先日、立憲民主党の枝野幸男氏は街頭演説をこうツイートしました。
「我々は生まれたばかりのよちよち歩きの政党である(だから応援してね)」と立憲民主党の枝野幸男氏が街頭演説で国民に呼びかけるが、その政治キャリア、政党人としての歴史で足元がおぼつかないのならそれは「よぼよぼ歩き」。年寄りの冷や水だよん。
— 宮脇睦@月刊正論11月号9月30日発売 (@miyawakiatsushi) 2017年10月4日
この演説が民進党の衰退を象徴するというのが、本稿のテーマながら、すると肉球新党なるパヨクな人から、
謙遜、謙る(「へりくだる」読めないだろうから書いといた)という単語を知らないジャーナリストさん発見😆 https://t.co/otdmcgjcIj
— V6-1800@肉球新党 (@V6_1800) 2017年10月4日
とご丁寧なご中傷をいただきました。どうして、私が日本語変換ソフトに頼っていることがばれたのでしょうか。ただ、手書きならば躊躇しますが、語彙としては存じ上げているので論理的には間違いです。
匿名のネット民はともかく、「津原泰水」氏というアカウントにあるプロフィールをみるに小説家らしき人物が、明らかなる名誉を毀損する言葉を投げてきます。
卑下の美徳を知らないっておまえ頭悪いのか?
— 津原泰水 (@tsuharayasumi) 2017年10月4日
公衆の面前での侮蔑は、事実の有無を問わずに名誉毀損に該当します。疑問系だから許されるのなら、路地裏のカツアゲも、ヤクザのみかじめ料もすべて合法になるでしょう。「津原泰水」氏の言葉は名誉毀損に該当する、こともある。と私は考えますが、一方で私の頭が悪い可能性も高く、ならば事実の指摘です。ただし、繰り返しになりますが、名誉毀損は事実の有無を問いません。
「津原泰水」大先生に及ばずとも、私とて補助席に腰掛ける物書き。謙遜ではなく謙虚な姿勢で「新情報」を受け止めます。
「謙譲の美徳」は知っていましたが、「卑下の美徳」なる言葉は存じあげず、ググってみてもみつかりません。しかし、私はソクラテスの「無知の知」を大切と考え、同時にネット情報がすべてでないことは知っています。そこで次のように拡散しておきます。
勉強になった。「謙遜の美徳」はしっていたけど、自分を卑しめる美徳ってあるんだ。 https://t.co/FycPOKPEmY
— 宮脇睦@月刊正論11月号9月30日発売 (@miyawakiatsushi) 2017年10月4日
すると「津原泰水」先生から光栄にもご返信がありました。
あ、ほんとに本も読まない馬鹿なんだ。じゃあ仕方がないや。
— 津原泰水 (@tsuharayasumi) 2017年10月4日
津原泰水がどれほどの本を読んでいるかは知らんけど、4畳半と狭いけど書庫同然の部屋を持つオイラでもまだ、「本を読まないバカ」だそうです。
ただし、津原泰水氏とくらべて浅学な私が述べるのはおこがましいと謙遜してみせてはいますが、読書は多様な価値観を得るための経験で、読書の有無だけで頭の優劣が決まってたまるかと考えます。
なにより、私のわずかな蔵書と読書経験のなかで「卑下の美徳」なる言葉に出会ったことはありません。へりくだることはあっても、みずからを卑しむ(いやしむ)経験もありませんが、津原泰水の手にする書物には溢れかえっている可能性がある限り、なにより言論の自由を大切と考える立場から「卑下の美徳」という言葉を否定はしません。使うこともありませんが。
さて、20年級の政治キャリアを誇る枝野幸男氏ら「立憲民主党」が「よちよち歩き」とは無能の告白です。政治経験はもちろん、日本新党、さきがけ、旧民主党、新民主党、民進党と政党の立ち上げに何度も参加しています。
こうしたキャリアから「よちよち歩き」という表現は「甘やかしてください」としか私には聞こえません。
その思想信条、これまで政治態度に一切の共感を覚えませんが、すくなくとも安保法制に体を張って反対し議論の場を冒涜した民進党どものくせに、選挙のためだけに安保法制を是とする「希望の党」に逃げ込んだ連中よりかは、主義主張を通した枝野氏らに一定の敬意を払っていただけに実に残念。
むしろ「我々は政治信条のために、それが国民を幸せにすると信じている政治理念の為に、希望の党に全面降伏した民進党と決別して新党を立ち上げた。組織の歴史は始まったばかりだが、我々は日本新党から国政を正すために戦い続けてきた一騎当千の鬼武者だ。どうか、我々を国会という合戦の場に送り出してくれ!」とでも訴えかけたなら、頑なな私の心でもわずかに動いたことでしょう。本当にわずかですが。
それが「よちよち歩き」。
だからホッとしています。今月号の月刊正論でも指摘しましたが、民進党が衰退した理由は「甘え」で、それを「立憲民主党」は見事に受け継いだということ。つまり、選挙結果のいずれにせよ、早晩、消えてなくなるということです。