JEITAのシンポジウムに参加する前に読みたかったと公開し
ました。
原題は「ザ・カルト・オブ・ザ・アマチュア」。
意訳すれば「大衆参加信仰教」といったところでしょうか。
Web2.0という「いかれた」世界に警句を発します。
拙著「Web2.0が殺すもの」と重なりますが、著者はシリコンバレー
バブルの向こう側の住民。つまり、礼賛することで儲けることがで
きる「連中」のひとりだったところが大きく異なります。
私は冷静に「祭り」を眺めて綴りました。
著者はインサイダーとして祭りに唾を吐きます。
軽妙なテキストを選びながらも敵意を隠さずに。
そして断言します。
「素人如きに専門家の仕事ができるわけがない(意訳)」
ところが「Web2.0」的な世界の中では専門家が素人同列に
扱われます。ひとつ引用します。
ウィリアム・コナリー博士は、ケンブリッジにある英国立極地
研究所の気象モデルの大家であり、多くの著作物もある地球温暖
化のエキスパートである。その博士は最近、ウィキペディアの
地球温暖化の項目を巡って、ウィキペディアのなかでも特に
攻撃的ま編集者と大論争を演じた。博士がその項目で気づいた
間違いを訂正しようとしたとき、「自分の主張とあわないPOV
(PointOfView=見解)はすべて意図的に排除して、自分の
POVを押しつけている」として非難されたのである。
(52ページより引用)
その結果、どうなったかというと博士はウィキペディアより
ペナルティを与えられたとつづきます。匿名の編集者と世界的
権威が同列で扱われ、それはカタルシスかも知れませんが、
果たしてそれは「叡智」と呼べるものなのでしょうか。
さらにその無料と善意と素人で成り立つ「叡智」により、
出版社や新聞記者、専門家の仕事を奪ってしまい、その先に
待っているのは「叡智の断絶」です。
多少詳しい素人(アマチュア)と、専門家の違いは大きいの
ですがWeb2.0を礼賛する人はそれを認めません。
拙著の中で「馬鹿の下限」について指摘しました。
大衆参加による叡智というがその参加者が馬鹿ばかりなら
意味を成さないどころか害悪だということです。
そしてことあるごとに私はいいます。
「人は愚かです。だから歌を歌いドラマに涙をします。
常に合理的選択を下すなら“嘘物語”を好むことはなく
しかし、それでも人は選ぶものなのです」
Web2.0礼賛者は「お利口さん」ですが、世の中は
そうでない人の方が圧倒的に多く、そこを見誤ると議論も
商売も上手くいきませんよということです。
ところが本書を読んで新しい考えが芽生えました。
「もっとも愚か者はWeb2.0礼賛者」
自縄自縛というか叡智や集合知という言葉酔いしれて
本当の叡智や文化を破壊し、しかも破壊している行為にも
気がつかない愚か者ではないかと。
■グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか?
http://www.as-mode.com/check.cgi?Code=4901679856