胡散臭いなぁと思いながらも見逃している人がいます。著述業も嗜んでいますが、全方位的に攻撃するほど、自己顕示欲は強くなく、他人の問題を放置してあげる残酷さを認める大人の度量もあるからです。ちなみに正義と価値観の押しつけは幼児性によります。
そんなひとりが今野晴貴。『ブラック企業 日本を食い潰す妖怪』がスマッシュヒットし、一躍「ブラック企業評論家(勝手に命名)」とメディアを遊泳していますが、彼の主張には注意が必要と一筆啓上。
そもそも今野晴貴氏を胡散臭いと思った理由は、彼が代表を務める「POSSE」の存在をしたときのこと。若者の労働相談を受けるNPO法人で、やくざが作ったNPO法人もあるほどに、NPOという時点で胡散臭いというのは偏見の極みですが、そのときの今野晴貴氏の年齢は23才(プロフィールの生年月日と結成からの引き算)。
そこで思う訳ですよ。
「23才の小僧になにが分かるのか」
労働法を大学のゼミで学ぶ大学生が中心となって、とはそのPOSSEにある結成の経緯よりの引用。う〜ん、湯浅誠もそうなのですが、実際に「会社勤め」をしていないものの発言は理想論と建前論で、現場においてはマイナスにしかならないことが多く、大山鳴動して鼠一匹というか、「ブラック企業だ!」と騒いだ人間だけが有名になり、最後は人権派弁護士や左翼と結託して脱原発と反国家を叫ぶのだろうという想像が胡散臭さの由来です。
噛みつかなかった理由は、想像だけで語るならば、朝日新聞に堕してしまうからです。
今野晴貴氏をすっかり忘れていた成人の日。読売新聞に彼の名前を見つけます。ブラック企業に立ち向かうという横書きの隣に“「被害の回復」社会が後押しを”と立見だし。
困ったら社会。左翼の匂いがプンプンします。大学を休学し飯場で三月も働けば、世に言うブラック企業など鼻で笑ってしまうというもの。ま、主義主張、思想信条の自由が保障されている素晴らしい日本国。
本文はようするに、いままでの主張のカーボンコピーで、ブラック企業でいじめられた「被害者」は社会で救済しましょうね、ついては被害者が増えれば、日本国も大変なことになりますよ。というもの。
でもね。彼の定義するところの被害者は社会の一定数は必ず存在し、ブラック企業とてそれを永遠に続けることができないのは、自由経済のもとで「職業選択の自由」が保証されていれば、労働者はより良い労働条件の企業へと移っていくからです。
流れ弾をあてるようですが、かつて「佐川急便」といえば身売りを連想したものです。それなりの報酬は与えられますが、過酷な労働に体も心も悲鳴を上げる人が続出したからです。ガテン系の職場で「佐川よりキツイ」とは、厳しい労働の慣用句でした。それで今はと訊ねれば、当時と比較すれば雲泥の差。とはあるドライバーの告白です。
まぁいいとしましょう。今野晴貴氏の芸風は芸風。需要があれば踊りを見せるのがダンサーであるように、自説の開陳が金になるのが売文稼業です。
ただ、馬脚を発見します。まとめの段落でこう記します。
“また、精神科医も「お前が甘い」と言いがちだが、「ブラック企業」の実態も知って欲しい”
今野晴貴氏は精神科医の実態を知らないのでしょう。または数少ない聞き取り事例を全体にあてはめているのか、あるいは被害妄想に陥った鬱病患者=被害者の主張を鵜呑みにしています。
一般論として精神科医は「お前が甘い」とはいいません。ちょっと想像すればわかることです。精神科を受診する患者は追い詰められており、本人の責任を追及することで、帰り道に最後の一線を越えることだって充分にあるからです。これは基本中の基本。
ちなみにいまは精神科というより心療内科と呼ぶのも、「精神病」を連想させることが鬱病患者を追い詰めるからと言われています。
先の今野晴貴論文を再び見ると「言いがち」とあります。つまり一般論として今野晴貴氏は「精神科医はお前が甘いと言う」とするなら害悪です。本当の鬱病患者が、受診を躊躇うリスクを生み出しているからです。
わたしは会社員時代に「パニック障害」を経験しました。とても軽度でしたが、心療内科の門を叩きました。そのとき目の前のドクターは、わたしの話を一切否定しませんでした。
結局「自力」で直してしまったので、それぐらい軽度なものだったのでしょうが、以来、精神科・心療内科に興味を持ち、折に触れ学び、取材をするのですが、「甘い」と患者を追い詰めるドクターの話は寡聞にして知りません。
今野晴貴氏の「ブラック企業論」にも首をかしげますが、言論の自由において揶揄はしますが否定するものではでありません。しかし、精神科医について見識は改めなければなりません。なぜなら、今野晴貴氏が「被害者」と呼ぶ人の、心の最後の砦を奪うことになりかねないからです。彼の論に重ねるなら「精神科医は患者をお前が甘いと言う」とは、心療内科業界と鬱病患者にとっての「ブラック発言」です。