本多勝一×藤岡信勝 「南京30万人大虐殺』の真実<完結編>

 週刊文春11月13日号に掲載された

『本多勝一×藤岡信勝 「南京30万人大虐殺』の真実』

 の続報が、本日発売の週刊文春に掲載されました。詳細は以前のブログをご覧いただくとして、あらましは保守派の論客 藤岡信勝氏が「文春」に寄せたコメントに、左系機関誌とも呼べる「週刊金曜日」が「質問状」と称して噛みつきます。

 藤岡信勝氏が寄せたコメントとは、いわゆる「南京事件」を報じた、当時朝日新聞のスター記者 本多勝一氏(ヅラ)の取材とは、中国共産党の仕切りによる説明をもとに執筆したモノで、30万人虐殺などはデタラメとするもの。

 その本多勝一氏は、文春の取材に対し、南京事件の死亡者数を

「私自身による調査結果としての数字を書いたことはありません」

 と答えています。

 朝日新聞的というか、言葉を弄するリベラル話法です。一般的常識でみれば、調査結果の数字でなければ、「デタラメ」と断じるかは脇に置き、30万人虐殺説の放棄と受けとるのが自然ですが、「本多勝一調査」の結果を書いていないだけで、30万人をなかったとは「言っていない」と強弁できる余白を残しているからです。

 彼らは都合のよいときは「文脈」で理解し、同じ話でも「一部」を取り上げることを恥としないのです。

 そこから「往復書簡」で決着をつけることとなった後編が、「完結編」として掲載されたのですが、週刊文春もこの「尻つぼみ」な結果に、新聞広告での取り扱いも小さく、うっかり見落とし買い逃すところでした。

 全5ページの記事の扉には

本多「まさに『殺す側』の論理だ」
藤岡「もほや発言する資格がない」

 と煽りますが、本多勝一は逃げ回ったことにより、藤岡信勝氏の「独り相撲」。喧嘩を売られてこれほど虚しい時間はありません。

 弱い犬ほどよく吠えるといいますが、殴り合う勇気・・・それは痛みだけではなく、法的責任が問われるリスクも踏まえて・・・もなく侮蔑しておきながら、なにをと身を乗り出した刹那、脱兎の如く逃げ出して、相手のいないところで悪口を広める卑怯者の所業です。

 往復書簡は双方それぞれ全5回を予定しており、完結編は藤岡信勝氏の第4信からはじまります。要約すれば「大虐殺」とは、蒋介石による「宣伝戦」における捏造だったという指摘です。

 これへの本多勝一氏は、ふたたび「A記者」なる架空人物をたて、対話形式で「反論」をします。A記者とは「週刊金曜日」の本多勝一担当者ということですが、「前編」において、ほぼA記者が「主張」していたことから、本多勝一の自作自演とみて間違いないでしょう。その「馬脚」は結びに露呈しますが、これは後ほど。

 仮にA記者が存在し、独自の見解から発言していたとしても、藤岡信勝氏と本多勝一氏とによる往復書簡の形式を納得の上で行われているのですから「同一人物」とみなすのが妥当です。

 また、仮にA記者なるものが、本多勝一と正反対の意見を述べたのなら、その実在性を認めることもできるのですが、いずれにせよ、反対意見が述べられても、本多氏側の主張の一部とみるのが往復書簡による議論のルールです。

 ところがそれへの反論も石川達三や大宅壮一の引用で、彼らの発言に学術的裏付けはありません。それどころか蒋介石の「宣伝戦」を称揚するのは「A記者」です。


A記者:(前略)なお、蒋介石・国民党が日本軍の不法、残虐行為を世界に知らせ、国際世論を喚起しようとしたのは当然でしょう。藤岡氏の理屈だと、パレスチナのガザ地区に入り、イスラエルの侵略・残虐行為を報道しているジャーナリストは「パレスチナに買収されていることになりかねません。

本多 まさに「殺す側」の論理だね。
(週刊文春 2014年12月25日号)”

 本多勝一氏の論理の飛躍に脱落しそうになりますが、藤岡信勝氏の指摘を大胆に意訳するなら、蒋介石による「作文」を、欧米の「協力者」が確認もせずに「拡散」したことにあります。例えるなら、湾岸戦争における「油まみれの黒い水鳥」のようなものです。

 A記者(朝日新聞記者?)なるものは、不法、残虐行為に一ミリの疑いもなく論じつつ、時代も状況も異なる紛争の報道をつなげるという論理のすり替えに気がつかないのであれば、これもまた、意図的な作文なのでしょう。それを本多が飛躍させているのです。

 米国の寝言

「戦争を早く終わらせるために原爆を落とした」

 を事実と信じ賜るほどの愚かさです。

 本多氏が藤岡氏からの質問に正面から答えないことで、まったく噛み合わぬまま、藤岡信勝氏は第5信で「総括」しますが、薄々お気づきのように本多勝一は、これらの揚げ足を探すことに終始しており転載は時間の無駄、サイバー空間を汚染させるだけなので控えます。是非、文春をお手に取りください。

 総括を受けた本多勝一氏の切り出しはやはり「A記者」でした。藤岡氏を「カルト信者」とレッテル貼るところに朝日新聞の影が見えますが、リベラルの「手口」なので模倣犯と言ったところでしょうか。あ、この表現は、彼らを模倣しております。

 第5信で「すべての質問に答えた」とする藤岡氏の発言に、

“本多 藤岡氏は全ての質問に答えていますか”

 と「A記者」に問いかけます。当事者はやはり「A記者」で、三文芝居に巻き込まれた藤岡信勝氏に同情します。

 またぞろ、都合の良い自説を開陳して進む本多の第5信ですが、結びを日本の外務省のサイトにある「歴史問題Q&A」に求めます。そしてその一説

“1、日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html

 を引いたのち、「南京大虐殺はあった」が日本政府の見解だと、本多勝一氏自身の発言として結びます。

 週刊文春の記事と、私の引用が一部異なるのは、箇条書きを示す行頭の数字「1」です。つまり、本多勝一氏は、外務省の見解の「一部」を引用し「結論」としているのです。以下、続きをサイトよりコピペします。


2、しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

3,日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。
(同)

 要するに「玉虫色」で、「大虐殺」そのものは認めていません。

 朝日新聞における「吉田調書」にみる特殊な読解力を除いた、大筋の日本人の理解するところでしょう。非戦闘員の殺害と略奪行為があった可能性は認めていますが、大虐殺の有無については、明確に答えていません。

 本多勝一氏は週刊文春の読者が、外務省のサイトになどアクセスしないと、馬鹿にしていたのか、「吉田調書」の記事を書いた記者と同じ特殊な読解力だということです。

 一事が万事といいます。本多勝一氏の記事の特徴かも知れません。

 5信で幕を下ろすはずが、両者の「感想」が掲載されていたのは、本多勝一氏のあまりの不誠実さに文春が設けた「延長戦」かもしれません。

 藤岡信勝氏は本多の4信に登場した石川達三の引用に触れ、後に石川が阿羅健一氏への葉書に

“「私が南京に入ったのは入場式から二週間後です。……あの話しは私は今も信じてはおりません」(同)”

 と、告白していたと紹介します。石川達三の著作『生きている兵隊 (中公文庫)』の「アマゾン」に見つけたレビューにはこうありました。

“昭和20年12月発行の河出書房版を取り寄せ読んでみた。
河出書房版の最後には、次の「附記」が掲載されていた。
『本稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものであり、従って部隊名、将兵の姓名なども多く仮想のものと承知されたい。(略)

投稿者 「みのねこ 」氏
http://goo.gl/G4PGoW

 ネット情報を渉猟すると、この著作も「南京大虐殺」の根拠とされているようで、ただし、私自身、この戦後間もなくの河出書房版を確認していないので、果たして正しい情報だと胸を張ることはできませんが、仮に事実なら、吉田清治とは言いませんが、創作を元にした作品は、歴史的事実ではありません。

 藤岡氏は感想のなかで、前回のブログでも紹介した、本多勝一氏とA記者の「誤爆」への謝罪を要求します。

 「誤爆」とは、藤岡信勝氏の記述の人物名に「誤記」があったと囃し立てたところ、それは週刊金曜日サイドからの「原文」を引用したモノで、己の間違いを藤岡氏になすりつける「赤っ恥」で、事実関係を知りながらそのまま掲載した「週刊文春」の意地悪さは嫌いではありません。

 本多勝一氏は謝罪を拒否します。本来、記事の結びの引用は「御法度」でしょうが、文春の編集部も許してくれるのではないかと転載します。

“なお『週刊金曜日』編集部の公開質問状に誤字があったことで藤岡氏は私に謝罪を求めていますが、私は公開質問状の作成に関与しておりませんので謝罪の必要を感じません。”

 両編集部への謝意を述べて幕引きをはかりますが、ページをめくる手が震え、私が叫んだのはこの一言。

「そこはA記者をだせよ」

 最後の最後に「A記者は自作自演」だったと告白したようなものです。あれだけ「多弁」だった「A記者」が謝罪せず、本多勝一が「言ったのは俺じゃないから謝らないよ」っていうのですから、謝れないなにかがそこにある。つまりは「同一人物」ということです。

 さらに「第一信」では「俺」だった本多氏は、「感想」では「私」。表記の「揺れ」に気がついていません。仮に本多氏が主張するように「週刊金曜日編集部」の仕事にミスがあり、本多氏がまったく関与していないのなら、A記者に数行与え、謝罪させれば良いだけのものが、「同一人物」ではないという「設定」を忘れたがための「謝罪拒否」。

 しかも本多勝一氏は、藤岡信勝氏の主張を『週刊金曜日』の編集部を通じて、他の「論者」に発注をかけ、なぶりものにしようとしています。まるで喧嘩に負けた腹いせに、徒党を組んでリンチにかけるかのようです。

 一対一の喧嘩を意味する「タイマン」は後に引かないのが不文律。勝者と敗者に分かち、シンプルな決着がつくからです。しかし、逃げ回った本多勝一氏にその自覚はなく、徒党を組んでやっつけようというのですから、やはりこの言葉しか思い浮かびません。「卑怯者」と。

前回のブログはこちら。
『本多勝一×藤岡信勝 「南京30万人大虐殺』の真実』に露呈する朝日新聞の読解力

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