ローマ人の物語〈38〜40〉キリストの勝利〈上・中・下〉

 なにを今さらという突っ込みはナシで。
最初に手に取ったのが「文庫版」で、それも20刊を超えると
全部文庫で揃えたくなり、文庫版が出るまでまって買って読んでい
ます。

「ローマ人の物語」に、かつてのローマ人は登場しません。

いや、唯一「背教者」と呼ばれるユリアヌスは「法」に従った
ローマ人として登場しますが、時代を染め、世界史を塗り上げる
キリスト教の前には虚しい抵抗に過ぎません。

敬虔なるクリスチャンにとって、塩野七生さんの「解釈」は、
意地悪に過ぎると感じるかも知れません。しかし、八百万の神を
漠然と信じ、神も仏も「ちゃんぷるー」することに違和感も罪悪感
も覚えない私からすれば、「一神教」が劇薬であると十二分に
理解ができます。

そして「暗黒の中世」。私が「歴史」を学んだ昭和において

「未来は正しく、過去は過ち」

でした。特に日教組教育も影響したのでしょうが、時代は常に
進化発展するベクトルで、非生産階級の武士が闊歩した江戸時代など
醜悪で、さらに文明開化で少し、光明が射すも、暗黒の軍国主義へと
つながり、終戦により「解放」されたという歴史観です。

そんな私が「暗黒の中世」ときいて想像したのが「オカルト」
でした。魔女狩りを筆頭にドラキュラとフリーメーソンなど、
まぁ「ムー」の世界観を勝手に妄想で結びつけ、それをもって
「暗黒」なのだと。だって、未来に向けて、つまり過去からすれば
現在に向けて、人類は進化し続けているのだから!

・・・江戸時代、人類史で希有な「武器の進化が止まった」こと
を知ったのは授業ではありません。ここらから、日教組の教える
「歴史」に疑問を持ち、士農工商で虐げられた農民のなかに「豪農」
がいたことをしり、さらに「苗字帯刀」も銭金で可能だったこと、
あるいは「商人」でも許される場合があったことなどなど、

「固定された身分階級で夢も希望もなかった江戸時代」

のイメージは完全に崩壊したものです。

西洋の中世において「ルネッサンス」がなぜ起こったのかも
不思議でした。授業中の印象では「懐古主義」でした。あぁ西洋人も
セピア色のアルバムをめくるように過去を懐かしむんだ。と。

もちろん、根本から違います。

「キリスト教価値観」に染められた中世へと繋がるこの時代。

「法の民」だったローマ帝国が崩壊した最後の一撃は・・・あえて
記しませんが、今回の副題がすべてを表しています。

■ローマ人の物語〈38〜40〉キリストの勝利〈上・中・下〉
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