甥との生活も2ヶ月を過ぎ、彼の受験が迫るにつれ、つくづく感
じるのが日教組のバカ・・・もとい、戦後教育の暴走です。
これはわが家の恥をさらすことになり恥ずかしいのですが、昨年
他界した姉の一周忌も過ぎたことなので率直に述べますが、姉は
教育を間違えていました。
「子供のいないおまえに何が分かるか」
という突っ込みにはこう答えます。
「子育てはわからん。
しかし、人として大切なことは知っている」
と、いうのは姉は甥の自主性に任せて育てました。
勉強するのも自由、遊ぶのも自由、ご飯を食べるのも自由。
自由には同等の責任を伴うもので、勉強をしない、宿題を忘れる、
遅刻をして説教を受けることも自分の責任として、庇うことはしな
かった点はさすがですが、自由を与えるのが早すぎたのです。
子供の自主性、また同等に子供の個性を大切にする空気があります。
この空気は戦後教育により醸成され、いまでは常識となりました。
これにはふたつの誤解のタネがあります。
子供の自主性とは、子供の望むままにさせることでではなく、
また望んだ未来が手に入らないこともあるという「当たり前」が
置き去りにされていることです。
子供が選んだから、子供の人生だから。子供の自主性を建前に
子供を放置している親のいいわけで、残念ながら我が姉はこれを
くりかえしていました。
それでは子供の選択肢はどれだけあり、子供の知る「人生」とは
なんでしょうか。結論を述べれば、大人のそれと比べるべくもあり
ません。だから子供なのです。
強制力を持ってしても「選択肢」を増やすことが親の仕事であり、
「勉強」や「掃除・片付け」も、すべてその後の人生の「選択肢」
を増やすのに役立ちます。
当たり前のことですが、人には向き不向きがあります。
誰もがイチローになれず、私は性別の壁と時代の違いから
AKB48のメンバーにはなれません。
自分に与えられて、いや、得た人生において手にできる未来は
自ずと制限されると言うことです。
こんな当たり前が「自分らしさ」という「個性」のまえに口を
閉ざしているのです。
はっきりいいましょう。
バカはバカです。そしてバカも個性です。
バカが利口の真似をするのは喜劇であり悲劇です。
バカにはバカの生き方があります。
職業に貴賎がないとするなら胸を張ってバカとして生きれば良いの
です。
私の甥は利口ではありません。だから自分にあった生き方を
見つけられるための方法を覚えさせるために、いま彼の行動を制限
しています。彼に自由はありません。高校受験には遅すぎましたが、
彼の人生はこれからですので。そしてこんな学力を放置していた
学校教育にもいいたいことがありますが、それはまた別の機会に。
大学卒業後3年間は新卒扱いにしようという動きがあります。
ま、ご自由にというところですが、新卒を後生大事に採用し続ける
企業も、大企業にすがりつこうとするどちらも私の価値観から見れば
阿呆です。
だからそんな阿呆に政府が力を貸す必要がないと思うのですが、
バカにはバカの生き方があると教えてあげるのが親の仕事なら、
企業や学生に方向性を示すのは政府の仕事です。
まず、大前提。
「誰もが大企業に入れるわけがない」
社会主義や共産主義国家でもなければ、国民の誰もが同じ企業に
はいれないわけで、選に漏れるのは自由主義の真実です。
そしてもうひとつ。
「新卒でなければ仕事ができない訳がない」
いまのご時世新卒以外採用しない企業など「処女信仰」のある
中学生男子程度の愚かさだと誰も言わないのが不思議です。
あ、愚かなのか。ならば教えてあげなければなりません。
しかしいまの日本の政治制度上、民間企業のルールに国家が
介入することはできません。そこで菅直人首相はこんなことを
いいはじめました。
「卒業後3年以内の就職希望者を正規雇用する事業主に対する
奨励金を創設」
阿呆にバカをブレンドするとこうなるんでしょうかね。
奨励金の不正受給は1000000000000%起こるで
しょうし、処女信仰を捨てないバカにとってはした金で教義を
捨てることはありませんし、なにより処女信仰を持ち続ける
ことができる企業ははした金を受けとる必要性などないのです
から。
そもそも中小企業の求人意欲が強いのに、大学生側が処女信仰
の強い大企業に恋いこがれているのです。もちろん、個人の趣味
を揶揄するつもりはありませんし、現在の日本国では大企業の
ほうが有利です。
しかし、多くの大企業がベンチャーや中小企業だったことから
考えれば、未来のタネをまくにはここへの人材流入が不可欠だと
容易に想像できます。
そしてお金は受けとる人により軽重が変わります。
金持ち芸人の東貴博(アズマックス)さんにとっての1万円は
あぶらとり紙でも、貧乏人にとっては垂涎のお札です。また、
お金のない時に奢って貰った牛丼は至福の味わいですが、
豊かになってから「すき家」で奢られても感謝は薄いものです。
私ならこうします。
「中小企業勤務の30才までの労働者の所得税をゼロにし、
社会保障費の企業負担分をゼロにする」
もちろん所得制限は必須で、時限立法として保険をかけます。
奨励金の場合、集金した税金を払うわけで、二度手間ですが、
税金を受けとらないだけなら手間が省けます。そして所得制限を
儲けることで税の減収額を低く抑えることができます。仮に
所得税収が減ったとしても、中小企業が活性化することで法人
税収の増加が見込めるのです。
卒業後何年ではなく年齢制限にするのも「甘え」と「メリット」
を天秤にかけさせる狙いです。
「甘え」とは親や環境です。新卒での就職を当て込み、大学を
留年する大学生もいるといいます。それが許される経済環境にある
からで、さらに新卒ではいることにより経済メリットがあるからで
すが、許されずに社会に出る子供との「経済環境格差」を、
非課税によりキャッチアップできる可能性が、第一希望でなくても
就職する「メリット」となります。
同様に中卒、高卒、大卒による社会通念からの「格差」の
穴埋めモノできます。社会通念上の格差とは、大学で身につけた
専門知識による能力差ではなく、一般論で言う「大卒」との
「初任給格差」などのことです。
つまり中卒は15年間所得税免除、高卒なら12年間、大卒なら
8年間で、高校も含めて「進学」するより「就職するメリット」も
生まれるのです。
さらにこの適用を「正社員」だけに絞れば、フリーター対策にも
なり、派遣社員の解消にもひとやく買うことが期待できます。
「税は国家」
といっても良いでしょう。伸ばしたい産業の税を軽減して、
規制したい分野に課税します。エコカー減税は好例ですし、
タバコはその悪例です。
バカにバカと教えるのが親の仕事であるように、税を動かす
ことでバカ企業を誘導するのは政府の仕事・・・なのですが・・
・とここで言葉を飲み込みます。「仮」にも我が国の代表に
バカは失礼すぎるのでルーピーとしておきます。