石原慎太郎都知事が東日本大震災を受けて「天罰」と発言し
物議を呼びました。すぐさま訂正したところに彼の老いと迷いを
私は見つけました。
老いとは、まだ彼が若ければ、些末な揚げ足取りのような批判は
「馬鹿馬鹿しい」
と突っぱね、筋違いの私的には論陣をはったことでしょう。
都知事選の直前ということを割り引いても、時の流れの無常を
感じずにはいられませんでした。
次の「迷い」も大きいでしょう。特に近隣国に「極右」と尊称
をうける彼にとって、現代日本の体たらくと、そこに襲ってきた
大震災に人生を振り返ったのではないでしょうか。
本書はそこからの慎太郎なりの「ケジメ」です。
遺書といっても過言ではないでしょう。それは編集者の手による
ものかもしれませんが、各段落の一行目はくだけた文体で、読みや
すくなっており、いつもの文章とは違うものです。進むにつれ、
筆が乗ってくると、いつもの慎太郎節なのですが、こうした
ひとりでも多くの読者に理解して貰おうというすがたに、政治家と
してというより、戦後を作ってきた自負と自責をあわせもつ老人が
手渡そうとするリレーの「バトン」をみてしまいます。
長すぎる第一章は政権与党にいたものとしてみてきた「昭和史」
と、いまだ米国の属国、彼の言葉を借りれば「妾」としての
日本への慨嘆を「平和の毒」をキーワードとして展開します。
第二章は現代日本への老人からの警鐘。
今回あえて「老人」としたのは、慎太郎に感化されたから。
というのは、
「おい、じいさん、もう引退せいや、あとは俺たちに任せて」
といわなければならないわれわれ世代の「覚悟」として。
あ、「天罰発言撤回」について、もうひとつ。
石原慎太郎氏は照れたのかも知れません。
あまりにも素直すぎる感想に、作家としての自分を。
安保についても指摘しています。
「有事の際に米国が守ってくれるわけがない」
なるほどと頷きます。核武装にしても「議論」だけでも効果が
あるというのは全く同じ主張です。
そして近日紹介するケビン・メアの「決断できない日本」を
続けて読むと・・・本当に面白いです。
■新・堕落論 我欲と天罰
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