原爆忌にみる民放の姿勢と忘れまじ米国の所業

彼らが考えているのかな、だとすれば思想的影響を受けているのかなぁと、つぶやいてしまうのが広島の原爆式典での少年少女のスピーチです。小学6年生にもなれば、政治的思想を持つこともあるのは、自身の経験から。政治的思想と言うより、自衛隊は必要とするもので、いまなら珍しくもありませんが30年前には「右翼」と罵られたものです。そして当時、右翼は蔑称の扱いを受けていたのは日教組支配下の公立学校の教室です。一方、広島のスピーチって昔から左翼がかっているんですよね。だから、子供の頃からイラッとしたものです。

さて、その原爆式典。発言内容はともかく、長崎と同じく、そして終戦の日とともに、鎮魂とともに歴史認識を新たにするわけですが、年々ひどくなります。報道です。過去のことどころか他国の出来事、民放などはフラッシュニュースの小さなトピックとしてしか扱いません。

今年の東京キー局の民放はこんな感じ。

4(日テレ):沖縄米軍ヘリ事故→芸能ニュース(あやや)
5(テレ朝):沖縄米軍ヘリ事故→車中殺人事件
6(TBS):無免許先生
8(フジ) :ミキティ(注目はしてね。でも都合の悪いところは取材しないでね♪)

矢印の手前が「黙祷」で、次が10分ぐらいのあいだの内容。無免許先生やミキティのほうが、広島の惨劇を思い出すことより重要だということです。

ちなみに7はテレ東で「奥様は魔女」。テレ東はいつもこのスタンスなので見逃しますが、日頃、平和やら外交やら歴史認識を語るのなら、原爆忌を報じないのは論外。黙祷の前後だけなら5分もあれば事足りるものを、ミキティです、あややです。

2画面にして、黙祷画面のとなりで、偉そうに大所高所から事件を語るテリー伊藤にもやっとした殺意(隣にいたら頭をはたくぐらいのね)を覚え反省。鎮魂の祈りに怒りは似つかわしくないので。

なにはともあれ、68年前の今日。人類は・・・もとい、アメリカ人は核兵器を使い民間人を大虐殺しました。殺されたのは日本人です。復讐を求めずとも、忘れてはならない歴史的事実です。従軍慰安婦のようなフィクションではなく。

 

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