そういえばそうか。
読後、ひとつの当たり前に気がつき、ひとつ唸りました。
当たり前とは広島にあって長崎にないもの。
タイトルにある「原爆ドーム」。つまり被爆の遺構です。
すべてが蒸発したのでも、粉砕したわけではありません。
そこにあったのです。原爆の悲惨さ、恐ろしさを雄弁に語る
ものがです。
ところが取り壊され、いま残るのはその一部に過ぎません。
それは「浦上の天主堂」。カトリック教会の施設です。
唸ったことは「プロパガンダ」です。そう、戦争が外交の延長に
あるように、未然に防ぎ、事後の処理を有利にするのにもプロパガンダは
不可欠で、それは「政府」という表看板がなくとも取り組まなければ
ならないものだという唸りました。
本書のヒントのさわりをひとつ。
「キリスト教徒がキリスト教徒に原爆を落とした」
宗教批判ではなく、いくつかの偶然が重なり、歴史が作られたと
いうことで、その歴史の語り部はいまはもうありません。
■ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」
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