お盆前、いろいろ言いたいことはあるのですが、帰省先で旧交を
暖めたり、地元でビールでも飲みながらだべったりする方向けの
ネタをお届けします。それはK-POPについて。
さて、K-POPとはなんぞや。
結論を述べればマーケティングのための用語で、Web業界における
「ソーシャルメディア」
のような位置付けでしょう。
漠然としたものは名前をつけることで具体的な存在として認知さ
せることができます。経営戦略的としては正しい方法です。
否、と反論があるかも知れませんが、歌の上手い下手やダンスの
美醜に関しては主観に依るところが大きいので、議論は避けます。
その視点からの抗議についてはお答えしかねますのであらかじめ
ご了承ください。
ツイッターで物議を醸した高岡蒼甫さんの考えに頷くことは
簡単ですが、まず、いったん「K-POP」について好きになれるかと
テレビを見てみました。
そこから歌の上手い下手、ダンスについて「主観」であり、
なにより「比較対象」により評価が変わるという「当たり前」の
結論になったので、そこを論点としないと言うことです。
話が逸れますが、韓流ドラマ擁護派が主張する
「演技が上手い。ストーリーが面白い」
に関しても以下同文。だいいち、演技は国民性と生活習慣が表れ
日本のドラマで・・・そうですね、平泉成さんが孫を交通事故で
なくしたシーンで、両手を拡げて天を仰ぎ
「オー、マイゴッド(あるいは直訳で、私の神様!)」
とやったら失笑でしょう。
さて、K-POP。素直な気持ちで耳にして、目にしての感想は普通。
もう少し言葉を尽くせば
「好きな人は好きだろうね」
日本のポップミュージックと何が違うのかが分かりません。
だから、「AKB48」や「ゆず」が好きな人がいるように「KARA」
や「少女時代」が好きな人がいるのは普通なんだろうなぁと。
調べてみると、作曲家の多くがいわゆる「J-POP」を聞いて育ち
影響を受けたと広言しているとのこと。
つまり同じ共通体験の上に創り出されたメロディに「日本語」
が乗っかれば違和感を覚える方が不思議な話だという結論。
チョー・ヨンピルさんや、桂 銀淑さんの大ヒットを知っている
ものとしては同じ系譜だと納得したものです。
その同じ共通体験から生み出されるものが今回の主題ですが、
いましばらく余談にお付き合いください。
韓国で口パク禁止法案が提出されるということは、それだけ
K-POPの世界では横行しているのでしょうが、我が日本においては
「アイドル」の口パクは珍しくなく、同じカテゴリーとみれば
批判することではありません。
いや、アーティストならば歌えと言う主張にも反論しましょう。
古来より日本の歌番組における
「外タレの口パクは当たり前」
だったのです。太平洋を渡ってきた外タレは許して、日本海
を越えてきた外タレを批判するのはおかしな話しです。ただ
先日日本で歌っていたレディーガガさんのライブ映像を見る限り
本当に歌っているように見えましたが、わざわざ海を渡って
やってこられたタレントさんに無理を言うのは日本人らしく
ありませんやね(笑)。
ついでにK-POPがヨーロッパ進出に際して、現地に近い作曲家に
依頼しているとありました。「現地化」はサムスンだけではなく
韓国の国家戦略なのでしょう。
そしてその進出したヨーロッパではこういう評価があるようです。
「J-POPと米国ポップスの踏襲でオリジナリティが感じられない」
それが「K-POP」だということでもあります。なぜなら、いまま
で作られた世界中の楽曲に影響されていない曲など存在せず、
何かにインスパイアされ、時に模倣し、あるいは上書きし、
リスペクトして生まれてきたのですから。
そしてより忠実にリスペクトしているのがK-POPなのかも知れ
ません。ここからが本題。
先ほどの評価を裏返せば「J-POP」はヨーロッパで認知されて
いるということです。
マルコポーロの「黄金の国」から始まり、「浮世絵」など
歴史的に日本文化への認識があったことは無縁ではないでしょう。
もちろん「漫画」「アニメ」が続きます。
こうした「下地」を無視できませんが、J-POPが認知された
ベースに日本独自のユニークさ、すなわち「強み」があるのです。
このことに気がついたのはK-POPのお陰です。
実際には「K-POP」と括ると多様なジャンルがひとまとめになる
のですが、日本の曲=J-POP(と、本稿では表記します)に影響を
受けた世代が作曲家となり楽曲を作ります。米国のポップスも
踏襲します。
先ほども述べたようにこれは普通のことですが、忠実に
インスパイアを表現するK-POPと、我が国を比較した時に
そのユニークさが浮かび上がってきます。
大東亜戦争の敗戦後、欧米の文化、楽曲が解放され、つぎつぎ
と上陸しました。すると、高温多湿のゆえか、四季の移ろいが
そうさせるのかは分かりませんが、独自の変化を遂げます。
それを端的に述べればこうです。
「ボブディランが神田川に。ビートルズがザ・タイガースに」
時代背景や系列のこまかなところは省きますが、輸入された
フォークソングは時代を経て銭湯で洗い髪が芯まで冷えるよう
になり、ビートルズの影響を受けたグループサウンズは、雨が
しとしと日曜日となりました。
そこからニューミュージックが生まれ、従来の歌謡曲にも
刺激を与えながら「ロック」が添加されました。
正確を期すならロカビリーやR&Bにも触れなければならないの
ですが音楽史ではないのでご容赦を。
続けます。「パンク」にしても遠藤ミチロウのイメージが
色濃かった時代も何のそのといった「THE BLUE HEARTS」が
登場します。
30代以上の方なら、絶大なる人気をご存じでしょうが、
当時のバンド小僧の間では支持者と同じくらい
「歌詞は青春歌謡」
と反発するものもいたものです。
パンクまで辿り着いたのでハードロックやヘビーメタルから
派生したのが「ヴィジュアル系」。異論を覚悟で言及すれば
「BOOWY」の影響もあったとみています。
それまでのロックっぽいファッションとは、海外のそれの
模倣だったものに、「コンセプト」という概念を持ち込んだと
いうことです。
そしていま、化粧から仮装、あるいは特殊メイクのレベルに
まで独自の進化を遂げています。
ヒップホップやラップも、社会への不満や、格差を呪うもの
よりも、彼女への切ない思いや、家族への優しい感謝が叫ばれ
るのも日本ならではで、特に「ライム」と呼ばれる韻を踏む
歌詞は
「駄洒落」
と親和性が高く、新橋で唱えれば「オヤジギャグ」と呼ばれる
ものも少なくありません・・・というか、詳しくないのですが
ときどき見知った曲の「歌詞」を見てみると、かなりの高確率
で駄洒落がはいっています。
本題に戻します。
J-POPがヨーロッパで認知されている理由は
「日本人というフィルター」
を面白がっているんでしょう。
モーニング娘。やAKB48のようなお嬢さん達の「群舞」や
アニメのキャラクターのようなヴィジュアル系などなど。
民族や国家のフィルターを「文化」と呼び、これは日本が
日本として世界に誇れるもの。たぶん、K-POPを仕掛ける人たちが、
本気でフォークソングに挑んでいれば「神田川」に至ることはない
でしょう。
これが「文化」の違いです。
文化には好き嫌いはあっても、優劣はないと考えます。
主観による高低はありますが。
ただし、「認知」とはしましたが、ヨーロッパを
「席巻」
している訳ではありません。残念ながら。