北星学園大学に取材を申し込むと、朝日新聞が窓口だと廻されたように、いまも報道機関と密接な関わり合いを持っていると考えられます。

 つまり、充分な「反論の場」をもっているのです。また、産経新聞は繰り返し取材を申し込み、極右雑誌と名高い「月刊WiLL」は左翼陣営にも門戸を開くことは、保守派の間では知られている・・・というか保守なら当然です。ところが、これらを充分に活かすことなく「法廷闘争」に持ち込みます。

 さらに記者会見で、植村隆氏は「被害者」を強調します。

 北星学園大学へ解雇するよう脅迫して逮捕された新潟の60代の容疑者の報道が尻つぼみになったことに、マスコミ側の「悪意」をつくりだし囃し立てますが、思想的にも組織的にも背景がなく、被害者からすれば迷惑とは言え、「愉快犯」程度の容疑者なら、報道が小さくなるのは当然だということを朝日新聞では教えてくれなかったようです。

 こんなところにも植村隆氏の報道記者としての資質、朝日新聞の報道機関としての限界が見えてくるのですが、ネットを中心に家族の実名や写真が拡散されていることも絡めて、

「表現の自由への挑戦」

 とばかりに、自分を被害にあったフランスの新聞社「シャルリー・エブド」に接続します。

「シャルリー・エブド」はテロに屈しないと、最新号で風刺画をふたたび掲載し、さらに大量発行して抗します。言論には言論で、暴力へも言論で、ということでしょう。

 言論に法廷闘争を仕掛けた植村隆氏の厚顔さが鼻につきます。

 ただし、ジャーナリストの西村幸祐氏は、植村隆氏の一連の動きを「墓穴」とツイッター上で指弾します。

 それは植村隆氏の記事が、朝日新聞が執拗に活動してきながら、その欺瞞が暴かれつつある

「(従軍)慰安婦強制連行」

 という主張の「最終防衛ライン」だったからだというのです。

 一連の捏造報道の検証において、朝日新聞が設置した「第三者委員会」でも、当該記事への疑問が指摘されていましたが、記事そのものは取り消してはいません。

 つまり、植村隆氏の記事を残すことで、

「広義の強制性」

 について「記事という名の証拠」にできる・・・とは、まるで中国における「歴史戦」のやり方ですが。

 但し、日本は法治国家です。名誉毀損訴訟を巡り、当該記事を裁判所がどう認定するかは分かりませんが、仮に執筆過程の開示を裁判所が求め、その説明に合理性が認められなければ、「捏造」は確定されますし、あるいは「その方向性」で記事が書かれた理由が明らかになれば、当時の朝日新聞の「目的」も白日の下に晒されます。

 少なくとも第三者委員会と同程度の見識を裁判所がもつならば、記事の不十分さ、作為の有無は除いても「恣意性」を指摘することでしょうし、いずれにしろ、いわゆる「ふつうの新聞記事」ではないと証明される可能性が高いというのが、西村幸祐氏の指摘する「墓穴」なのかもしれません。

 いずれにせよ、「表現の自由」とは「捏造」には適用されません。また「創作」ならば、そう明記しなければならず、記載が不十分なら「訂正」や「補足」が必要で、深刻な被害をもたらしたのなら、悪意と作為の有無は問わずに「取り消し」が求められるのは、表現の自由を背中合わせの、表現者の義務と責任です。

 それとも「シャルリー・エブド」に接続した植村隆氏は、風刺画とかけて、自分の記事ととく「なぞかけ」でもしたかったのでしょうか。

 その心は「作為」です。お後はよろしくありません。

 そもそも、その「シャルリー・エブド」は無謬の存在ではありません。執拗にイスラム批判(揶揄)を繰り返しており、ウィキペディアによれば、フランス政府から自粛要請までされていました。

 「シャルリー・エブド」のムハンマドについての報道を、中東政治を専門とする、千葉大学 酒井啓子教授は「しつこい」と読売新聞に寄稿します。

 フランス人にとって「表現の自由」とは何よりも大切だと、事件後繰り返し報じられます。

 ともすれば「フランス革命」からと報じられますが、ウィキペディアに掲載されているレベルの「歴史」からも虚像が浮かんできます。

 そもそも「フランス革命=市民革命」とは日教組の洗脳のひとつです。市民が武器をもち、王政を打破した、つまりは権力者を無辜なる市民が打ち破り、権利を手にいれた・・・のは「ベルばら」よりずっと時代をくだった話しで、それも明確な線引きを見つけるのは困難です。

 歴史とはそういうものだと言えば、それまでですが、あまりにも「美化」されすぎています。

 マリーアントワネットが断頭台の露と消えた「ベルばら」におけるフランス革命とはブルジョワ革命で、既得権者が、その既得権を守るために、改革派だったルイ16世を追い落とした政争です。

 その後、ごたごたが続き、躍り出たのがナポレオン・ボナパルトで、彼が「皇帝」を名乗ったのはつとに有名です。

 事実上の帝政を始めた古代ローマのカエサルが、「皇帝」ではなく「第一人者」と周囲に呼ばせた偽善と対極にあります。

 で、ナポレオンの失脚後、王政に戻り、クビをすげかけて別の王朝となり、すったもんだを繰り返したのがフランスです。

 また、フランス人と「表現の自由」を考える上で、もうひとつ重要な事実があります。諸事情はともかく、歴史的な事実としてのフランス軍は

「敵が来ると逃げ出す」

 のです。

 残虐非道とされはずの「ナチス」がパリを占領しましたが、仮に「抗戦」していたのなら、エッフェル塔も凱旋門も砲撃から逃れることはできなかったことでしょう。

 よく言えば「現実主義者」。適わないと思えば、死ぬよりマシとスタコラサッサ。

 そして逃げ出し先で、同盟国にさえも文句をいい、

「フランス人は世界の嫌われ者」

 とはグローバルなジョークで、オチはこう。

「フランス人はどれだけ嫌われているのだ?」

 との問いかけに、

「アメリカ人と同じぐらい」

 こうした精神性というか、現実主義的な国民気質からみて、

「風刺で血は流れない」

 と捉えているのではないでしょうか。

 しかし、それはフランス的価値観に過ぎません。

 今回の襲撃犯を擁護するものではありませんし、イスラム原理主義者の行動を肯定はしませんが、大切なものを批判されて流れる心の涙は理解できます。

 言論に対しては言論で。これにも異論はありません。ただ、執拗にイスラムの予言者をからかったのは「シャルリー・エブド」の側で、イスラム教徒が抗議をしても止めなかったのも「シャルリー・エブド」です。

 日本において、朝日新聞や「赤旗新聞」、そして「週刊現代」や「週刊ポスト」が、安倍晋三首相をヒトラーに模したからと、暴力による報復が許される理由はありません。

 それは批判する側はともかく、批判を受ける側にも、それを受け入れる度量というか、素地というか、「言論には言論」という共通認識があるからです。

 語弊を怖れずに言うなら、「言論には言論」が成立するのは、

「参加者全てがルールを受け入れている」

 という前提においてのみです。

 野球のルールを知らないものが、バッターボックスに立たされたとします。手には人も殴れる棒状の何かを持たされます。グラウンドをみれば「敵の視線」が自分に集中しているのは明らかで、敵の前傾姿勢はレスリングの攻撃姿勢に見えます。獲物を集団で狩るオオカミの群れの前に引き出された羊の気分です。

 さらにマウンドに立った「敵」から、何かを素早く投げつけられます。また敵は自分の背後にもいます。キャッチャーだけではありません。ルールを知らないわけですから、アンパイア(審判)の役割も知らず、一方でこの二人とも、面を被り防具を着けていれば、生存本能が危険を知らせるのは当然です。

 このときの恐怖から、握った棒を振り上げ、マウンドに襲いかかる・・・前に、私なら、まず近くの敵であるキャッチャーに殴りかかり退路を開こうとすることでしょう。アンパイアもいますが、直線上に重なった敵は、瞬間的に1対1に持ち込めるからです。

 いささか冗談が過ぎましたが、言論には言論とは、互いがゲームのルールを理解しているときに成立するということです。

 そもそも言論には言論とは、欧米諸国の価値観に過ぎません。扇情的に述べるなら、価値観の押しつけとは欧米帝国主義の残滓です。

 言論には弾圧の中国や韓国をここで持ち出しはしません。言論がプロパガンダしかない北朝鮮も割愛します。そしてイスラム教の価値観も脇に置いた、我が日本では本来どうだったでしょうか。

 学術的に紐解くよすがを私は持たないのですが、帝国憲法制定以前に定められた「決闘罪」にヒントを見つけます。

 ときおり、暴走族の集団闘争で用いられ、ニュースに取り上げられることも増えたこの法律は、決闘に関係したすべての人物を処罰できるという粗っぽい法律です。

 制定の理由は諸説ありますが、ウィキペディアに面白い記述を見つけます。いまで言うジャーナリストの松岡好一が、あの犬養毅に決闘を申し込んだというのです。

 犬養毅は「野蛮な遺風」とこれに応じなかったのですが、検討を賛美する論説が発表されたこともあり、日本中に

「決闘ブーム」

 が起き、これが法律制定の一因になったとするものです。

 ブームとは受け入れる素地がなければ生まれないもの。AKB系列の力業のメディア露出がブームにまで発展したのは「モーニング娘。」や「おニャン子クラブ」という下敷きはもちろん、起点は素人娘がスターダムに駆け上がる姿を「可視化」した「スター誕生」にあります。

 江戸時代をみれば「仇討ち」や「果たし合い」があり「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉は、本来は「江戸の恥」だとする説もあり、「恥」のほうがしっくりくる気がします。

 見栄っ張りでやせ我慢すら「粋」と解する江戸っ子が、言い換えたのではないかという見立てですが、どちらにせよ

「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」

 という江戸でよく見るものを並べた川柳が残されているように、「喧嘩」は多かったのでしょう。

 明治以降の日本は、近代化を急ぎ、海外の文化を貪欲に、時に節操を脇において吸収し続けました。西欧では手袋を投げつけ決闘の申し込む風習もあります。西欧の後追いをした明治政府が、わざわざ禁じた理由を推測するに、

「外国人に決闘を申し込む」

 ことも、同時に怖れたからではないでしょうか。

 法律で禁止されたからと、国民気質がすぐにかわるわけではなく、戦前の少年期を語るもので、喧嘩の話しをしないものは少なく、戦後の昭和期にも決闘は多々あったことで、かく言う私も

「体育館裏に呼び出される」

 経験を持っています。

 ちなみに私は犬養毅と異なり、リクエストに応じました。これは個別自衛権の範囲で、身を守るに充分な武力は備えていました。また、友が喧嘩を売られると、率先して友の防衛に回るとは集団的自衛権の行使容認で、振り返るに時代を四半世紀ばかり先取りしていたようです。

 体育科裏にて、しばしのコミュニケーション。先方は敗戦が明らかになると、暴走族を呼び出すと虚勢を張るので、前髪を掴んで顔を持ち上げ「呼んで来いや」と、物心ついたときに使用していた「関西イントネーション」でそっと語りかけると、彼の目にうっすらと涙が浮かんでいたことを思い出すたびに笑ってしまうとは余談。

 少なくとも「昭和時代」までは、いきがり過ぎての暴力的な制裁を受けることや、度が過ぎた中傷や嘲笑の末に、実力を伴う反撃を受けたとしても、

「お前が悪い」

 とする空気が、日本には存在していたのです。そこでの「言論には言論」とはお為ごかしです。建前論としてはあっても、相手の尊厳を損ねれば、反撃はやむなしとするのは、

「名誉」

 こそ、命と同等に、時にはそれ以上に大切とする価値観があったからです。

 さて「シャルリー・エブド」が嘲笑の対象としたのは何でしょうか。イスラム教の予言者ムハンマドとされています。

 私はイスラム教徒ではなく、ムハンマド氏(師?)に明るくもなければ思い入れもありません。しかし、イスラム教の教えでは、偶像崇拝を禁止しており、予言者の顔を描くことを禁忌とします。

 そしてムハンマドの風刺画については、2005年のデンマークから数えても10年を経ている問題で「シャルリー・エブド」は「しつこく」繰り返しています。

 また、八百万も神様がいる日本人の感覚的には分かりませんが、一神教における神は絶対であることは、イスラムもキリストもユダヤも同じです。

 価値観や風俗が異なっていても、それぞれの価値観に一定の敬意を払うからこそ「表現の自由」は認められる、とわたしは考えます。敬意が存在しなければ「侮蔑」と「挑発」が野放しにされるからです。それでも「言論には言論」となるには人類はいまだ野蛮すぎます。

 隣接する2軒はそれぞれイスラム教徒とキリスト教徒だとします。前者は偶像崇拝が禁じられていますが、後者は「そんなの関係ねぇ」とばかりに、イエスが「コマネチ」をするイラストを書いたとて、それこそ「そんなの関係ねぇ」でしょう。まさしく「表現の自由」です。

 また、キリスト教徒の家の息子が、ムハンマドのイラストを描いたとして、それを自宅の居間に飾るぶんには誰にも咎められる道理はないでしょう。

 しかし、そのイラストをわざわざ、隣家の目の届く場所に貼りだしたとき、関係悪化するのは自明です。イラストをはがせと主張しても「表現の自由」を叫び拒否されれば、実力行使に同情する気持ちも芽生えなくはありません。

 そして素朴な疑問として浮かんでくるのが「シャルリー・エブド」の編集部の中に、イスラム教徒は一人でもいたのかということです。

 仮に「シャルリー・エブド」のなかに、イスラム教徒がいて、その人物が先頭を切って風刺という手法を持って、何かを訴えたのなら「表現の自由」は最大限に守られるべきと考えます。

 風刺とは権力や社会体制へのアンチテーゼとして行われるものだからです。しかし、敬意なき他宗教への風刺ならば攻撃です。

 編集部に「イスラム対キリスト」という対立軸は本当になかったのでしょうか。

 例えば「シャルリー・エブド」が「バカ殿」を模した「キリスト」のイラストを掲載し、メシアがドジョウすくいをして、仏陀が鼻をほじり、天照大神がブーメランパンツで「そんなの関係ねぇ」と腕を振り下ろす漫画を掲載したとするなら、「反宗教」という風刺にもなるでしょうが、仮にムハンマドだけを狙ったのなら、そこに意図はあり、表現の自由を逸脱しているように感じるのです。

 むろん、

「俺たちの価値観が世界のすべてだ。従わない、理解できない連中は野蛮人だから支配してやる」

 という19世紀の欧米諸国の発想を、いまもって保持しているというのならその限りではありません。

 穏健な、というか現代的な価値観を理解するイスラム教徒の大半が、今回の襲撃事件を非難しますが、同時に風刺画を快く思っていないことも表明しています。

 表現の自由とは、対立を煽るための方便ではありません。また、捏造記事の正当化のために使われるものでもありません。

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