ズルを許容する社会になった根本

 早稲田大学OBによる株価不正操作事件をご存じでしょうか。
事件の概要をざっくりと説明するとこうなります。

1:一株1000円の株に大量の売り注文を出す
2:株式取引は相対価格で決定するので買い手がいなければ下落
3:下がった株価で買い注文を出すと同時に売り注文を中止
4:安い値段で株を購入
5:株価が「適正価格」に戻った時点で売る

この反対もでき、最大のメリットは株価の下げも上げも「操縦」
できるのでほぼ100%儲かることです。もちろん、違法。

しかし罪の意識はなかったといいます。

「見せ玉」といわれる古典的手法ですが、ネット取引が始まって
からずっと言われていたことで、知人のネットトレーダーにいわ
せると、複数気配値から「仕込み」が分かると言います。

懐かしい言葉でいえば「仕手筋」も原理は同じです。こちらは
ジワジワと買い集め(または売り浴びせ)ると同時に噂や情報を
流して、株価を過熱させた時に「手じまい」して差額を儲けると
いうものです。こちらもネットトレーダーの世界ではまことしや
かに現存すると語られる手法です。もちろん、違法。

そして儲かります。自作自演で差額を手に入れることができる
のですから。いわば「八百長博打」です。だから以前は

「アンダーグラウンドの住民」

が手がけたものです。

さて「株式取引」ってなんでしょうか。
ホリエモンやら村上ファンドやらで大層な能書きが飛び交い
ましたが、本質は「博打」です。上品な人たちはこれを

「大航海時代にリスクを分散するために株主を募った」

などと事実の半分だけ語りますが、航海に成功して得られる
リターンとは株主報酬であり、競馬で言う配当金でパチンコの
特殊景品です。

つまり見合うリターンを期待して賭けることであり、それは
パチンコとなんら変わらず、そこには宝くじも含まれます。

株式投資で言えば「上がる」または「下がる」、さらには
「配当金」を期待して購入するのです。そして上昇を期待して
下がることも、その逆、さらに業績悪化により「無配」という
リスクもあります。

なかにはこんな反論もあります。

「株式投資は企業を応援するためにする」

まぁ少数意見ですが、オグリキャップの馬券を家宝にしている
人もいるのでやはり同列です。

議論を明確にするために述べておきますが、私は博打を否定
しません。博打は身を滅ぼすというのは個人差の問題だと考え
ており、さらには

「人生が博打そのものだ」

という主張は大筋で合意します。ついでにいえば「選挙」も
博打であり、日本国民は今回、民主党という勝ち馬投票券を
購入し、あるいは出資した株主と換言できます。

パートナーが誰か、やどろくか、働き者か。愚妻か良妻か。
よく耳にするのが結婚後の

「こんなはずじゃなかった」

という嘆きは、まるで最終レースが終わった後の競馬場の
光景です。

話を株式取引に戻します。株価の不正操作が問題となるのは

「フェア」

でないからです。博打が成立する最大の前提条件が「フェア」
であることです。

実際には「親(胴元)」が有利になるのが博打ですが、
これは証券取引所にも同じことが言え、参加者がいる限り
主催者は儲かる仕組みがあります。

しかし「子(参加者)」はフェアでなければなりません。
分かりきったことですが、あえて説明をすればA,B,Cと
3人の子のウチ、Aだけが有利になるようなルールがあれば
BとCは参加しなくなり、賭場(市場)が成立しなくなります。

儲けるために賭場に参加しているのに、損が明らかなら
金を投じる意味がないのです。

そしてこれはそのまま「競争」にも当てはまります。

100m走をしました。A、B、Cの三人の児童はそれぞれ
50m、70m、100m手前からスタートします。Aくんは
圧倒的に有利な状況でCくんのモチベーションは上がるでしょ
うか。

「競争」はフェアでなければなりません。

これは「喧嘩」でも同じです。昭和の頃「道具(得物、
もとい凶器や武器)」を使うことが好まれなかったのは、
必然的にエスカレートすることを誰もが知っていたからです。

素手より棒、棒より木刀、接近戦ならナイフ、さらには
ピストルと。さらに「正々堂々」が貴ばれたのは道徳教育
だけではありません。「卑怯」を許しては最後は殺し合い
に辿り着くからです。

例えば後ろから殴る、二階からモノを投げる、寝込みを
襲う。などなど。もちろん、逸脱することもありましたが、
素手で正々堂々とが叫ばれたのは行き過ぎを回避する

「生活の知恵」

だったのです。

博打・・・いや、株式投資の世界でも「ずる」を許さない
本質は同じです。儲けるための競争であり、だからフェア
が求められるのです。

早稲田大学OBによる不正は悪いことですが、問題は
これを「セイガク(上品じゃない人たちが使った学生の
呼称)」が行ったことです。

アンダーグラウンドの住民ではなくセイガクです。

ちなみにアンダーグラウンドの世界で「賭場荒らし」は
片腕を切り落としたと聞いたことがあります。命まで取
らないのは「見せしめ」だと。

アンダーグラウンドの世界での不正は命がけでゲーム
感覚ではできないリスクを背負っているのです。

それでは「セイガク」達はどうなるのか。

十数億円とも数十億円とも言われる利益を上げて
10年以下の懲役か1千万円以下の罰金です。

仮に10億円で10年でも年収1億円。
果たして証券市場という賭場では利益に見合うリスクが
用意されているのでしょうか・・・というのはヒルズ族の
ころに呈した苦言ですので繰り返しません。

今回の主題は「ずるを許容する社会になった根本」に
ついて。

人生とは競争です。人生とは博打です。

そして人生を演じる舞台は社会であり、つまりは
フェアが求められ、フェアが歪められれば秩序が崩壊
します。

ところが「フェア」の大切さはどこかないがしろにされ
少しでも有利にゲームを進行できるようにという風潮は
「お受験」で良いレールに乗せようとする親心に通底し
ます。

これは「都市伝説」ともいわれていますが、

「徒競走で全員並んでゴール」

に根本を見るのです。一部、大阪方面では事実といわ
れていますが、しかし、基本的に明確な優劣をつけない
ことは「日教組」の方針です。

さて

「一所懸命走ってもゴール前で待たされ順位もなくゴール」

と知り、懸命(いのちがけ)に走るほど子供は純粋
じゃありません。

徒競走が都市伝説だとしても

「できない子にあわせて進める授業」

は私の体験ですが、すると理解力の高い子供は馬鹿
馬鹿しくて授業を聞かなくなります。特に中学に入っ
てから

「ここはテストにでるぞ」

という板書が本当にテストにでたとき、学習意欲が
皆無となったことを覚えています。私的な体験ですが
知的好奇心を満たすことが授業の目的ではなく、先生の
または教科書(学習指導要領)のロボットとなること
なのだと考えた日から、勉強の全てが嫌いなりました。

さらに塾の存在は否定しませんが、そこでは

「中間・期末テスト対策」

として集中講座が行われるといいます。
同級生は言いました。

「学校の授業よりわかる」

と。これをもってすなわちアンフェアとするには
あまりに「一般的」となり、さらには教師の授業力や
組織の問題など諸事情が入り組むのですが、単純に競馬に
置き換えれば

「特別調教」

が施されている競走馬と、トレッキング用の馬が
同じレースに出走するようなモノですが違法ではあり
ません。先に述べましたが「お受験」「中学受験」により
決まる「学歴」も否定されるモノではありませんが、
学力を保証するモノではありません。しかし、学歴は
社会にでればちょっとした「レアカード」となります。

そして根本の結論は

「フェアでないが合法を学ぶ教育環境」

が早稲田大学OBによる不正を、さらにはヒルズを賑わ
せた事件の背景ではないかと。

彼らの容疑を環境を理由に庇うつもりはさらさらあり
ませんが、物心ついた時から「イカサマ」に触れていた
としたら「競争の原則」に気がつかないのも無理はありなく
故に罪の意識など存在しないのです。

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