※新年特別号につき、ちょっと・・・かなり分量多めでお届けします。
新年あけましておめでとうございます。本年も本稿におつきいただけましたら、幸いと挨拶をしながら、時計の針を昨年まで戻します。
昨年の12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝しました。まさに絶妙のタイミング、これを逃せば、参拝は未来永劫できなくなった最後のチャンスに参拝しました。
タイミングの第一は就任満1年。これを逃せば、安倍晋三を支持した保守層の支持が離れることは必至でした。さらに堅調な株価。結局、大納会は高値引けして、一方的な安倍批判をすれば、経済界を敵に回しかねない状況に、歯噛みしたのが日経新聞。記事で叩けない分、コラムでちくちく攻撃し「国家観より経済」と珍説を開陳する始末。国家観がなく経済だけを追い求め「エコノミックアニマル」と馬鹿にされたことを、すっかり忘れてしまったのは、経済界の競馬エイトである日経新聞にとっては当たり前のこと。外れた予想を覚えているようでは、無責任で軽薄な経済「予想」などできないからです。モラルよりマネーがヘイトすべき彼らの生き様です。
それから国内事情でみれば「日本維新の会」という烏合の衆でも、一票を持っている国会内の山本太郎(あ、こいつも国会内にいましたね)に票を投じた都民のような連中への牽制球としては最高でした。
旧太陽の党の後期高齢者の追い出しを狙った、政治家になることだけが目的だった「若手」と呼ばれる維新の会のおっさん連中のクーデターに、人品軽い橋下徹がフワッと流れかけたときの参拝です。江田憲司という脱走兵が仕切る「結いの党」・・・送り仮名付きとは、やつらの知性が透けて見えます・・・は、懸念を評したとしても、いかな言葉を左右するに巧みな橋下徹とて、太陽の党に近い発言しかできません。そして猪瀬直樹の辞任による次期都知事選において「そのまんま東」のような軽率な男が、年末年始の話題となることの阻止に成功する最適のタイミングでした。
中韓の反発は予想通りで、しかし想定以下だったためか、左傾メディアは挙げた拳の下ろしどころに苦慮していたら、米国から「失望」との朗報が飛び込んできて、これにしがみつきます。
馬脚が現れる(いや、むしろすべて見えているのですが)たのは「放射脳」も含めた左翼の連中です。日頃「対米追従」と批判しながら、失望コメントを受けて
「米国様がお怒りじゃ!」
と、錦の御旗のようにツイッターで拡散しているのです。
本当に日本型左翼です。学生運動もファッション感覚でやっていたり、ムーブメントとして参加するも、仲間が逮捕されたり怪我をするなどしたりして、さらには就職の季節が迫り「転向」した連中のことで、団塊世代に非常に多く、社会主義革命も共産革命も、どちらに完全に染まるというよりは、米国型消費文化との融合といえば聞こえは良すぎるのですが、結局は米ソどちらかの庇護の元の平和を前提とした箱庭の中の革命ごっこに興じていた奴らの主張と放射脳が見事に重なります。
こうした日本型左翼の転向組は、それなりに社会のなかでステータスを築きあげています。なぜかといえば「ブーム」に敏感で、機をみるに敏は処世術における能力で、ポピュリズムの極北を目指すには欠かせず、左翼ムーブメントを「バカバカしい」と歯を食いしばりネジを作り続けた工場のオヤジより、旨い汁をすすることができたのです。
市場原理主義社会において、文化勲章受章の高倉健さんのように「不器用」では損をします。
つまり学生運動というブームに乗った左翼や、左翼崩れは、ホコ天で躍った「竹の子族」と心根においては変わらず、本気でダンサーやパフォーマーを目指したわけではなく、その場の「ノリ」で時代にくっついていった連中だということです。だから学生運動という左翼ブームが去ると、そこから離れます。彼らにとってのマルクスとは、21世紀初頭のルーズソックスと同じファッションアイテムに過ぎません。
連中にも時は平等に訪れ、余生を見つめると年齢と成り、先祖返りをしていることも、現代社会の病巣のひとつで、人生の先輩に失礼と承知をしたうえであえて箴言するならば
「だまれ」
と申し上げておきたい。少なくともあんたらは今の日本を創りあげた責任の一端があるのだよと。反省と経験を踏まえた言葉には含蓄があり、ありがたく拝聴もしますが、青春の夢、ふたたびと脱原発や、それに連なるデモに刺激されたか、左翼フォーマットに先祖返りしての発言は愚かさの告白です。
自称保守派だった人や、小林よしのり、小泉純一郎に代表される「脱原発」に通底するのは「安定・安全」を盲目的に信じていたから、放射脳、もとい放射能の危険を顧みることもなく60も70も年齢を重ね、震災・事故をうけて「危険だ」と騒ぎ立てる心理状態を「パニック」、そして「ヒステリー」と呼ぶのです。放射能は、医療はもちろん、自然界に存在するものまで、野放しで安全だったことなど一度も無い・・・ことを知らずに還暦を超えた人々をわたしは幸せと評することができません。ま、ポピュリストって大衆に都合の悪いことを知らなかったり、知っていても隠したりする人なのですがね。
話を戻します。放射脳の連中が、原発を止めろといいながら、電気を使うネットやツイッターで戯れ言を拡散しているように、日米同盟をはじめ、対米追従を批判しながら、ひとたび米国が不快感を表明すれば、その言葉を錦の御旗とはしゃぐ様を「卑怯」といいます。
原子力政策において対米追従は、安全保障の制度に組み込まれています。だから脱原発を本気で短期に実現した暁には、対米関係の悪化は必然です。それは首相の靖国参拝で「失望」するレベルではありません。いや、だからこそ靖国参拝はせずに米国の機嫌を取ってというのは論外。
これが内政問題であることは、小泉純ちゃんが首相の椅子に座っていたブッシュ大統領時代の米国の発言です。一方の原子力政策は国際問題です。核の平和利用と、核不拡散、さらには核兵器までからみます。日本一国の内政問題とは桁の違う「失望」を求めているのが「放射脳」の主張であり、ならば今回の「失望」などものの数にもなりません。むしろ左翼はみな万雷の拍手で・・・ってこれは無理か。
はい、ここで気がつきましたか。米国が二枚舌であることを。それは二大政党制だからです。いまのオバマは民主党・・・米国の・・・です。ブッシュは共和党。伝統的に民主党は親中嫌日で、共和党は民主党との対比においては反対です。『ドラえもん』でいえば、共和党はワガママで暴力的だけど人情家でもある「ジャイアン」で、優等生の「出来杉くん」を気取りながら利に転ぶ「スネ夫」が民主党。ちなみに日本は四次元ポケットからお金を出し続ける「ドラえもん」。それにたかる「のび太」は近隣諸国のあの国です。成功すると図に乗り、失敗するとドラえもんの責任と不満をぶつける女性大統領の国です。
先に触れたように、ブッシュ率いる共和党の米国は、靖国参拝を「内政問題」とし、オバマの民主党は「失望」を嘆きます。
直結するわけではありません・・・いや、系譜としてはあるのですが、論旨とずれるので今回は割愛・・・が、先の戦争の開戦へと持ち込んだのはルーズベルトであり、彼は民主党の大統領です。
戦後、占領軍(米軍)の導きにより生まれ、日教組教育により普及した「歴史」によれば、真珠湾への日本の奇襲が戦争の火ぶたを切ったとされていますが、その前に資産凍結など、当時の常識に照らせば「宣戦布告」と同等のことを、民主党の米国は行っており、奇襲攻撃でいえば米英の得意技といっても過言ではなく、いまでも米国は対テロ戦争の名の下に「奇襲」を繰り返しており、なぜか真珠湾だけが過大にヘイトされるのも論旨ではないので再び割愛。ただ、事実として記しておきます。
とにもかくにも、日本の民主党と同じく、米国の民主党は嫌日の傾向が強いのです。もちろん、個々人レベルでは日本好きも多く、対日工作員のデーブ・スペクター氏などもそのひとり。工作員といっても日本人を拉致することはないでしょうが、情報収集と宣伝戦の尖兵であることは疑いようがなく、靖国問題でも彼は米国を代表するかのように苦言を呈していました。デーブ氏を警戒せよとはいいませんが、これが世界の常識であることを我々日本人は知るべきでしょう。
いや、デーブ・スペクターという工作員の発言は、駄洒落と芸能ネタを除いて警戒すべきと感じたのは、今年最初の放送となった1月5日のTBS『サンデー・ジャポン』で、靖国についてのコメントで
「ドイツのメルケルもコメントを発した(意訳)」
としていますが、ネット検索で発言は見つかりませんでした。唯一見つかったのはドイツのメルケル首相の報道官をつとめるザイベルト氏の発言で、ニュースソースは「中央日報」で、「広島と長崎への原爆投下を神の懲罰だと主張」とウィキペディアにある朝鮮の報道機関です。本当にこれをネタ元にしていれば意図的です。
さらに発言は
「一般的にすべての国家は、20世紀に起きた悲惨な出来事に対する自分たちの役割について率直に責任を負わなければならない」
とするものですが、そもそも
「日本の内政に関連した質問への回答は控えたい」
とさすがの中央日報も、前提とした発言を報じています。そこから「ナチス」への飛び火だけは絶対に避けたいドイツの外交的アピールとして絞り出したコメントと見るべきでしょう。もちろん、中央日報はこれを文字通りたたき台として、日本批判へと結論を導くのですが、これをもって靖国批判へとつなげるのは論外・・・というか、だからデーブを工作員と断じるのです。またドイツの報道官は明確に「内政」と指摘しています。
ちなみに先の中央日報に掲載されたサイベルト氏の発言は12月30日のもので、同日、そのドイツのメルケル首相は翌日の大晦日に発表する演説の内容がロイターで紹介されており、そこではユーロの経済危機について語っています。
残念ながらドイツ語については「ベッケンバウワー」と「ゾーリンゲン」ぐらいしか知識がないので、メルケル首相のスピーチそのものを聞いても分からないのですが、多分、ドイツ連邦首相府の公式サイトと思われるところにあった、スピーチ独文を「goo翻訳」で試したところ、靖国に触れておらず、ドイツの首相として内政を、EUの一員として経済を語っているようです。
そもそも報道官より首相の言葉が重いのは当たり前。仮にデーブ・スペクターが触れたように、メルケル首相が発言したのなら「大問題」。先の中央日報や朝日新聞あたりが、鬼の首を取ったかのように報じたことでしょう。
デーブ・スペクター氏を責めているのではありません。情報戦とは官民挙げて行うもので、米国の国益のために彼は当然のことをしているに過ぎません。仮に日本にスパイ防止法が成立する日があれば、某かが触れる可能性も無きにしも非ずですが、現時点では同盟国の合法的エージェントで、むしろ情報戦において見習うべきところ大です。
そして米国の「失望」とは、彼らの都合に過ぎません。
ブッシュは内政問題と言いました。なぜ、いま米国は「失望」するのでしょうか。尖閣問題が・・・とは理由になりません。先に喧嘩を仕掛け、極東アジアの平和を脅かしてきたのは中国であり韓国です。秩序を乱しているのがどちらかは明らかです。
つまり、民主党が支配する米国の真意とはこうなのです。
「日本が黙って我慢すれば穏便にやり過ごせる」
オバマ政権は手詰まりです。内政も外政もガタガタで、今年の中間選挙は苦戦が予想されており、残り2年の任期のレームダックが予想されています。日経新聞などは年初の妄想記事で「米国のデフォルト(債務不履行)」を予言するほどです。
オバマのリーダーシップどころか、政治手腕が落第点であることは誰の目にも明らかで、彼の功績は「黒人大統領」と「ノーベル平和賞」ぐらいしかないと揶揄されるほどで、すでに米国民主党は「ヒラリー」を後継として担ぐ準備にはいっており、いま米国が期待する日本の役割とは「騒動の回避」です。
米国の政治手腕が求められる騒動は一切起こして欲しくなく、オバマの任期を静かにまっとうさせることで、次の大統領選挙を有利に進めたい・・・とはわたしの邪推です。でも、遠くないでしょう。
米国の貴族ケネディ家のご令嬢が駐日大使となったことは一見慶事ではありますが、彼女は政治の素人です。近隣諸国と軋轢のある同盟国の大使としては力不・・・「未知数」としておきます。裏返せば素人でも就任できるのが駐日大使とすれば、舐められているとも言えます。忠犬ポチがお嬢様にも忠誠を誓うと見ているのかもしれません。
靖国参拝について米国はもとより、中国、韓国に対しても「またか」という感想しか持ちません。彼らは彼らの国益(韓国については自分の首を絞めている気もしますが)に沿った言動に過ぎないからです。そして民主党の米国については「馬脚」が見えたといったところです。連中への漠然とした期待という名の甘えに日本人が気づくきっかけになれば、それこそ慶事です。
しかし問題はやはり国内です。とりわけ「A級戦犯」。
ゴミ屋敷タレントの春香クリスティーンが「ミヤネ屋」で靖国参拝を
「ヒトラーの墓参り」
と称したのは彼女がスイス人(但し二重国籍で日本名 佐藤春香)だから見逃したとしても、その発言の持つ意味からして、放送して読売テレビと所属事務所のホリプロが釈明しなければならないことは、先のデーブ・スペクターによる情報戦と同じです。
この発言を放置することは、消極的同意となるからです。一方、この発言により春香クリスティーンを芸能界から追放、あるいはしばらくの出演禁止や自粛を実現できれば、靖国とナチスの同一視が日本国内でタブーであることをもって、「ナチス容認ではない」という国際メッセージになるのですが。
そして春香クリスティーンは「政治家好き」を広言し、柿沢未途のようなバカ(なんども論拠を示しているのでバカの理由は割愛)を応援している時点で底が見えており、なにより「政治家好き」と「政治」は別物で、これを使い続けていることも政治を小馬鹿にして扱いたい左派の影響が見えます。
彼女はいずれ「スイス人」を選ぶかも知れませんし、ならばその程度の浅い見識で、半分ながれる日本人を貶める活動をし続けることも彼女の自由ですから放置するしかありません。なぜなら、日本は言論も表現も自由が認められており、世界的には異質なほど「反国家発言」が容認される国だからです。米国において共和党と民主党は敵対していますが、ひとたび「米国の敵」を前にすれば原子力空母エンタープライズに呉越同舟します。
参拝当日、デーブ・スペクターがプロパガンダに利用するテレビ朝日「ワイドスクランブル」で、安倍首相の参拝直後のインタビューを聞いた東ちづるは、
「A級戦犯の合祀について触れなかった」
と疑問を呈し、一方で
「なぜ、中国や韓国が反発するのかを知らない日本人が増えている」
と嘆いて見せます。東ちづるよ。あなたこそA級戦犯の何をご存知なのか?
あなたの「なぜ?」にはひと言で答えることができます。「国益」です。米国の失望も同じです。
合祀のことに触れる必要があるというのなら、そもそもA級戦犯とは何かをしらなければ方手落ちどころか「論外」です。というより、こうした
「本当に知っているの? 知らないからそういうことが言えるのよ!」
という女のヒステリー的(比喩のつもりがそのままに)な発言は論理が破綻しており、それをそのまま垂れ流すテレビ番組は害悪です。
知っているとかどうかでいうなら東ちづる嬢に逆質問です。
「そもそも韓国と日本は戦争をしていたとお考えですか?」
わたしはしていないと回答しますし、韓国に肩入れし、日本が嫌いな国内左派でも、このことになると言葉を濁し「植民地支配した」と論点をすり替えます。
韓国は「併合」したので「植民地」という表現も妥当ではないのですが、民族の歴史からみて屈辱という気持ちはわからないでもありません。現在、同盟国という名称で、米帝に植民地化されている日本人として痛みを理解することはできます。
それでは当時、植民地が罪になったというのでしょうか。ならば、中学校の世界史からやりなおさなければ、公共の電波の前で、本件について語る資格はないでしょう。東南アジア各国の名を挙げれば切りがありませんが、そもそも米国などはインディアン=ネイティブアメリカンの土地を奪って作られた国家です。現代でみれば他人の土地を強奪する中国のような国が米国の本質、とは言い過ぎでしょうか。しかし、だからか親近感を中国に感じるアメリカ人がいるのも事実です。
それでは「A級戦犯」とはなにか。他にはB級、C級がありますが、結論を述べればこれは「罪の種類」。語弊を怖れずに言えば窃盗罪、傷害罪などのような区分で、
A:平和に対する罪
B:通例の戦争犯罪
C:人道に対する罪
と分けられ、A級戦犯のうち、死刑になったのは7人に対し、BC級は約1000人に死刑判決が下されています。現代的な市民感覚における「罪の軽重」による区分ではないということです。
いわば戦争指導者に対する罪が「A」であり、これをもって日本を戦争に導いた、世界中に迷惑を掛けた極悪人だという論もあります。しかし、Aに区分され不起訴となり、その後の首相に登り詰めたのは岸信介で、ご存知安倍首相のおじいさま。不起訴だから無罪ではありません。しっかり公職追放となっています。
有期刑ならこの人、重光葵(しげみつ まもる)。恩赦により出獄し、外務大臣となります。そして国連加盟が全会一致で承認された、加盟受諾演説でスピーチし、出席していた加盟国の代表団から万雷の拍手を受けました。
Aが世界における極悪人ならどうして拍手がおこるのでしょうか。服役していたと言うことは、罪は存在していたのです。そもそも東京裁判は勝者による敗者へのリンチであり、開戦時に存在しなかった法律で裁く「事後法」とは法治の精神に反するものであり「法の不遡及」からも反するというのは常識ですが、今回はこの指摘は割愛し、重光葵に話を戻します。
恩赦を受けたから罪が免除されたのでしょうか。ならば、罪と罰とは何でしょう。
世界のそれは脇に置きます。なぜなら宗教観と密接にからんでいるからです。本稿は「日本人」への問いかけです。
「死刑になったA級戦犯は未来永劫犯罪者なのか」
東ちづるへの公開質問です。
来週公開のマイナビの連載でも、靖国参拝を絡めたネタとしており、原稿を読んだ弊社の専務はいいました。
「(語感から)永久戦犯って間違えているんじゃない?」
なるほど、と唸ります。
日本人の死生観、宗教観は死んだら皆仏です。この「仏」とは仏教によるものではなく、精霊や自然現象の一部に近く、キリスト教における「守護聖人」の汎用版といったところでしょうか。
一神教でありながら、守護聖人として人格者や権力者を神格化により祭り上げたのは、人間の素朴な感情であり、残された権力者の知恵であり、日本人が死者を「仏」とみるのも同じでしょう。
守護聖人の場合、キリスト教への貢献が重視されますが、先祖や親戚どころか、隣近所の住民と「つながり」を持ち続けてきた日本人にとって、毎朝欠かさず掃除をしていた、子供の頃にお年玉を貰った、程度のことでも「聖人」と崇める神格化のデフレ化です。小娘タレントを「神」と呼ぶのは違いますが、垣根の低さは通底します。
合祀されているA級戦犯は死刑になっています。死を持って償ったと日本人は考えます。それ以上、償わせようがなく、恨み続けても何もプラスがないことを日本人は知っているからです。だから合祀したからと気にも留めません。
いやいやだから戦争の記憶をなくし、再び戦争を・・・とは、何人でしょうか。中国、韓国、アメリカ人がいうのならどうぞ、ご自由に。粛々と反論をするだけですが、日本人がそれをいうのなら幼すぎるというよりバカです。
罪により罰を受け償ったとするのはあくまでその個人においての赦しです。しかし、犯した罪により生まれた被害や害悪を忘れることは別次元の話し。罪が生まれた背景を精査し、新たな刑罰を作ることで抑止を目指し、啓蒙活動により再発防止に努める・・・務めてきたのが戦後の日本の歩みそのものです。
ナチスを引き合いにだす欧米人の気持ちを論理的に理解できます。それはこの指摘から明らかです。
「わたしたち日本人は一神教の支配を受けていません」
神の模造品のようにヒトラーを崇めたナチスとは違うのです。これが宗教観の違いであり、日本人と欧米人が決定的に異なるところです。そしてこれを問題とするなら信仰の自由への挑戦です。もっとも米国はイスラム教を敵視するなど、国内と国外での二枚舌はいつものことですが、日本人が漠然と持つ宗教観を、キリスト教的なアプローチから理解できないからと否定されてはたまりません。
天皇陛下の神格化については、東京裁判との絡みもでてきて、論点が拡がりすぎるのでこちらもまた割愛しますが、確実に言えることは戦後にその動きはありません。
また、「富田メモ」により、昭和天皇がA級戦犯の合祀を不快に思い参拝(行幸だと思いますが)しなくなったという説もあります。しかし、それをもって現職首相の参拝を禁じるとするなら、天皇の政治利用というより、首相を拝命した個人の信教の自由への介入で、むしろ神格化の懸念の萌芽とみるべきでしょう。
ちなみに公職につくものの個人の権利が一定程度制約を受けることは理解しますが、政教分離とは土着の文化風俗的な宗教儀礼の否定までは及ばないというか、そこまでやると国民性そのものの否定となり、それが存在するとしたら共産主義ぐらいではないでしょうか。
この手の主張は左翼系に散見し、今回の米軍の「失望」と同じく、「対米追従」と批判しておきながら、自説の展開に有利と見ると、言葉尻にのるその姿を、古来日本的価値観ではこう呼びます。繰り返しになりますが「卑怯者」と。
仮にA級戦犯として処刑された人々を「神格化」するとするなら、昭和初期から敗戦までの天皇の神格化とに齟齬が生まれます。また神格化でいうなら軍神 広瀬武夫中佐を問題視すべきです(A級戦犯ギャグです)。
分類に過ぎないA級という呼称、死者を赦す宗教観。これらをそのまま、欧米諸国に理解させるには充分な活動と時間が必要です。しかし、日本人ならば、東ちづるのように盲目的に否定してはならないのです。
A級とは「平和に対する罪」。そして日本は真珠湾の「奇襲」でとは定型文。しかし、当時の常識から「宣戦布告」と同義であった「在米日本資産の凍結令」など真綿で首を絞めるように追い詰めていったことは本稿では問いません。しかし、少なくともC急における「人道に対する罪」では「非人道的行為」を問うています。
ならば原爆投下、東京大空襲に代表される民間人の虐殺をしたアメリカ人は問われないのか。これには明確に回答できます。
戦争指導者の罪とは、戦争に負けた罪。
なのです。だから、戦勝国により絞首刑にされたのです。しかし、A級戦犯として処刑された人々は、愚かで能力不足だったという批判はあるにせよ、しかし、彼らと彼らなりに日本国を思ってしたことであり、それを甘受せよとはいいませんが、惻隠の情を持て接することができない、東ちづるのような日本人に悲しみを見つけます。
そしてこれも東ちづるは知らないのでしょう。絞首刑となった元A級戦犯(死刑囚も執行後「元」がついて報じられるなら、A級戦犯も同じくだとおもうのでこう表記してみました)の「遺体」はどうなったかといえば、遺族のもとに返されることもなく、焼却され残った「遺骨」は「粉砕」され、米軍機により東京湾に空中から投棄されたとのことです。
日本人で遺体を弄んだとされるのは、織田信長ぐらいでしょう。中韓には
「墓をあばいて死者にむち打つ」
刑罰があるようで、米中韓なら遺体において「等価値外交」ができるのかもしれませんが、日本はそうした感性を持ちません。
「六次の隔たり」という言葉があります。Web2.0(笑)のころから、ネットを賛美するときに多用された言葉で、ソーシャルメディアの礼賛でもよく耳にします。つまりは6人ぐらい人を介せば、世界中の誰とでも繋がることができるという理想論です。
理想論とするのは、世界のどこの国でも「階級」が存在し、アッパーと貧困層は接点が乏しく、仮に現在貧困中の庶民が、芸能人やタレント、一攫千金の成り上がり者と小学校の同級生で、アッパー層と接点を持とうとしても、かつての同級生に仲の取り持ちを依頼しても、それを受託する成り上がり者はいないからです。成り上がりが上流階級と接するようになると出自を隠したがるものなのです。
ただし、わが「島国」の日本国内においては現実味が増します。それは「縁」です。やはり上流階級同士で「縁」が結ばれる傾向が強いとはいえ恋は止められません。親戚を探せば、ひとりやふたりの「はみだしもの」を見つけるもので、エリート層と貧困層がどこかで繋がっていることは珍しくありません。妻のいとこ、私からは義理の従兄弟に警視庁のエリートがいて、警視総監は無理でも「内閣府」の仕事をしている人がいます。また、知り合いの豆腐屋は、現在のセガサミーホールディングスの会長 里美治と旧知のなかだったりします。
有名な話しですが「佐藤」が藤原の出といわれ、すると宮家まで地続きといっても過言ではなく、「鈴木」も本性は「穂積氏」とウィキペディアにあり、ならば天孫降臨以来の朝臣です。
例えばいまなら、ミランに移籍したサッカー日本代表の「本田圭佑」が、自分の従兄弟の嫁の親戚だと知ったら、事実上は他人ながらも酒の席でも「プチ自慢」するように、血縁、遠縁、姻戚まで辿れば、どこかで元A級戦犯と繋がる可能性は高く、いわば「身内」を東ちづるのように吐き捨てることは私にはできません。
もちろん、あいつは馬鹿だと親戚が吐き捨てることはあるでしょう。どうしようもないヤツだったと想い出話ですら、酒が苦くなることもあるでしょう。しかし、身内を他人にバカと罵られ、愛想笑いを浮かべながらお追従を述べる人間を卑怯者と呼び、かつての日本ではもっとも嫌われた振る舞いです。
もちろん、これも価値観。しかし、A級戦犯、そして元A級戦犯のことについて、われわれ日本人はどれだけ知っているのでしょうか。年末、年初、お屠蘇に溺れつつも、この平和とは先人の犠牲になり立っているものと心の中で感謝しながら、すこしずつ書きためた新年特大号です。
論拠を示さずに、あるいは外国が言っているからというだけで「A級戦犯」を吐き捨てる行為を「馬脚」と呼ぶ。平成26年からの新ルールとします。午年だけに。