サラダも刺身も食べられない!

 ゴールデンウィークにつきお休みしようかと思ったのですが
触れずにいられないネタが登場しましたので、書き下ろします。

 ビンラディン・・・のほうこそ、ビッグニュースで、彼の殺害、
いや惨殺を無邪気に喜ぶ米国国民の姿が世界のリアルで、もっと
その悦ぶ姿こそ報じるべきで、その影に見え隠れする「情報操作」
はわかりやすいのですが、何故か口をつぐみます。

 記者クラブ廃止を唱える自称ジャーナリストは本件に関しては
「リツイート」をするだけで、都知事選挙を広報活動に堕落させた
お笑い芸人はホリエモンの逮捕に「残念」とツイートしながら、
こちらはノーコメントです。

 端的に述べれば著名人にとってのツイッターは「信者化」させる
最適解のツールで、攻撃する外部をブロックしているので、短文ゆ
えの語弊も好意的に解釈され、閉じた世界の平和が守られます。

 だからこそ、日頃、「天下国家」を語るなら、世界的事件に
指針を示す必要があるかと思うのですが、不都合な出来事は「スルー」
して、彼らの世界は今日も平和です。その平和が棄損されない程度に
世界の平和を祈り、被災者への同情を語り、原発に憤ります。

 もっともそれが正解なのでしょう。

「レクレーション」

 としては。

 で、おまえは? という問いにこう答えます。

「不公平な報道ばかり」

 ビンラディンを擁護するのではなく、例えば一報直後、彼の遺骸は
イスラム式で水葬にしたとシレっと報じられましたが、その後、
イスラム式は土葬だととってつけたように記しますが、そんなことは
ウィキペディアをみるまでもなく当たり前のことです。ちょっと考え
れば分かることです。

「砂漠の民がどうやって水葬にするの?」

 宗教上の理由を挙げればキリがありませんが、ちょっと首をひねれ
ば浮かぶ疑問でしょう。

 そしてコードネームは「ジェロニモ」。米国の先住民族、いわゆる
ネイティブアメリカン、昭和の頃は「インディアン」と呼ばれていた
彼らのなかのアパッチ族の酋長の名前。

 ここに「差別意識」をみるなという方が無理でしょう。単純な
人種差別というよりは、「敵か味方か」の区別で、敵はイコール
蛮族であり根絶やしにして良い存在という意味での「差別」がある
のですがこれに触れるメディアは皆無です。

 すべてをあげつらえば貴重な休日がなくなってしまうので、掘り
下げませんが「情報操作」を知る、ケーススタディとして注目して
います。

 さて、本題は「生肉」について。

 水に落ちた犬を打つ趣味はないのですが、2ちゃんねるでは

「殺人ユッケ」

 と称される「焼肉酒家えびす」の株式会社フーズ・フォーラス
代表 勘坂康弘さんが

「法律で生肉を禁止すればよい」

 とほたえたことに怒り心頭に発しております。

 こういうのを盗人猛々しいというのでしょう。

 あのね。日本全国の焼き肉屋から居酒屋まで、ユッケ、レバ刺し
牛刺しを提供しているお店は多数あり、そのなかで「殺人ユッケ」が
ごくまれに出ることはあっても、「名物料理」となったのは
勘坂康弘さん、あなたのところだけなのですよ。

「焼肉酒家えびす」はひと皿100円から提供し焼き肉界で
「価格破壊」を起こしており、事件前は島田紳助氏のバラエティ番組
で大絶賛され、業界紙ではゴマすり記事が量産されていました。

 こちらがそうとはいいませんが、ワイドショーやバラエティで登場
する「名店」って、広告代理店や業界人(コーディネーター)が絡ん
でいることが多く、基本的に「誉めて育てる」のです。

 そこには単純な金銭だけではなく、紹介により売上が伸びれば、
広告収入などの直接的なメリットに加えて

「俺が育てた」

 という看板と人脈ができ自分のフトコロは痛みません。

 話を戻します。法律で云々という主張は「ホリエモン」と同じです。
 つまり、法に触れていないからやった、その結果、人が死んだ。
 しかし、法律は犯していない。

 ・・・大嫌いです。食を法律で規制されてはたまりません。

 価格破壊は営業戦略上の自由ですが「美食の破壊」を勘坂康弘氏が
行う権利などありません。

 生肉、はっきりいって旨いです。

 勘坂康弘氏が主張するように、日本国内では「生肉用」と明記され
て出回っている牛肉はありません。しかし、牛肉は「生」で食べても
大丈夫・・・と、私は亡父から教わりました。

 新鮮なものでなければお腹を壊すと添えられて。
 補足しますと「生」で大丈夫という理由は「寄生虫」の有無です。

 同時に新鮮なものでなければ、焼かなければ食べられないとも
教えられました。表面について微量のばい菌(細菌)が繁殖して
しまうからです。

 ステーキの「レア」が大丈夫なのは、ばい菌が付いている表面を
焼いて殺すからなのだと。

 実際、私は今でも「焼き肉用」のかたまり肉を買ってきては、
自分でおろして生食しています。ユッケも自作します。あるときは
ギフトで戴いた「すき焼き肉」も、その刺しのはいり具合に誘惑され
刺身で食べたこともあります。素性の怪しい安い牛肉でも、刺身とし
て旨そうなかたまり肉を見つけたら、表面を焼いて内部をあたためる
「たたき」にして食します。我ながら美味です。

 食は自己責任。

 その昔、板前(というか喫茶店のオーナー)を目指し、すこしだけ
修行していた人間として、店が出すから安心というのは幻想で、特に
アルバイトの多い店、厨房が店内から見えない店で、なにが行われて
いるかはわかりゃしません。

 もちろん、勘坂康弘氏の行いを認めるものでも許すものでもありま
せんし、大人にまで被害者がでている状況から「酷すぎる」としか
言いようがないのですが、妊婦が生肉を食べてはならないように、
抵抗力の低い子供や老人も控えるべきでしょう。

 生肉というのはリスクがあるのです。
 そしてこれは「魚」も「野菜」も同じです。

 雑菌が「繁殖しやすいか否か」の確率論に過ぎないのです。

 子供がどうしてもとせがんだのなら、「我慢せよ」とぶっ飛ばせば
よいだけのことで、人生の先輩である老人が冥土の土産とせがむなら、
少量を、水分をとらないようにして食すように諭してください。

 曽野綾子さんのコラムより学んだことですが、健康な人間の腸は
たいがいの雑菌より強いものですが、水分を摂取して食事をすると
胃酸などが薄まることで、菌を殺しきれなくなることで「あたり」
やすくなるそうです。

 決して私の日常である「アルコール消毒」と、ビールや強めの
お酒を流し込まないように。

 それではサラダも刺身も食べられない!

 とエキセントリックにならないでくださいね。

 こう考えてください。

 キャベツを洗わずに千切りにする。トマトをそのままぶつ切りに
する、トイレからでてきて洗っていない手で刺身をおろす。

 論外ですよね。生肉は野菜よりデリケートですが、基本的な
調理技術と、調理の心得、そしてなにより

「お客様を思う心」

 があれば、殺人ユッケがここまで広範囲に提供されることなど
あり得ない話しなのです。

 例えば1店舗だけでたのなら不運と同情もします。

 しかし、多店舗で起こったのであれば、仕入れ業者になすりつ
ける責任はありません。仕入れた責任と提供した責任は、
勘坂康弘氏に帰趨します。

 ちなみに足立区鹿浜の行列ができる焼き肉屋「スタミナ苑」では
生食用のメニューは一切ありません。もう10年近く前になりますが
やはり同じような事件が社会問題となったのを受けて、すべて
メニューから外したのです。

 牛刺し、ユッケ、センマイ刺し、レバ刺し。幻のメニューです。

 被害が出た事件で「自己責任」を論じることに違和感を覚える人も
いるでしょうが、「クチにいれるもの」の最終決定権は食べる本人です。

 匂い、色、ツヤ。そしてそれが分からないようになっている「生肉」
は心してください。

 お店が出すものだから「安心」というのは幻想です。
 しかし、「安心な店」は存在します。

 そして自己責任としない先にまっているのは、完全無菌パックされた

「食事」

 のみが流通する味はあっても味気ない世界となります。

 そもそも「法律」に書いていないからやる、やった。40過ぎた
おっさんがはいてよい台詞ではありません。

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