1分でわかる「安倍一強」が間違っている理由

1分でわかる「安倍一強」が間違っている理由

 第48回衆議院選挙の火ぶたが切って落とされました。選挙戦を通じて議論が深まることもありますが、一部の党を除けば付け焼き刃的な公約が多く、簡単に言えば「語るに値しない」政策ばかりです。

 そうなってしまった理由については後に指摘しますが、そもそも論で、政治報道におけるマスコミ報道のおかしさについて、選挙も始まったので「1分でわかる」説明を試みてみます。

 まずは「安倍一強」について。

 マスコミや野党は「安倍一強」と繰り返します。

 まるで安倍晋三という独裁者が権力を握り、国政を私物化しているという印象操作ですが、安倍内閣は、元総理で派閥の領袖の麻生太郎氏が財務大臣兼副大臣に構え、党内では二階俊博幹事長が支えています。

 さらに今回の選挙で勇退を決断した谷垣禎一氏は、下野した自民党の支持を回復した立役者であり、怪我に倒れるまでは幹事長として党を支えてきました。

 当初は石破茂氏を重用し、直近の改造では河野太郎氏や野田聖子氏を抜擢するなど、首相から距離があると見られている人物も登用しています。

 職場に隣接する保育園への公用車での送迎とは、「働くママ」の視点で見れば、問題視する方がおかしな騒動となった金子めぐみ前議員を、総務大臣政務官に配置していました。

 ベテランから若手まで網羅し、また公明党にもしっかりと配慮した「連立挙党内閣」であることが安倍内閣の強みです。

 つまり、「自公一強」か「一強多弱」が正しく、「安倍一強」という切り出し方がそもそも論で間違っているのです。

 ここからは「知ったかぶり」ができるネタとマスコミの問題に切り込みます。

 挙党内閣である理由は、その自民党を離れ、希望の党から出馬した福田峰之前内閣府副大臣のツイートから確認できます。これもだいたい1分でまとめてみます。

 マスコミが報じる通り「安倍一強」なら、他はザコになりますが、キラ星の如く有名政治家が応援演説にはいり、安倍政権に批判的な石破茂元幹事長までもが駆け付ける。まさに「挙党」での選挙戦です。

 対して小池新党こと「希望の党」は、「小池一強」ですので、彼女が街宣に立たなければ閑古鳥の鳴く候補者も少なくありません。福田氏もそんな一人なのかもしれません。

 挙党内閣であることについてはここまでですが、自民党が強い理由を知る反面教師として、福田峰之氏についてもう少し取りあげてみます。

 福田峰之氏は選挙に弱く、毎回比例復活の「ゾンビ議員」で、副大臣に任命したのも「箔」をつけて「下駄」をはかせるためでしたが、それでも苦戦が伝えられ、ともすれば自民党から公認されない恐れがあった。そして希望の党へと逃げ出して、生き残りを画策したとみる政界通は少なくありません。

 神奈川から東京5区への国替えという事情もありますが、23年間もの議員生活のなかで、ポスター貼りをしてこなかったという告白であり、また「自民党」の組織力を頼った選挙戦を展開し、比例復活という自民党の力で政治家になった人間が、ボランティアの大切さを理解せずに国替えを受け入れたということです。その脳裏によぎったのは「小池一強」における人気でしょうか。

 こんな話しもあります。

 筑地マグロ仲卸三代目としてメディアでも、いまは特にネットメディアで大活躍する生田よしかつ氏は、福田峰之氏に初めて会ったときは「ゴム長」で、あきらかに見た目が「現場の人」で、そんな生田氏を福田氏一瞥もくれず無視していたといいます。

 前回の選挙期間中、新藤義孝元内閣府特命担当大臣を選挙区の埼玉県川口市内で見かけました。候補者が仲間を連れて練り歩く、いわゆる「桃太郎」の最中でしたが、彼の周りには普通のおばちゃん、おっさんが近づき、握手しながら国政の意見を交わし、支援者の近況報告などしていました。

 つまり街に溶け込んでいるのです。これが自民党の強さの一端です。政党としては権力の中枢にありながら、テレビ中継にでてくる有名議員だとしても、地域に根を張り、地元に溶け込む。

 「このハゲー」で勇名を馳せた女史が、地元で大人気と週刊誌が報じていましたが、話題性だけではなく、こうした活動の積み重ねという下地があったからかもしれません。

 反対に地元に愛されていない議員は、いずれもせずに淘汰されていきます。現場の人間を軽んじるものに一票の重みはわかりません。泥だらけの作業員でも、埃にまみれた清掃員でも当然ながら国民です。どれだけ組織力が強くても、担げる御輿(人間)でなければ人は離れていきます。

 こうした積み上げがあっての「自民一強」です。そして幅広い人材の力を集めての「挙党態勢」です。安倍が魔力を使ったのではなく、安倍晋三を掲げる自民党に数多くの評が集まった結果で、これを一般的には「民意」と呼びます。

 それではなぜ、自民一強ではなく「安倍一強」という言葉を使うのか。それは中傷を目的とした「レッテル」です。これについても1分で説明します。

 ドイツは先の大戦に深い反省をしている。とはレトリックで、戦後のドイツ(西ドイツ)は、その罪をナチス党や独裁者ヒトラーに押しつけています。

 第一次世界大戦で、天文学的な賠償金を旧ドイツに押しつけ追い込んだことが、ナチスを生み出したという反省もあり、その態度を追及しないことは欧州諸国のひとつの大人の知恵とも言えます。

 これの反対が安倍一強というレッテルです。

 民意の集合体である自民党ではなく、安倍晋三という個人を「悪魔化」することで、批判の構造を単純化し、一般大衆を扇動、洗脳しようという手口です。実体を示さぬまま風評を拡散している。それが「安倍一強」です。

 レッテル貼りの怖さは「モリカケ」による支持率低下に明らかでしょう。つまり、倒閣運動、倒閣のための政治工作といっても過言ではありません。

 冷静に事実を照らせば「レッテル」の洗脳から自由になることができます。

 森友学園では安倍昭恵夫人から金を貰ったと主張する容疑者はいても、安倍家にお金をあげたという人はおらず、加計学園においても同じです。かつて田中角栄の「金権政治」がありましたが、安倍首相にそれほどの力はありません。

 確かに安倍政権は改憲に必要な3分の2の勢力を保持していますが、衆参供に公明党などの協力があってのことです。

 対して日本の憲政史上、もっとも議席数を確保したのは2009年の「政権交代選挙」を制した民主党で、単独で308議席を獲得しています。

 このとき「民主一強」「鳩山一強」と批判調に報じたメディアはありません。

 党内に批判する勢力がない、安倍首相の対抗馬がいない。だから安倍一強だ、とは屁理屈です。

 完璧な政治などありません。多少の問題を孕みながら、外交、安保、株高、就職率アップ、復興支援と、概ね順調に国家運営が為されているなら、急いでリーダーを変える必要性はありません。

 冒頭に述べた政策論争が語るに値しない理由も「安倍一強」というレッテルにあります。最後にこれも1分でまとめます。

 安倍一強のレッテル貼りでマスコミも野党も思考停止しました。最たるものが「安倍政権下での憲法改正に反対」というもの。

 政策にせよ憲法改正にせよ、簡単に言えばルールづくりで、もっといえば「作文」の話です。安倍首相が発したからと、書いた文字が現実世界に躍り出て、誰かの首を絞めるとはハリーポッターなどの見過ぎでしょう。

 誰が発した憲法草案であっても、内容を審議するのが国会の仕事であり、外からチェックするのがマスコミの担う責務です。

 ところが「安倍だからダメ」。

 安倍総理にだって政治家としても人間としても、やがて寿命が訪れます。それは日本国よりは長くないでしょう。安倍首相は神でも悪魔でもないと考えます。民意により多数を与えられた首相に過ぎません。つまり「安倍だからダメ」との主張は「民意を無視する」との宣言に等しいのです。

 これが「安倍ダメ」を前提とする野党の政策が、議論に値しないとする理由です。だって、民主主義を否定しているわけですから、認めることなどできません。

 もちろん投票先は有権者が決めることですが、「安倍一強」を繰り返す候補者政党を見かけたら、十分に注意が必要です。

 その候補者の視線先には悪魔が見えているかも知れないからです。

 少なくとも私は悪魔が見える人より、政策を通じて日本の未来が見える候補者を応援します。

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