生育歴を辿っても本質には辿り着きません

人生には出会うべくして会う人と、出会ってはならない人が
います。

もっとも「ならない人」というのも運命の中でどう消化するかの
問題で、出会いに無駄はないともいえるのですが、梅宮一家にとっ
ての「羽賀研二」さんはそういう人ではないかと。

もちろん、私も面識がありませんが彼の人物評とあげつらわれる
「余罪」を見るにつけ「天然の人」だなぁと溜息をつきます。

どうしても人は自分を基準に物事を測ろうとします。

そして世は捨てたものではなく、ごく一般的にはまともな人が
圧倒的に多いものです。

嘘はつかない、約束は守るなどなど。

これらを支えるのにいろんな理由付けがありますが、なかなか
的を射た解説に突き当たりません。

面白がるワイドショーはその性質から「答え」をだすより
周辺で踊っている方がネタになるので仕方がないとしても、どう
してあんな男にという議論はつきません。

そしてそういう人は実在します。
出会わなければ……口噛む人がです。

まともに取り合った先には、徒労という二文字が浮かび上がり、
とてつもない疲労感を身体をまとうこととなります。

殆どの場合、「人なつっこい」ので大なり小なり騙されること
となります。

不思議なほどにすっと入ってくるのです。
みんなのいい人というのに、日頃温厚な人がどうしても苦手と
いう人がいたら、そういう人の可能性が高いので要注意です。
これは理屈ではなく、感じる人は感じます。

一方、嫌見なく親しげにしてくる人を遠ざけることはあまり
ありません。

結果、被害に遭います。

羽賀研二さんにしても「どうしてそんなことを」と皆が首を
ひねり、お金が理由なのかと分かりやすいものをあげますが、
私が思うに

「一貫した人格」

があるか否かからのアプローチが必要なのです。

つまり、1時間前と今とで反対の意見を言うことは同じ人格を
もっていれば難しく、約束を破った後には約束をした自分との
葛藤が待っています。

不可抗力を除けば、葛藤を天秤にかけて「どっちがトク」かと
判断して、時にはウソをつきます。

だからウソにはある種の「合理性」が要求されます。

犯罪の「動機」を求めるのも同じ理由です。

ましてや「動機なき犯罪」は、社会生活を根底から揺るがすの
で絶対に必要なのです。

なんとなく殴っちゃいました。
刺しちゃいましたけどそれが。
盗んだけど別に欲しいわけでは。

……とサンプルを上げて驚いたのは最近、多くないですが、
社会基盤を揺るがす理由なき犯罪。

話を戻します。
一貫した人格が参加者だという前提で成り立っている社会で
その場その場で人格を形成して厭わない人がいたらどうなるで
しょうか?

ある時はお姫様、ある時は生保レディ、そして主婦であり、
夜の蝶。

ま、いなくもありませんがそうではなく

「時に左側で、時に右側。そしてある日は人権主義者」

というように自分のアイデンティティをその場限りで変えて
しまう人のことです。

そしてそこに悪意はなく、その場だけでの「最適解」を紡い
でいきます。

身につくものと言うより「天性」のものです。
だから生育歴を辿っても本質には辿り着きません。

人なつっこく感じるのはこの天然の人が人と出会ったときの
「最適解」だと学習しているので、なりふり構わず気に入られ
ようとします。

普通の人が一貫した人格の中で、相手の価値を見定めようと
するなかで、相手がどんな人であるかは重要ではなく、とにか
くその場限りでも気に入られることが大切なのです。天然は。

もちろん、人なつっこいことが悪いわけではありません。
ただ、「理解不能な人」は人格が一定していないのです。

彼も精神鑑定したら何人のビリーミリガンがでてくることか。

このアプローチを知っておくといつか役立つ日が来るかも知
れませんが、遭わないことを願っています。本当に大変です。

この「天然の人」は決して悪いばかりではありません。

例えば、タレントさんや役者なんかでは輝きを放つ資質です。
数秒後には違う人格になれるのですし、過去にコダワリがない
ぶん次に進むエネルギーに溢れています。

ただ、ビジネスには不向きです。
だって毎回違う人格の人と取引はできませんから。

つまずきはそこなんでしょうね。たぶん。

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