いまの若い人は可哀想という論調にイライラします。
それは同い年の「いとうあさこ」さんが感じるものと同じかも
知れません。
20年以上ものアンチ自民党キャンペーンの結果に誕生した
「迷走する民主党」と地盤沈下した日本経済と重ねての発言ですが、
馬鹿馬鹿しい。
と、いうか「若い人」へ。
「騙されるな」
いまの若い人が可哀想なのではなく、功成り名を挙げたオジサンや
おばさんから見れば、いつの時代の若い人は力も金もなく哀れで愚か
なのです。
それが証拠に
「佐々木希や佐藤健をみて可哀想といわない」
のです。逆にこういいます。
「いまどきの若い人は足がすらっとして長くてうらやましいわ」
とのたまうでしょう。
例えば戦後の混乱期。皇国は見る影もなく「戦後復興」など遠い
時代「戦災孤児」は「浮浪児」と呼ばれ、大人が哀れむ余裕すらない
時代でした。
そして多少の余裕ができてからは「核開発競争」「環境破壊」
「受験戦争」「学歴社会」「安保闘争」などなど。
未来だけはもっている若者を不安にさせる要素に事欠いたことは
ありません。
1970年生まれの私の記憶を辿るとこうです。
物心ついた頃に「オイルショック」がありました。個人事業主で
運送業を営んでいた父の愚痴を覚えております。そして「石油」は
21世紀まで持たないといわれていました。
小学校に上がったころ、日航機がハイジャックされ革命を夢見た
若者の時代は終わりを告げました・・・が、この夢の残り火を
抱えた連中が「マスコミ」に潜り込んだことはいまのゆれてぶれる
世論(せろん)形成をもてあそぶ悲劇に繋がります。
そして10才になる年、モスクワ五輪です。
西側諸国がボイコットした平和の祭典です。
まもなく五島勉による「ノストラダムスの大予言」シリーズが
ベストセラーとなり、
「1999年で人類が滅亡するから30才まで生きられない」
と絶望と恐怖が刷り込まれた小学生は100万人(妄想値)は
いたことでしょう。同じ頃、私の町では「口避け女」が100mを
3秒フラットで走り回っていたと姉の友達が吹いていました。
中学生になる前後で「校内暴力」と「暴走族」、なってからは
ロス五輪に「浮沈空母発言」などなど、僕たちに安らぎはありませ
んでした。
振り返れば「懐かしい」とされるバブルへの補助線を引いたのは
1985年のプラザ合意です。円高ドル安となれば中小企業が悲鳴
を上げるのは昭和から変わらずのこと。
そしてバブルを迎えます。
ここで経験者として事実を述べます。
「美味しい思いをしたモノは極わずか」
仕組みはババ抜きで、ちょっと儲かった金をさらにリスクの高い
博打に投資して、ババを掴み夜逃げし、一家離散し、この世を去った
人が何人もいました。
就職に関してこの頃は「売り手市場」で給料はドンドン上がり
ましたが、土地と株と物価も同時に上がったので、決して生活は
豊かではありません。
ましてゲームのルールは「金持ち勝つ」。
いまと同じく、銀行は金持ちに金を貸し、貧乏人など相手にしま
せん。値上がりする土地や株を買えるのは銀行から融資を受けた
ひとにぎりの金持ちだけでした。
崩壊は静かに、気がつけばあっと言う間に訪れていました。
バブル期には消費税も導入され、亡父の葬儀の見積もりに「3%」
をみつけて脱力したモノです。
長い不況のまま迎えた30才。ノストラダムスが嘘つきか、
五島勉が吹かしたのかはすっかり忘れていました。
一応、30才を「若者」の区切りとしたのですが結論を述べると
「政府が若者を助けてくれたことなどない」
それなりに支援策はあったのでしょうが、いまのように総理自らが
「雇用するぞ、雇用するぞ、雇用するぞ! おもいっきり雇用するぞ
本気で雇用するぞ」
・・・あ、地下鉄サリン事件は満年齢で24歳の時です。その年の
1月末まで日比谷線を使っていたので他人事ではありませんでした。
(上記の雇用するぞはあの教団のグル調にお読みください)
厳しい雇用情勢、開けぬ展望、貰えぬであろう年金。
そして「若者は可哀想」となります。
これは今年中学生になった姪との会話。
私「昔は携帯電話がなかった」
姪「どうやって連絡するの」
私「のろし」
こうやって堂々と嘘を教えるのは親戚のオジサンの仕事ですが、
携帯電話がない時代を彼女は信じられないと言います。つづけて
「ネットで検索」もなかったと教えると、
姪「それじゃあどうしていたの」
私「昔は町内に“長老”と呼ばれる200年以上生きた・・・」
姪の冷たい視線に彼女の成長を感じて涙が。コホン。図書館で
調べ、詳しい大人を訪ねて教えを請うたモノです。
いま、若者に「暇な時間」があれば、携帯電話をいじくること
でしょう。ゲームをし、友達とメールをし、ネットで戯れます。
私の20才。バブルでしたが、金遣いも荒く、というか、
高卒のひとり暮らしは貧しく、暇だけがありました。することと
いえばテレビを見るか妄想するかです。いまの可哀想の若者のよ
うにケータイ電話があれば、もっと楽しい若者ライフがまっていた
かもしれません。ちなみに電話は有線で3分10円です。データ
通信といえばパケットはなく電話の音響カプラー。
ドリンクバーもありません。ファミレスでおかわりできるのは
ホットコーヒーだけでした。100円マックも280円のすき家
の牛丼もなく、国産のビールは定価販売で、100円ショップの
ような店舗もあるにはありましたが、そこに並ぶのは「粗悪品」
でした。
いまの可哀想な若者達にこの生活が堪えられるでしょうか。
だから若者が恵まれていると飛躍するつもりはありません。
どの時代にも幸運と不幸があり、平均化すれば同じぐらいに
なるのではないかということです。
そして冒頭のオジサンとおばさんに戻ります。
「幸せ」には「絶対評価」と「相対評価」の2種類があります。
前者は宗教的なモノや、我が子の誕生、あるいはご来光に感謝
する心の内側から湧き出るモノです。問題は後者です。
飢えている国の国民にとって「今日食べるご飯がある」という
ことが最大の幸福です。一方、我が国のように豊かなら
「美味しいご飯」
が幸せの条件となります。あるいは
「好きな人と食べるご飯」
などもあるでしょう。しかし、貧しければ口にはいるだけで
幸せでお腹がふくれる感覚は至福の喜びなのです。
結論を述べます。
「若者を時代のせいにして可哀想という連中は、
自分の生きた時代と比較して幸せを確認している」
平たく言えば、ほくそ笑んでいるんですよ。
だってそういう連中のうち、ひとりでいいですから私財を
なげうって若者に施したひとがいるでしょうか。政府や政治屋
官僚のせいに・・・あるいは「自民党政治」の責任にしますが、
ならば、その「自民党政治」を直接、間接的に支えてきたのは
オジサン、おばさんたちで、自分たちの責任は棚上げにしてい
るのです。
もちろん、自省を込めて。私も選挙権を貰って、ことしで
20年になるので、「日本史」において20年分の責任を感じて
います。
最後に「若者よ」。
かつてバブルの時代、金を持ち、土地を持ち、人脈を持つものが
権力を握り、私のようなどこかの馬の骨に這い上がるチャンスは
ありませんでした。そして願っていました。
「いまが高度経済成長なら」
いやいや、本音を開陳します。
「いまが幕末なら」
ひとかどの男になっちゅうが。
(血脈は高知県で2〜6才まで育ちました。龍馬伝でかぶれたわけ
ではない・・・というより、あそこに流通する広末涼子さん以外の
高知弁がイヤで見ていません)
と時代のせいにしていましたが、時代ではなく自分の努力が足り
なかっただけのことです。
上手くいかない時、「動乱」を期待しますが、動乱を迎えて「実力」
がなければ龍馬になる前に無名の浪人として切り捨てられてしまい
ます。
不遇は実力を養えという天の采配、メッセージです。
だいたい・・・若者が減少している時代なのですから、それだけ
で「圧倒的に有利」だということを念頭にビジョンを立てれば、
平成日本は若者にとって「みぞゆう(しつこいですね)」の
チャンスが広がっています。