それだと地震の悲劇性が演出できないじゃん

 熊本地震による犠牲者に哀悼の意を表し、被災された方々がわずかでも心落ち着き、一日も早く、日常を取り戻すことを祈念しております。そして微力でも必用とあらば、できうる限りの協力を惜しみません。お気軽にお声かけください。

 では本編。

 あえて言います。なんか温くない?

 東京にいるからか、私の感性の問題か、熊本地震における報道と受け止め方が温い、というか鈍い気がします。

 まず、初報というか4月14日夜の震度7強は、大変な揺れながらも、東日本大震災のときどころか、常に繰り返される

「前震か本震か」

 の議論がなく、ぬるっと「本震」のように報じられていたように感じたのは私だけでしょうか。

 というのは、地震予知は現時点においてもほぼ不可能で、事後に検証し、確定していく作業の繰り返しで、希望的観測で言えば、近い将来予知に向けた情報収集段階と言えるレベルです。

 だから、大きな揺れの直後に、これが本震か、あるいはより大きな地震の前触れである「前震」かの見極めは、現実的に不可能だとは東日本大震災のときに繰り返し耳にしたことです。

 だから油断するなと警戒を呼びかけます。1日、2日と経過する中で、徐々に「3.11」が本震だろうと確定していきましたが、数々登場した有識者のなかで、絶対と太鼓判を押す者はいなかったと記憶しています。そして1ヶ月から1年は油断ならないとも。

 熊本地震では震源地が浅かったこともあったのか、こちらの報道チェックが不十分だったからかわかりませんが、こうした警戒の呼びかけはあまり耳にしませんでした。

 結局、本震は4月16日の未明の揺れが本震で、阪神淡路大震災の1.4倍のエネルギー。

 歴史にイフはないとはいえ、本震がくる可能性を呼びかけていれば、救えた命もあったと考えます。具体的には1階の危険性です。

 前震、本震、余震という区別はともかく、大きな揺れから1週間は同程度の地震が起こりやすくなっており、一度目の揺れで構造にダメージが与えられている場合、二度目には耐えられず倒壊する可能性は高く、三度・四度と回数と共にリスクは上昇します。

 そこから、ある程度の揺れが頻発しなくなるまで、一階の居住は避けるのがベスト。とは、阪神淡路大震災から得た教訓のはず。さらに東日本大震災が強化しています。

 犠牲者の中には阪神淡路大震災の後に生まれた大学生もいて、しかし、生きた経験からしか学べないほど人は愚かではなく、先人の経験を受け継いでいきていくものです。ましてや東日本大震災はたった5年前のこと。

 あえて苦言を述べるなら、どこか他人事ではなかったのか。阪神淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災のすべてにおいての被災地以外と、なによりマスコミです。

 とまでいうのは、熊本ではありませんが、九州出身の知人は、東京に来るまで地震を経験したことがあまりなかったという告白からの推計です。それは報道機関にも漠然とながり、つまりは九州に地震は起こらないという意識が根底にあり、いま起こっている現実を、素直に受け入れていなかったのではないかとも。

 責めているのではありません。こうした油断があったのなら、それを確認することで糧としなければならないということです。

 先月まで東京にいて、いま大分県の実家に戻っている知人と、携帯電話で連絡を取ると「こっちの人は地震に慣れていない」と言います。

 彼は東日本大震災を東京で経験しており、大分の揺れはその時の東京と同じくらいだったそうで、ビックリはしてもまたか程度だったのに比べて、まわりの慌てっぷりはすさまじく、生活圏がまったく異なる北太平洋側の大分県でも、ドラッグストアから物資が消えているそうです。

 ライフラインが寸断した被災地はともかく、その周辺地域なら、1週間も待たずに物流が正常化するのは、東日本大震災からの教訓ですが、広く共有されていません。

 さらに物資不足ばかりを報じるメディアが追い打ちをかけているに違いありません。

 明日で「前震」から1週間を迎えますが、日を追うごとに繰り返してしまうのがこれ。

「東北の人は偉かった」

 文字通り未曾有の、再起の言葉も虚しいほどの被害を受けていながら、助け合い、分け合い、励まし合っていた光景を思い出します。

 一方で4月16日未明の本震から、3日もせずに不便とともに、不平と不満ばかりが繰り返し報じられます。

 比較はそぐわぬことながら、家屋敷どころか、自動車まで津波で流された東北の被災者は、きっとこの悲しみに同情することでしょうが、雪降る3月の東北と水温む4月も後半を迎えた火の国熊本。

 自動車内での居住により、繰り返し警鐘が鳴らされていたエコノミークラス症候群により女性が死亡したことが、一様に悲劇として報じられます。

 しかし、屋根が怖いといって選んだ車中泊なのか、家屋倒壊で避難所にすら入れずの選択なのか。これにより状況はまったく異なります。

 また、車中泊でも軽自動車は狭く、ワンボックスなら快適でしょう。さらに、日中の活動状況にも左右され、失意からふさぎ込み、ずっと車中にいたのか、積極的に活動し、充分な水分補給をしていたのにエコノミークラス症候群を発症したのか。私が入手した限りの報道では確認できませんでした。

 なぜ、こうした詳報が必用なのかと言えば、車中泊そのものがエコノミークラス症候群の原因という誤解が、被災者の不安心理をかき立てるからです。

 車中泊が問題ではなく、寝るときの姿勢や備え、あるいは体質・体調に問題があったと考えるべきで、そこを正しく報じなければ、いたずらに不安を煽るだけです。

 また、心の問題は他人がとやかくいえないことながら、屋根が怖いと言っても、一般的な日本の木造家屋の場合、屋根瓦は外に落ちる構造になっており、天井が落ちてきても、多くはベニヤ板レベル。

 梁にしても、構造を支える柱と違って比較的軽い素材が使われているか、本数を減らしています。なにより何かのバツゲームのように、屋根が「面」で落ちてくることはなく、崩壊は弱い部分が折れひしゃげます。すると居住空間には必ず、隙間ができるものです。

 語弊を怖れずにいえば木造家屋の2階なら、震災による倒壊だけで死ぬ確率は低い、あくまで1階との比較ですが、テレビで大活躍中の防災・危機管理アドバイザー 山村武彦氏も指摘しています。

■防災システム研究所
http://www.bo-sai.co.jp/jisinkokoroe.html

 自己責任の極論ながら、震災後もしっかりと、つまりは家が真っ直ぐ建っていて、エコノミークラス症候群に怯えるぐらいなら、2階の寝室で、窓を開けて寝る方が良いと誰も言いません。なお、窓を開けておくのは、揺れで建物が傾いたときの脱出路です。

 重ねておきますが自己責任の暴論ではあります。しかし、いたずらに不安を煽るより健全と考えます。

 さらにいえば、新聞紙を身体に巻き付けるだけで、寒さはしのげますし、仮に被災してやることがないのであれば、暖かい昼間に、日の当たるアスファルトで寝るのもなかなか気持ちの良いもので、寒い夜は起きて、たき火の番をするという選択肢だってあるのではないでしょうか。なお、地震の直後「火」は厳禁。これは報道される「車中泊」の広いグラウンドのある場所での提案です。

 なぜ、メディアは、東日本大震災と比べて報じないのでしょうか。まるで、

「それだと悲劇性が演出できないじゃん」

 といわんかの、紋切り型の熊本県民の嘆きを繰り返す報道に、かえって「温さ」を見つけずにいられません。

 それでも、熊本産のトマトを購入ぐらいはしていますが。

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