保守の限界と拉致被害者

保守だ革新だとイデオロギーの時代ではないとは橋下大阪市長。確かに多様化するなかで、明確に線引きするのは難しいとはいえませんが、それは体の良い逃げ口上。最近「ノンポリのオタク」という訳の分からない肩書きを新聞の書籍広告で見かけるたびに、紙面に鼻●そをつけているのですが、良き市民になり政治信条を持たないものに発言する資格はない・・・とはキリスト教に毒される前の古代ローマに傾倒しすぎでしょうか。

鼻く●。お下品ですね。メルマガでもブログでも、こうした下品な表現をしないのはわたしが「保守」だからです。保守とは伝統と継続性を重んじるということで、伝統は各国にあり、つまりは保守とは国の数だけ形があるとわたしは考えます。その中で日本の伝統からすれば、公の場(ネットはもちろん公=おおやけです)で幼稚で汚い表現をすることを是としません。

最近これが「保守の限界」と考えます。革新や左翼といった連中・・・方々は、バカだクソだと幼稚な侮蔑表現を隠しもしません。むしろ積極的に使います。方々と変えたのは、敵にすら敬意を持って接するという精神をアピールするため。そして彼らは敵のわずかなミスをあげつらい、その存在どころか先祖に遡り攻撃を仕掛けるのは週刊朝日の「橋下記事」と同じで、こうして謝罪したことまで蒸し返すのも彼らの得意技で、それを真似てみました。反対に詐称的手柄まで自分たちの活動の成果と喧伝します。すっかり左翼の活動家に洗脳された野田佳彦氏もこれに毒されていました。

手柄を自ら宣伝することを良しとしない。だから報道が左翼の詭弁に埋め尽くされます。もともと左翼シンパの報道機関にとっては当然ですが、「素材」がないことも彼らの活動を野放しにしているのです。

例えば今日は、北朝鮮により乙女の人生が奪われた日です。横田めぐみさんが拉致された日です。拉致被害者の奪還に安倍晋三自民党総裁が果たした役割は大きいことを、いま、振り返る報道をみることは皆無です。また安倍さんが喧伝することは保守の美学に反します。また、喧伝した時点で保守派のひんしゅくを買うことは自明です。しかし、あえていうなら拉致被害者の奪還は国家の責務であり、熱の冷めた国民世論を喚起し、対北政策を強力に推し進めるには「事実」の「再確認」のために強く訴えて欲しいと願います。まだ、38度線の北側に、帰国を待ち望む日本人が沢山いるのですから。

情報化社会・・・というより、情報垂れ流し時代に突入し、「言わぬが花」は通用しなくなりました。その点、教育を破壊した日教組の活動が実を結んだといえるでしょう。日本の国柄の敗北は目前です。だから反論を・・・では美学が滅びます。

政策なき結集は野合といいます。しかし、イデオロギーとは政治信条・・・というかざっくばらんな言葉にするなら

「生き様」

です。これなき「ノンポリ政治家」が辿り着く先はふたつ。大衆迎合か独裁です。依って立つものが「信条」ではなく、大衆か自分ということですので。

保守のジレンマに百年後、いや10年後の日本国を憂います。

 

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