ボランティア出身の政治家の限界

まずは一句。

「政党で批判の基準がかわる国」

さすがに正味1年間で4回目の大臣選任に呆れているのかもしれませんが、自民党時代ならそこから批判されていたのでしょうが、それよりもかつて「ドラえもん(誰か覚えています?)」や、小渕優子(世襲批判が渦巻くなか、弔い合戦ということで批判が緩んだのもまたダブルスタンダード)さんが入閣してもなお

「女性大臣が少ない」

と批判していたことを、女性は田中真紀子さん、ひとりだけの入閣にも批判がないことに首をかしげたら寝違えました。

というわけですこぶる体調不良につき、本題にはいります。

もはや民主党を守るためだけに存在するクズ内閣について語る言葉は持ちません。維新の会については徐々に「ボロ」が出はじめたので少し、先送りして、いま・・・というよりこの1年半、本来ならば福島の原発事故の押さえ込みと同レベルに重要だったことが

「被災地の復興」

で、この遅れについて。

これを理由に代表選を回避したモナチュー細野(クズ。女性関係は個人の問題として、発覚時に逃げ回るものは男の風上どころか風下におきたくないのでクズ認定)は内閣改造で職場放棄したところにすべてがあらわれるように、民主党政権に被災地復興などできないことを、この1年半が証明しています。

そして裏返せば、復興が進まない理由は明らかです。

「自民党政権でないから」

自民党政権ならなにができたというんだ! というアンチ自民党芸人のひな壇からの突っ込みが遠くに聞こえますが、そこに明確にお答えしましょう。いきなり結論といってよいでしょう。

「各議員の地元の土木建築業者を総動員した」

コンクリートから人へで、国内の土木建築業界を壊滅状態に追い込んだ民主党政権だけではなく、橋本龍太郎政権以降の公共事業は激減していました。しかし、自民党の代議士にとって彼らは票田のひとつです。そして

「復興は金になる」

ことを知っています。それを悪とするなら青すぎます。経済も政治も理想とリアリズムのバランスで成り立っており、まさしく一石二鳥になることを知っているのです。消費増税対策の色彩も強かったとはいえ、阪神大震災の翌年は、バブルのピーク時と同水準の公共事業費です。

そこに利権が発生する。もちろん。では、クリーンにすめために被災者ががれきのなかで、雨ざらしとなっていても良いかという問いに「YES」と答えることができる・・・のが民主党の政治家なのかも知れません。

しかし「復興利権」だけなら最長でも10年程度で、集中的にあたれば3年程度のものです。それを「必要悪」と被災者を真に考えるなら割り切れるのではないでしょうか。

この結論に至ったのは、わたしが消去法的自民党支持者だからではありません。地元の建築業者との会話から確信へと至りました。

復興が進まぬ理由に、資材不足と人手不足があります。資材があっても価格が高騰し採算が取れず、高い給料を払えば人の確保は不可能ではありませんが、復興需要のグランドデザインが示されていないなか、多く給料を支払えば、その後の経営が息詰まることは明白で、給与水準は現状維持のまま、限られた人手でやりくりしているからです。

これも5年計画、10年計画と「政治主導」で目標を掲げないことの弊害です。もちろん「平時」なら、無駄な予算を使わないように、一年ごとに支出の見直しをすることも必要でしょうが、来年の仕事が見えないなかで、事業拡大する建築業者は存在しません。

建築業者がいうには、公共事業の削減だけではなく、不景気による建築需要の減少、そして大手デベロッパーによる下請けイジメの末に廃業した「元建築業者(土木も)」は沢山いても、長期どころか中期の見通しが立たない現状では、「復職」することへの恐怖が先に立つのです。ようやく慣れたタクシー運転手の仕事を放り出してまで戻るほどの魅力がないとも。

この会社はいま被災地での物件を依頼され、現地に赴いています。地元で業者を探しても、法外な見積もりを出されたり、工事を後回しにされ、酷いケースでは手抜き工事が横行しており、知人友人のツテを辿り、東京にあるこの会社に声がかかったのです。

出張となるので割高にはなりますが、手抜きされるよりはマシとの決断で、ひとつひとつの案件を精査しながらすすめていくのであれば、こうした「実態」にたいして民主党政権やモナチュー細野がなにか手を打ったという話しを寡聞にして知りません。

最終的な受注に際して、もっとも問題となったのが「宿」でした。
ないのです。職人が寝る場所が。

ここに「も」民主党の限界をみつけます。

民主党議員のプロフィールを見ると「ボランティアあがり」を散見します。我が地元からでた3P大好き平山たいろう衆院議員(民主党のサラリーマンを後援会などでは広言して当選するも現在は無所属・・・だが、会派は国民新党で与党。どないやねん)なども、阪神大震災のボランティアをきっかけに嫁を見つけ・・・もとい、政治の世界を目指し、東日本大震災でも「政治」はそっちのけで被災地に赴いていたとホームページで自慢しています。

ボランティアの価値を棄損するものではありません。また、中長期にわたり活動するボランティアの存在がいることも知っています。しかし、災害直後にはっていくるボランティアは、直後までしかいませんし、こうした基本的にボランティアには、衣食住を自分で賄う「自己完結」が求められます。端的に言えば被災者の世話になっては本末転倒だということです。

民主党の復興対策はこの視点のままです。これが復興を遅らせている理由のひとつなのでしょう。ボランティアは市民目線でなければ真価を発揮せず、同時に市民と違う視点が求められる政治に、ボランティア的思考の持ち主は不向きなのです。優劣ではなく役割の違いです。

自民党の政治家が民主党のそれと比べて、優秀だというのではありません。ただ、自民党に奉仕の精神より、現世利益に重きを置く傾向が強いということです。

先ほど指摘したように、自民党ならオラが街の土建屋を総動員することでしょう。そこで政治家同士のなわばり争いが始まるかも知れません。利権競争といってもよいでしょう。大物議員の地元が優先されると言った不公平も起こります。しかし、土木建築業者が地元に入ることのメリットが上回るこに問題があるでしょうか。

政治とはマイケル・サンデルの寝言ではありません。多数を生かすために少数を犠牲にするのは当然です。しかもこれは経済のことに過ぎません。国民の、被災地の「国民」が、一秒でも早く日常を取り戻すためなら、利権の奪いなど些末なことに過ぎません。

そんなときは「地元優先」・・・被災地のほぼ全域が民主党の議員で、地元は彼らを選んだわけで、復興が進まぬことも含めて「選挙」の重要性を再確認するわけですが・・・被災地において地元業者を優先していたら混乱に拍車を掛けるだけです。しかし、仮に地元が自民党の代議士を選んでいたならば、形式上、地元の業者を元請けとさせ、地方からの援軍を下請けにするといった「配慮」はすることでしょう。「利益誘導」という自民党型政治の面目躍如です。

そして政治の仕事が終われば、あとは民間に丸投げします。なかには「政治献金」などを求める悪党もいますが、すくなくとも仕事の中身には口を出さず、反対に現場が仕事をやりやすいようなルールを作りはじめるのです。

ここで先の建築業者の話に戻ります。「宿」の不足により工事ができなかったといいます。

もし、自民党政権ならば・・・すぐに「飯場」を作るための各種法律や条令を特例で緩和することでしょう。

「飯場」とは土建業界における、給食室や宿泊施設の呼び名で、ウィキペディアによると、否定的な意味があるとかですが、こうした言葉狩りもおかしな話しで、いまも現場では飯場は一般用語です。驚いたのはATOK2012の基本辞書に飯場はありませんでした

仮設住宅と同時につくるべきは「職人団地(仮称)」でした。復興作業に従事する作業員や職人のための「生活施設」です。

これが「ボランティア」と「職業」の違いです。

生活の中の余力の活用としての「ボランティア」を否定はしません。しかし、復興作業に従事するならそれは「仕事」です。仕事と生活が不可分であることは、すべて満たされた都会に暮らしていても実感することでしょう。つまりは「生活」を成り立たせることができなければ作業にあたる人を確保することが難しいのは自明です。そのための「飯場」です。

そしてそこで「働く」ということは、地元での「生活」が始まることで、「自己完結」を旨とする「ボランティア」との根本的な視点の違いです。「滞在」と「居住」では、求められるものが異なります。

ここに「ボランティア出身の政治屋の限界」を見つけます。

「飯場」を作るには、こまかな取り決めがありますが、これを解除し整備できるのは政治家です。官僚は全体最適を優先するので、特例というイレギュラーを嫌うからです。そして恒常的に職人や作業員が寝起きできる「生活環境」の確保は経営者の仕事で、互いの思惑が一致してはじめて歯車は動き出します。

ここにも民主党の限界を見たおもいがします。市民活動家の思想は左翼ベースで、マルクス・レーニン主義を出発点としているものが多く、すると「経営者」ときいただけで拒否反応を示すものがおおく、実務における陳情でさえも、資本家を肥らせると毛嫌いしていることも、政権交代後の景気低迷と、復興の遅れを生み出しているのではないでしょうか。

話を戻します。繰り返しになりますが、自民党の政治家が優れているといいませんが、「現場の声」を汲み取る政治風土があるのは事実です。そして「現場の声」とはすなわち

「国民の声」

です。

建築業者が空き時間に被災地をまわると、船はひっくり返り、土台だけを残したかつての住宅地があちらこちらにあるといいます。

念のために記しておきますが、今回の本旨は「自民党礼賛」では決してありません。政治というのは「リアリティ」のなかにしか存在しえないものであるということです。

ちなみに先の平山たいろう衆院議員などは、3年前の選挙で

「政権交代です。民主党です。平山たいろうです」

で当選しました。わたしには彼も、彼を生み出した現政権与党も

「ファンタジー」

の住民としか思えません。
もう、1年半も過ぎ、それでも船がひっくり返っています。

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