最近、幻冬舎の新書をよく手に取ります。
雑誌やムックではなく、書籍まではいかない「新書らしい」と
いうとおこがましいのですが、なんだかそんな感じがするのです。
そして日垣隆さん。これは偶然ですが、この1ヶ月で4冊ほど
読んだのですが、面白さでは本書が一番でした。まさしく新書ら
しいと。
トリビアの泉的に本書を紹介するとこんな感じです。
「国会議員が喰える職業になったのは・・・社会党政権から」
「という。で結ばれる記事は・・・取材していない」
「仲間を欺き続けて誉められる・・・仕事がある」
「スクープのためなら・・・人の人生を狂わせてもいい」
なん「へぇ」をつけるかは読者次第でしょうが、報道とは
かくもいい加減で怪しげな土台にたっており、いやいやそれを
責めるのではなく、人の宿業にも似たものがあり、だからこそ
律すべきところがあるのではないかというアンチテーゼを
本書に見ました。
秘密とウソ。この境界線は。そしてウソと報道。秘密と報道。
そしてう〜むと唸ったのがこれ。
「なぜ、阪神支局襲撃事件を毎年追悼するのか」
ことし週刊新潮が「世紀の誤報」をやらかしてしまった元の
事件ですが、朝日新聞ではこれを毎年追悼し検証報道をします。
日垣さんは事件の重大性について慎重の述べた上でこう指摘し
ます。
「年間1000人前後もの人たちが殺人事件の被害に遭っている
のに、なぜ朝日新聞社員の死だけを超特別扱いするのか」
同僚の死を悼むのなら社内報でやれと続けます。
人の死は無条件に悲しいのですが「報道」として如何なものかと。
■秘密とウソと報道
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