薄汚い資本主義者など勝手にやっていればいい

 昨日、日経平均は9000円を割り込み、円高対策をとらないと
見透かされた円は昨夜というか今朝方 為替は83円にまで跳ね上
がり本稿執筆時の午前5時53分現在83.94円。

ところが相変わらずに経済無策。

そんな国民生活を振り返ることもせずに

「権力党争」

を繰り返す与党 民主党の姿に私はこんな言葉を贈ります。

「いま、きみたちは自民党を越えたよ」

さすがの自民党でもここまで経済を無視して党内の権力闘争に
明け暮れたことはなかったのではないでしょうか。輸出が戦後復興
を助けた日本経済にとって「円高」は自民党どころか、日本国と
いう国家の破綻を連想させたからです。

そしてあえていいます。

「選んだのは我々」

さて、経済無策は危険水域になっていますが、その根本的な

「国の借金」

について、三橋貴明さんが日経ビジネスオンラインで明快な
指摘をしています。

■日経ビジネスオンライン
家計簿的発想で「国家のバランスシート」を見るなかれ
http://bit.ly/avIwNH

詳しくは原文に当たって欲しいのですが、家計簿的という
指摘は国の収入に対しての支出と、その借金という見方を
そもそもの間違いとし、国の負債=借金とは国内企業や日本国民が
負っているのであって、それは国に対する「債権」だということ
です。

ざっくりといえば、国に国民が金を貸してやっているのであり
他国から借りている訳ではなく「破綻」すると脅す、政治屋や
メディアの言い分はおかしいよと。さらには日本国が持っている
外国の債券はがっちょりあるので、悲嘆するに過ぎるのは結論
ありきの論理構成だといいます。

似て非なることを勝間和代さんもいっていましたが、彼女は

「国は土地などの資産を持っている」

というちょっと首をひねるモノでしたが、さすがに政治の世界を
目指しているだけ会って三橋貴明さんの指摘には考えるモノがあり
ました。

それは「財政論」ではありません。「政治観」です。

ちなみに土地は大量の売り物が出れば値段が下がり、捕獲してい
ないタヌキの皮は大幅に下落して、当初の見込みが大きく外れる
ことでしょう。

日本の国債は主に国内で消化されているので、アルゼンチンや
ギリシャのようになることはありません。これを三橋貴明さんは
怒るでしょうが「家庭」に置き換えればこうなります。

お父ちゃんの稼ぎが少なくなって家族に金を借りている。

子ども達は成人し、お母ちゃんは近所にパートに出掛けている
家庭ならあり得ない話しではなく、お父ちゃんを「自営業」に
設定すれば・・・けっこう良くある話しです。傾いた家業を
助けるために外で働く子供が資金援助をすると。

アルゼンチンやギリシャはサラ金や近所の知人から金を借りて
いたので破綻しましたが、お父ちゃんの借入先は家族なので、
破産する必要はないということです。

さらにこのお父ちゃん、お人好しで、羽振りが良かった頃には
近所のおっちゃんらの借金を肩代わりしてあげ、支払いも待って
あげています。そしてお父ちゃんは気弱でもあり、支払いを待っ
ている国の羽振りが良くなってもなかなか請求できないでいます。

また、小学生の頃「虐めた」と因縁をふっかけてくる近所の
幼なじみの生活が苦しいからと援助を続け、幼なじみの家が
御殿になった最近まで、子ども達から金を借りながら、援助を
続けてきました。今日はここは掘り下げません。

さて、本当にお父ちゃんは金を返さなくて良いのでしょうか。

あくまで一般論でいえば生計を共にする家族からの借金の
取り立ては「困難」です。「家族破綻」する覚悟でも難しいで
しょう。

そもそもお父ちゃんの借金が個人的な浪費なのかということも
問題になります。ギャンブルにうつつを抜かしているのなら
分かりますが、そのギャンブルで大勝ちした時に「ぱぁ〜」っと
家族で豪遊していたとしたらどうでしょう。利益を享受した以上
共犯者です。

また、子供の各部屋の居住性能を高めるため、エアコンを
いれ床暖房にしたリフォーム費用もお父ちゃんが支払いましたし、
お母ちゃんが倒れた時に頼んだヘルパーもお父ちゃんもちです。
受益者負担を問われれば全額弁済は期待できません。

ご近所さんの借金を肩代わりしていますが、お父ちゃんは
若い頃「やんちゃ」で、いまでもその当時の恨みをもつものが
新月の夜に狙っているという噂が絶えません。そこで、町の顔役
にケツ持ち(守って貰う)をお願いをしているいきがかり上、
借金を肩代わりしているのです。

お父ちゃんの借金は1000万円。
一方、お母ちゃんと子供の貯金を合わせると1400万円。

街角レベルの一般論はこういうでしょう。

「家族で力を合わせてやり直せばいい」

それともお父ちゃんを蹴り出しますか?

「国は家族、国家は家」

という国家観においては、お父ちゃんの借金は家族総出で
返せばいいだけのことです。ここに立てば、いまの日本国が抱える
借金など確かに気にすることではありません。

しかし、これならどうでしょう?

「国は国、俺は俺」

結論を述べればこの論理は日教組教育を受けた日本人にしか通じ
ません。個人主義と国家への帰属を否定した日教組教育では、違和感
がないこの「俺主義」ですが、世界では非常識というより論外です。

国と個人は繋がっていますが、個人だけが独立して存在することは
なく、あるとすればそれを「難民」と呼びます。

国家を部族、一族、民族、宗教と置き換えることはあっても、人間が
ただ単体で存在することは「自分探し」などの個人の空想や妄想を除け
ばできません。

きついことを言います。

「国民負担とは国家の国民であるかぎり当たり前」

なのです。もちろん、税金は少ない方が良いですし、使われ方に
も一定の納得できる材料を提示して欲しいとはおもいますが、どんな
形であれ国民負担とは、この国に生きる以上は「コミ」だということ
です。

そして「借金」についても「自民党が作った」というのは確かに
その通りですが、世界第3位の経済大国(去年までは2位)もまた
自民党が作り、この反映も停滞も堕落も国民と自民党が作った(こ
れも正しくは間違い、自民党に政権を委ねたのは当時の日本国民で
後期高齢者や団塊の世代の多数が選んだもので、戦後復興は国民の
力の賜と幾つかの国際的な幸運による)のです。

つまり戦後65年の繁栄も衰退も国民が選んできたことであり、
国家と国民は一体で、国民が国家の負担をするのは当然ということ。

するとすぐに「戦時総動員態勢」などを持ち出し、

「軍靴が聞こえる」

と大騒ぎする人がいますが、イコール戦争というのも短絡的な
話しですし、逆に国家の借金を国民負担から切り離したらどうなる
とおもいます?

国は国民への借金を返すために海外から金を借りるのです。

さきほどのお父ちゃんが子供への借金を返すためにサラ金から
金を借りるということです。

・・・もちろん、誰も金を貸してくれませんよ。返せないと
分かっているものに金を貸すお人好しはお父ちゃんぐらいです。

そしてお父ちゃんが、ある朝。

「鐘は返さん」

と尻をまくったら。

国家とは国民の生殺与奪権をもっているという「政治観」。
があるかないか。

これは私見ですが、菅首相が経済系で記者会見を受ける際に
にやけているように見えるのが気になります。

そこにこんな想像をしてしまうのです。

「円高? 経済?
薄汚い資本主義者など勝手にやっていればいいのさ」

市民運動上がりの国家観って「解体」の対象でしかないのかも
しれません。ならば、経済が破綻することはねがったり叶ったりと。
 

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