死刑絶対肯定論 無期懲役囚の主張

 著者の美達大和は、計画的殺人で2人を殺め、無期懲役で服役中です。仮釈放を放棄し、自らを「終身刑」に処しています。

 かつては無期懲役とは十数年から20年も経たずに仮釈放が認められましたが、いまでは30年前後になっていると本書で知ります。それを知らずに入所してきた服役囚のなかには、事実を知らされ呆然となるものもいると筆者。

 例えば30才のヤクザが「鉄砲玉」となり、対立する組織の幹部を射殺したとします。

「帰ってくれば金バッジ(出所すれば幹部待遇)」

 と聞かされていたものの、出所時には還暦です。

 そして服役囚は、失われる時間におののき、罪の深さを反省・・・などしないと著者は指摘します。

 あの時、あいつがちゃんと逃げていれば、せいぜい「傷害」で罪も軽かった。すなわち被害者が悪いと考えるのが、無期懲役を受けるような凶悪犯の思考回路だというのです。

 強盗致死でも保険金殺人でも同じだといいます。

 とても説得力があると感じたのは、以前紹介した半グレ集団「関東連合」のOBを名乗る工藤明男氏や、石元太一被告の著者に通底する「無反省」です。

 過去を心の底から反省していない「元不良」は、同じ価値観、すなわち「仲間」と関係性を保つことで、反社会的価値観を保存し続けます。

 奇しくも報じられた「コンビニ土下座」の犯人は39才と46才。ネットをさぐれば、その場にいて、むしろ「主犯」ともいえる女は子供がいるようで、それなりの年齢ですが、どうやら日頃から族車(暴走族仕様のバイクや自動車)でつるんで街中をツーリングしていたようで、報道では「会社員」となっていますが、事実だけをみれば「現役」の暴走族でありチンピラです。

 本人達も「現役」という意識はないのでしょうが、その価値観に立ち止まり、都合良くプロとアマチュアの顔を使い分けているのでしょうが、道徳的観念において、一般人のそれとは異なり、他罰的性行はこうした悪人の特徴です。

 刑務所、とりわけ著者が収監されるLB級施設では、その傾向が顕著だといいます。

 そして刑が確定した後、何を語り、隠していた真実を自慢しても罪が加算されることはありません。だから自慢話として、犯罪の状況を語り合います。

 法廷において反省の演技をみせたとしても、心の底から反省などしておらず、我が身の不運で、それを招いた被害者を恨んでいるのです。

 また、いまの刑務所は待遇が改善されており、余暇の時間には映画を見ることもできれば、本を読むことも比較的自由で、飲食、服装、移動の自由を諦めれば、衣食住は満たされ、病気になれば医者が診てくれます。

 その中での歳月の流れは、娑婆のそれと違い、10年などあっと言う間に過ぎていき、つまりは月日に反省などしないのです。

 筆者は問いかけます。

 永遠に命を奪われた被害者と、数十年とはいえ多少の制約を受けるだけで、時には笑いもある生活が保障された加害者とでは釣り合いがとれない。

 しかも反省せず、さらに犯罪を繰り返す。あるいは高齢者となって社会に放り出され、まともに働くこともできなければ、働こうという意志すらなく、かなりの確率で再び誰かを傷つける加害者を生かしておいてよいのか。と。

■死刑絶対肯定論 無期懲役囚の主張
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