文字に置き換える能力の低下

漢字の書き取りが死ぬほど嫌いでした。

「どうして同じもの何度も書かなければならないんだ」

子供心に酷く馬鹿にされているように感じていたのです。

一方、「読書」は好きでした。知らない漢字はとりあえず、
読み飛ばしいていけば何となく意味が分かったものです。

どうしても分からないものは辞書で調べ、前後の文章と読み合わ
せることにより立体的にその偉大なる漢字(読めなかっただけです
が)を制覇した高揚感に満たされたものです。

後年。反復練習の意味を知ったときには既に遅し。

「漢字の書取りは全滅」

という前提での試験対策をすることとなります。
社会人デビューで「プログラマー」なり「ブラインドタッチ」を
2週間ほどでマスターしたのも

「ワープロができれば漢字は書けなくてもOK」

とどこまでも逃げ馬を決め込んだからです。

後輩ができ「説教垂れる」程になったときに、紙に書いて説明を
する必要に迫られました。

それはなんてコトのない漢字のハズ。そう「漢字」。

「感じ」はでても「漢字」が書けないのです。

それからの「言い訳」は

「ぱっぱっとだから平仮名になっちゃけど」

・・・時々、そういいつつ片仮名を書いていました。

紆余曲折を経て独立後。
「逃げられない」ことを悟った私は、

「残りの人生、一つずつでも漢字を覚えていこう」

と今に至っています。
学生時代よりは漢字を書けるようになりました。

漢字を覚えていくと今度は「字の汚さ」に我ながら閉口するよう
になり、これもまた、ちょっとずつでも上手くなればいいやと35
歳を過ぎてから悪戦苦闘しております。

それもこれもあのとき、漢字ドリルをちゃんとやっていたら。

ま、やらんかったのも私の人生ですし、殴られてもサボる方法
を考え続けた性根の腐った小僧だったので、これもまた人生なので
しょう。

各種報道で

「八つの読めない、一つの書けない」

子供達が増えており、「テレビの視聴時間」との相関関係を
指摘していました。

これを受けてフジテレビの「とくダネ!」で、MCの小倉智明さ
んは「なんでもテレビのせいにしてもらっちゃ」と毒づきます。

もちろん、これはそうです。

調査によると一日3時間以上テレビを見ている子供の平均点が
下がったことに触れているのですが、

「塾に行っている子供のテレビを見る時間」

は物理的にありません。
また、こういう「調査」は、両極端は注意して検証する必要があ
り、夕方学校から帰ってから、深夜までテレビを見たりゲームする

「1日6時間以上テレビやパソコンと接している子供」

という特殊事情すらも「3時間以上」で括られ、さらには極端に
悪い点数は猛烈に全体を引き下げるということです。

点数が等しく分布していれば起こりませんが、

「70点が8人で0点が2人の学級の平均は56点」

となります。56点平均だとあまり誉める気はおきませんが、
学級の8割は70点なら悪くない数字で、0点の2人になにかある
のではと見て取ることができます。

これは恣意的に作った数字ですが、どちらかに針が振れている調
査結果は割り増しや割引がないかをチェックする必要があるという
ことです。

「テレビ悪玉論」や「近頃の子供は」という「持論」だったら、
この「情報」は心地よく、「そうだ。そうだ」となりますが、
統計や集計には誤差も偏りも恣意も思惑含まれていることが多々
あります。この調査結果のことというわけではりませんが。

3時間の根拠がどこなのかも疑問です。

私は確かに「書けない子供」でしたが、朝は6時から8時頃まで
テレビを見て、学校から帰ったら「本を読みながら」テレビを見て、
一日、5〜6時間は見ていましたが、「読め」ました。

だからステレオタイプのテレビ批判には首を傾げます。

しかし、同じく「とくダネ!」でアシスタントを勤めるフジテレ
ビアナウンサー、佐々木恭子さんフォローするように

「最近のテレビは(テロップなどの)文字情報も増えている」

といいましたが、これは大間違い。

テロップはより無惨に「学力低下」に拍車をかけています。

「テレビのテロップ」

については遙か彼方の昔に取り上げましたが、更に酷くなってい
ます。

聴こえづらいかた向けの字幕放送ではありませんよ。
お笑いのツッコミや、果ては普通のコメントまでテロップがでます。

昭和の頃は、生粋の方言や地域の人にしかわからないものにいれ
ていたり、ちょっと理解力を要求される状況を説明するものだった
りしたもので必要でありました。

しかし、いま「ニュース」番組を見ていても、インタビューの
コメントが「テロップ」でまとめられます。

しかも「要約」されて。注意してみると話しているままの
テロップは希です。

人の話には「間」があり、そこにこそ機微と真実と情感がありま
す。文章でいえば「行間」というところでしょうか。

時には口語故の言葉の間違いもありますが、それもまた個性です
し、ボキャブラリー(語彙)も構成力も「論」を彩り、裏付ける
要因です。

ところがテロップには行間などなく「要約」だけがあります。

いま、研究が進められているところですが、

「若者の日本語のヒアリング能力が低くないっている」

といいます。黒板などで「文字」で示さないと理解できない
若者が増えているというのです。

でも、これは若者だけでなく日本人全般にいえるのではないかと
いうのはミヤワキの仮説です。

人間は周辺情報の8割を視覚情報から得るといいます。

するとテレビを見ていて、耳で聞いたはずの「言葉」と

「テロップで要約された『答え』」

の場合、見たものを自然と選択しているのではないかという
仮説です。

結果、講師のスピーチだけでは不安となり、板書で表されて
ようやくホッとするという図式です。

そして

「目に映る数行の文字の集合体しか理解できない」

子供・・・ではなく大人が誕生します。
文章ではなく「図形認識」のように。

際限を忘れたテレビテロップの「要約」垂れ流しが、耳から
入った情報を「文字変換」する能力を奪い取っているのです。

言葉は文化そのものといってもよく、また文字により人類は経験
を次の世代に引き継ぐことに成功しました。

漢字が読めない書けないは大問題です。
身につけるには反復練習しかありません。

しかし、「文字」に置き換える能力の低下についての議論が疎か
になっていることが気がかりです。

兆候は「若者メール文化」に表れてきています。
想像を絶するぐらいの「超単文メール」です。

論理思考ではなく脊髄反射的な「条件反射」だけでメールが
やり取りされています。

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