尖閣諸島については、先週さらっと触れたことがそのまま現実に
なりましたので、一応再掲します。
「一歩足を引っ込めれば、一歩足を踏み込む」
のが大陸系の交渉術。
公務執行妨害容疑の中国漁船の船長が釈放されるので、フジタの
社員が解放されたのかと思いきや、その後の展開を見るに
「無策」
で解きはなつところは「らしい」といえばらしく、絶望にも似た
暗黒感が先週末より総身を包んでいます。
そして一般常識の視点で報道を読み解く限り、立派な罪人であろ
う中国人の船長は釈放された上に、人の家に上がり込んで取り押さ
えられた犯人側が
「謝罪と賠償」
を要求する始末です。
別のネタを用意していたのですが、今回は
「そもそも論3 異文化コミュニケーション」。
について。
様々な理由がありますが、中国が「調子に乗っている」理由の
ひとつに「報道」があります。日本国内には数多くの外国人が
住んでおり、その中にはスパイが多くいることは諸外国では有名
な話しと聞いたことがあります。
そのスパイの重要な諜報活動のひとつに「報道調査」があり
ます。インターネットやテレビ電波の受信で、世界中の情報が
入手可能ですが、「産地直送」のほうが鮮度も味も良いのは
情報も農作物も同じです。
新聞やテレビに報じていることが大事ではなく、報道により
変化する「敵国の世論」を分析して、情報操作や印象操作、また
周辺国へのアピール材料を見つけ出す作業です。
一例を挙げれば朝鮮日報新聞・・・と、某掲示板で揶揄される
朝日新聞の「教科書書き換え大誤報国辱報道事件(ウィキペディア
では教科書誤報事件)」があります。
さらっとなぞれば、
「中国への侵略を侵入に政府圧力で書き換えさせた」
というもので、これは「誤報」でした。
注目すべきは今回、すばやく日本人4人を拉致・・拘束した
中国政府が、当時は「1ヶ月後」になって抗議してきたということ
です。
日本国内の「世論(せろん、主にマスメディアやそこに登場す
る識者により結論づけられるものは世論の範疇で決して輿論では
ない)」を慎重に見守り、噛みついても賛否が分かれる、あるいは
一部でも賛成する売国奴が現れることを見極めてから行動するのが
大陸の流儀です。いや、インテリジェンス(情報外交)的な視座を
持つ国では常識です。
当時の中国はまだ日本が「普通の国」だと思っていたから、
慎重だったのであり、いまは恫喝と恐喝に素直に従う国と知って
いるので、すぐに噛みつくというわけです。
ただし、さしもの中国も今回の日本政府の強硬な姿勢から一転した
腰抜け外交には若干の逡巡は会ったのかも知れませんが那覇地検の
「外交判断」により釈放が伝えられた直後より、夕方のニュースを
経ても
「報道特別番組」
としてこの問題に取り組んだ放送局はなく、しばらくすると
「異常気象で秋の味覚ピンチ」
と、のどかでお気楽な映像がながれるにいたって、
「よし、いける」
と安心して恫喝してきたというのが私の見立ててです。
これが逆の立場なら、報道は過熱しネットは炎上し、デモ隊は
日本大使館に火炎瓶を投げ込むかも知れません。それが自分たちの
価値観である以上、「小日本」と侮蔑してもネズミが噛みつけば、
無傷ではいられず、日本国内にいる「同胞」を、自分たちが小日本人
の立場なら必ず危険にさらすと思えば、侮りすぎるのは危険だとい
う心配は報道を見る限り杞憂と知り、心おきなく恐喝を始めたのです。
公共の電波を扱うものが国益を軽んじており、悲しいかな「世論」
は報道に誘導されるもので「国土」の危機よりも「秋の味覚」を
憂うのであれば、まだまだいけると。
ここで「異文化コミュニケーション」についてのそもそも論です。
コミュニケーションとは「互いに理解できる価値観」があって
はじめて成立するものです。フランスのアニメオタクが、コミケで
言葉の通じない日本人と笑顔を買わせるのは「アニメ」という
共通する価値観があるからです。
コラムニストの勝谷誠彦さんは中国人はヤクザと一緒といいました。
ヤクザにだって理もあれば情もあります。しかし、一般人の
それとは違うものです。
これが「そもそも論」です。
一般人の感覚でヤクザの世界を推測しても理解できません。
一般人の感覚で「情け」をかけた日には逆ギレするかもしれませ
んし、それに乗じて「旨い汁」をすすりにすることもあるでしょう。
軒を貸して母屋を取られるの実例は良くある話しです。
逆に一般人の無防備さ、危機への無頓着さはヤクザにとっては
信じられないリスクマネージメントです。
両者を同列に語ることがどちらに失礼かは分かりませんが、
「そもそも違う価値観同士が相手の価値観を理解することなど不可能」
ということ。それでは永遠に対立するのかというのは幼すぎる
学級委員レベルの発言です。
相手の「価値観」は理解できなくても「行動原理」または
「条件反射」なら観察することで理解できます。
ステレオタイプな例えですが、繁華街で
「肩がぶつかればどうなるか」
ということです。肩がぶつかっただけで因縁をふっかける価値観は
理解せずとも、ぶつかれば因縁が自動的にプレゼントされるという
「習慣」を理解しておけば、事前・事後の対策を準備することが
でき「異文化コミュニケーション」において、これがもっとも大切だと
いうことです。
もう少し、平易な例を持ち出せば、
「ナイフとフォークの国の客には、ナイフとフォークを用意する」
のです。和食なら「箸」を使うのが日本人の価値観でも、彼らが
何を望み、何を期待しているのかをあらかじめ研究し、準備してお
くのです。
その上で、懐石料理は箸で食べるものと提示します。
相手が箸を拒否したとします。友好関係が目的なら、準備して
おいたナイフとフォークをだし、喧嘩を売るつもりなら、ナイフと
フォークをわざわざだしてから「灰皿」のなかにでもつっこんで
ニヤリと笑えばいいのです。
どうしてもナイフとフォークを使いたがる「価値観」という
形のないものは理解できなくても、彼らの「行動様式」ならば形が
あるものですから、知ることはでき、準備も対応もできるということです。
話を中国に戻します。
いま国内の「識者」のなかにはこんな意見が徐々に増えています。
「中国の言い分も聞かなければ膠着状態が続いてしまう」
日本が謝罪も賠償も不用だという国内輿論に水を差す売国奴的
発言ですが、これが増えるのは現代日本の「話せば分かる」という
病理で、中国の価値観からすればこう考えます。
「そもそもこちらの話を聞くということは、過ちだと感じ取って
いるからだ。なぜなら、100%間違えていないというのなら
我々の話を聞く必要などないからだ」
ここから真骨頂。
「つまり1%でも過ちを認めたのなら、その分の謝罪と賠償が
できるはずだ。我々は100%を期待するが、小日本(の政府)が
難しいというのなら1%でも許す度量を我々はもっている」
で、賠償額を100倍にするのが彼らの交渉術です。
そもそも「交渉上手」の国に対して「無策」で挑むのは
小学1年生が縦笛を武器にグリーンベレーに挑むようなもの。
・・・と、実はここまでは昨日の夕方4時頃までに「下書き」
したもので、その後の報道で中国はちゃっかり「話し合い」を
ちらつかせてきました。
あぁぁぁぁあ。だぼはぜのように食い付くんでしょうね。
無策な管ちゃん・・・コホン、菅首相は。
そもそも。中国の不法、無法行為なのに。
結論。
「価値観の違う国を日本の価値観では計れば国益を損ねる」
そもそも「国家間」で「真の友情」など生まれるわけがないと
いうことを誰も口にしない不思議な国です。
もちろん「真の互恵関係」なども存在しません。幻想というか
妄想というか狂言です。