予想通りの自民党の圧勝ながら、株価は大幅に下落しています。ひとことで言えば「材料出尽くし」です。
海外投資家の思惑に左右されてしまう、東京市場ですが、ニューヨーク市場が下落しているのはFOMC待ちという側面もありますが、「原油安」による「逆オイルショック」。本日、執筆時は若干持ち直してはおりますが、下げ止まりといった程度です。
しかし原油価格の下落は、日本にとってポジティブサプライズのはず。円高で輸入コストが増加する中、燃料費を抑制することができるからです。
短期的には、安定供給という大義名分の前に、市場価格と別の経済原理で決定されている日本の燃料代が安くなるのはしばらく先の話ですが。
なにはともあれば、反自民、アンチ安倍メディアに有識者というリベラル活動家が、攻撃するならここ。
「市場は安倍首相を歓迎していない!」
と。ましてや
「株高を演出しているだけで、アベノミクスに効果はない」
という批判が溢れていたのですから、ならばその「株高」が揺らぐのならば、格好の攻撃材料・・・のはずですが、惨敗による無力感から、思考停止に陥り、気がつく余裕すらないようです。
株価と政権を直結して、批判していたのは、永らく続いた自民党政権時代でした。そして2009年、悪夢の政権交代が行われてから、首相が代わっても株価が低迷することが常態化しました。ちなみにリーマンショックは麻生太郎ちゃんの時です。
そして安倍首相による政権再交替では「株高」。もはや株価は政権批判の材料にならない・・・ことはありません。日本企業の株価は国力の表れですから、その低迷は政策への懐疑だからです。
つまり、選挙という民意において、安倍首相と自公政権は承認されましたが、「アベノミクス」を株式市場は、現時点では評価していないということなのです。
何はともあれ、今回の衆院選挙は、リベラル陣営の「おつむの程度」を白日の下に晒しただけでも「大義」はともかく「意味」はありました。
先の「株価批判」に躊躇するところは、経済への理解度を明らかにしています。
大義なきとか、争点がないとか、いろいろ批判はありましたが、繰り返し述べるように「大義」があった解散総選挙の方が、レアケースです。
「郵政解散」は参院の否決を、衆院解散で問うという「八つ当たり」でしたし、麻生政権も野田政権も、追い込まれた上での苦渋の決断。
年末解散についての批判も、直近の野田佳彦による解散総選挙の投開票日は12月16日だったことを、真摯に語るものは皆無でした。
今回の選挙で、「維新の党」の退潮があきらかとなったのは、野党再編を巡るゴタゴタだけではありません。その場その場で、発言をすり替える「橋下徹」氏への審判だったいえるでしょう。
それは反語的に「共産党の躍進」が証明しますが、これについては後ほど掘り下げるとして、つまり、ご都合主義を信用するに足りないと思う日本人が、いまだ多数派だということで、実に喜ばしい結果です。
そしてリベラル陣営の仕事が減っている理由でもあります。これまではアンチ自民、自虐史観で語っていれば、内容は間違っていても発言を左右する必要はなかったのですが、アンチ自民の徒花として狂い咲いた「民主党政権」の悪夢を経験した日本人にとって、連中を称揚し礼賛したリベラルの言葉は虚しいどころか、怒りすら感じます。
余談なのでここで処理しておきますが、退潮著しいと、たびたび触れる「フジテレビ」ですが、選挙特番では「振り向けばテレ東」と揶揄されていたテレビ東京の後塵を拝する結果となり、番組では円卓に並んだ津田大介氏と古市憲寿のツーショットに「さもありなん」と納得したことを記しておきます。
高千穂大学准教授 五野井郁夫が指摘する「右傾化」についても結論がでました。「次世代の党」が解党レベルの敗北を喫し、「日本共産党」が倍増したのです。彼のおつむの程度が証明されたと言って良いでしょう。
どこがどう右傾化しているというのでしょうか。さらに自民党が単独で300議席を超えるという「予測」に対して、反対側の結果を求める「アナウンス効果(アンダーザドッグ)」が起きたのは、日本が右傾化しているならあり得ない現象でしょう。
つまり、大学教授(五野井郁夫は准教授ですが)という肩書きをもっていても、現状認識は新橋の居酒屋でくだを巻くサラリーマンと同程度の「見識」だということです。
さらに選挙中から、選挙後もこんな言説も散見します。
「(政権に)フリーハンドを与えたわけではない」
つまり、選挙結果が、安倍政権を「信任」したとしても、安倍政権の思い通りの政権運営をしてはならないということです。
どんな理屈でしょうか。間接民主主義を理解していないのでしょう。ルールにのっとり選出したリーダーに運営権を委ねず、観客席から政権を操ることを民主主義とでもいうのでしょうか。
しかし、これに「答え」をみつけた政党がありました。北海道の比例区に出馬した政治団体
「支持政党なし」
で、10万票を得ました。
以前は「安楽死党」で出馬し、それ以前は「新党本質」だった、新世代の「又吉イエス」か、「スマイル党」を率いる「マック赤坂」と期待される(か?)佐野秀光氏が党首を務める政治団体です。
すっかり話題で「ウィキペディア」でも紹介されています。
佐野秀光氏は「お酒を飲んでダイエット」を提唱しており、テレビ番組(世界仰天ニュースだったか?)で紹介されたという著書の宣伝をする「看板」が、わが家から徒歩10分の所にあります。てっきり「自己啓発系」かと思っていたら、政界進出を目論んでいるようですが、その看板の隣にアパートが建ち、ほとんど見えなくなっている様子が涙を誘います。
この政治団体「支持政党なし」には政策すらありません。代表曰く、団体名そのままに、支持政党がない有権者の受け皿になることを目指していることから「政策」すらありません。
それでは見事、当選した暁に政策をどうするかといえば、案件毎に
「ネット」
で集計するというのです。
まさに
「フリーハンドを与えたわけではない」
と主張する有識者の理想を実現する政治思想です。
ならばそもそも政治家も政党も不用という結論に至るはず。するとアンチ自民も、その受け皿も不用で、すべての議論が水の泡になります。
つまり、フリーハンド否定論とは、批判のための批判に過ぎないということです。
それでは日本共産党が躍進した理由について考えてみます。
五野井郁夫にならうなら「日本は左傾化している」・・・というより「日本は赤化している」となりますがそんなことはありません。
はじめに結論を提示します。
「共産党の躍進は山本太郎とオウムと同じ」
といってもすでに一年以上前に紹介しているので、詳しくはそちらに譲りますが、日本共産党の主張を彼らは「ぶれない」と自画自賛しますが、それは「変わらない」ことですが、つまりは「現実を見ていない」ともいえます。
■山本太郎と日本共産党とオウム真理教(みやわきぶろぐ)
http://goo.gl/26GM3W
いずれは「共産革命」を求めている彼らからすれば、現状の社会システムそのものを認めていないので「現実」を拒否するのは当然とも言えます。
原発停止、消費税廃止。これらも同じ発想。実現可能性の高低はともかく、とにかく変わらず主張し続けてきました。
一般市民は日々、原発停止について考えたりはしません。原発は怖いよねぇといいながら、快適に調整されたエアコンの下、スマホを操りながら、その電気を作る方法を考えはしません。
消費税を支払いながらも、その税がなにに使われているかと意識を巡らせることはありません。
直接間接問わず、恩恵はうけながらも、そのメカニズムには無頓着。これは当然の話で、その為に官僚や政治家、専門家がいるのです。
選挙のたびに「争点が分からない」などといいますが、それは日本の政治が上手く機能しているからで、思い出してご覧なさいな。悪夢の民主党政権時代、「中国漁船」「超円高」「就職難」「原発事故対応」「仮設住宅」「震災復旧」などなど、などなど、などなどと、いくらでも「争点」が転がっていたことを。
つまり、「争点がない」というのは、満点ではないにしろ、国民が政治に重大な関心を持たずとも機能している証拠なのです。それとも
「国民がバカすぎて政治を理解できない」
とまで言い切るのなら、それも一説として一定の理解を示すことにやぶさかではなく、こう宣言するリベラル論客の登場を楽しみにしています。
そのプロフェッショナルの一角である政治家=日本共産党が、原発即時廃止を叫び、消費税も撤廃を求めます。ずっと、変わらず。すると
「できるのかも知れない」
と信じる国民が現れることは日本人の善性です。端的に言えば
「堂々と嘘をつき続ける人はいない」
ということ。人を信じることを基本とする日本人は、盗人にも三分の理というように、相手の話に耳をかたむけ一定の理解を示そうとするのです。
これが、山本太郎が参議院議員に成り上がった理由で、日本共産党の躍進を支えました。
そしてオウム真理教(現アレフ)も、現実社会を認めていませんが、日本共産党の類似点は、そこだけではありません。一年前のブログでも紹介しましたが、オウム真理教は毎年のように信者を増やし続けています。
わが家の近所、足立区入谷に「本部ビル」を購入するほど、資金力も増しています。
相変わらずヨガサークルなどを入口にした勧誘をしているようですが、それに若者が騙されるのは
「地下鉄サリン事件を知らない世代」
だからです。その他にも「空中浮遊」や、「ああいえば上祐」も知らず「村井刺殺事件」に「サティアン」、教団内での「教祖の乱倫」という醜聞も知らず、接したオウムは山本太郎・・・もとい、正しいことを言っているのかもしれないと錯覚します。
救いを求める人々が「陰謀説」を支持しやすいのは、自分を取り巻くいまの状況をこそ「間違い」とすることで救われるからです。カルト宗教の大半と、山本太郎氏の支持者に通じます。
さらに日本共産党に票を投じる人は、ソ連の失敗を知りません。
また、北方領土についても詳しくなく、なにより日本共産党の系譜についても知りません。いわば「無知」です。
無知と貧困に親和性が高いのは事実です。格差社会が拡大したのも事実で、この責任の一端が自民党政権にあるのもまた揺るぎない事実です。
アベノミクスではありません。「デフレ」です。デフレとは、お金の価値が高まる経済状況を指し、すなわち既にお金を持っている人がより有利になります。
つまり17年も続いたデフレにおいて、17年前にお金を持っていた人、あるいは、できる限り早い段階で現金を手にした人が有利になったということです。
また、公務員のように安定した収入があれば、むしろ購買力が高まるデフレの方が歓迎すべき経済状況で、産経新聞の田村秀男氏は、デフレを放置した理由として官僚らの「気分」も指摘しています。
他方、現金資産をもっていない貧乏人の暮らしは苦しくなります。デフレにより日常製品は、それなりに入手できますが、蓄える余裕などなく、それが直撃するのが子どもの学習機会です。
はっきりいえば、バカな子どもは親もバカです。マイルドヤンキーと接する身として断言できます。身体的な特徴としての学力が低いのではなく、学習の必要性を親が感じていないことが、子どもの学力低下の引き金を引いているのです。
そこに悪魔・・もとい、共産党が笑顔でやってきます。同じくらいの確率で創価学会も近づいてきます。
支持政党がないまま「共産党」に触れた貧困層が票を投じます。貧困層とまで記すのは経験からで、足立区では昔から革新系が強く、何人かに声を掛けると共産党が見つかり、昭和時代のわが家も含めた「貧困系」は共産党(あるいは公明党)とつながります。
今回の選挙において比例区での獲得議席数が公明党26に対して、日本共産党20と近いのは「票田」が重なるからではないでしょうか。
いずれにせよ、選挙結果だけをみれば日本の「左傾化」の兆候がみてとれます。
そして「右傾化」の限界を見つけたリベラル系は、自民党の圧勝を「全体主義への傾斜」として「ファシズム」と結びつけようと舵を切ります。
こうした手をかえ品を替え、攻撃のための攻撃を繰り返す、橋下徹のような姿勢が、リベラルの退潮を招いている、すなわち「自爆」であることに、いまだ気づいていないのは民主党を支持していたから仕方がないのでしょう。
支持政党である民主党の最大の武器が「ブーメラン」なのですから。
一方、良くも悪くも自由で民主的な自民党。数が増えれば内ゲバを始めるのは、あの党の伝統で、一方向に流れることはなく、良くも悪くも
「日本人的な政党」
というのが歴史的事実です。
それを全体主義と警鐘を鳴らすのは、批判者の思考が全体主義だからです。「右翼」や「ネトウヨ」、「ヘイトスピーチ」に「ヘイトクライム」というレッテル貼りによる行動規制も、全体主義的発想です。
なぜなら、全体主義に染まっていない日本人なら
「へぇ〜」
と相づちを打ちながらも、下品なヤジには眉根を寄せ、それが身内ならたしなめるという常識を知っており、
「日本人全体が右傾化している」
といった五野井郁夫の、まるで火病のような視点に到達することはありません。
問題は山積です。手段的自衛権への関連法案はもちろん、特定秘密保護法への攻撃はますます厳しく、原発再稼働へ向けても一波乱がまっているかもしれません。
もとより「アベノミクス」の土台も揺らぎ始めています。
ネット選挙に造詣が深いらしい西田亮介氏は、津田大介氏が仕切り、朝日新聞とコラボレーションしている時点で「お里」が知れているブログサイト「ポリタス」に、今回の選挙が日本の政治の分水嶺になると寄稿していました。
政治的な分水嶺を上げるなら「2009年」。今回の安倍自民の圧勝を生み出したのは「民主党政権」への失望だからです。
あるいは西田氏も問題提起・・・まで至っていませんが、紹介していた「政治改革4法」が可決された年でもある1994年で、それは細川のバカ殿が首相になった年です。
分水嶺となったのは「リベラル」です。彼らの叫びは遠吠えに替わりました。彼らの唱えた警鐘が、空論と証明されたからです。そしてなにより、国民の支持を得ない、それは人気を糧とする売文稼業にとっては致命的です。
だから彼らは声高に叫びます。「息苦しい社会になっている」。
それを一般庶民の世界では「生活苦」と呼びます。ご安心なさいな。いまなら土建業界は引く手あまた、配送業界でもOK。額に汗する覚悟があれば、肺胞の隅々まで息で満たすことができますよ。