「ガキ使」の浜田の黒塗りを「差別」。騒動化を目指すカラクリ


 文字通り元旦(正月の朝)から、ネットで話題となっていたのが「差別」。

 差別はダメ、絶対。という大前提ながら、なにが「差別」については昨今、議論が紛糾する場面も少なくありません。

 少数から多数派や、弱者が権力者を差別することは、反抗や対抗であって差別ではない、という珍説が拡散されているからです。いや、言葉を換えても「差別」はダメだし、誹謗中傷も健全な市民社会を脅かしますし、価値観の相違なら話し合いを経て妥協点を見いだすべきでしょう。

 議論の結果、丸飲みされることもあるでしょうし、主張が全否定=論破されることもあれば、折衷案が落としどころになることもあります。

 だから議論を経ずに、片方の要求を飲め、あるいは受け入れろとの強要は、別の差別を生み出すことにつながりかねず危険です。

 年越しバラエティとして長寿番組の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル」。「笑ってはいけない」としたほうが分かりやすいでしょう。

 昨年末は「アメリカンポリス」をテーマに、いつもどおりダウンタウンやココリコなどの出演者が、笑ってしまうとお尻を柔らかいバッドで殴られる「ケツバット」という罰を受けていました。

 紅白の裏番組としては民放トップの17.3%(第一部)を記録しました。

 演者は展開を知らされておらず、与えられた指示に従う「ドキュメンタリーコメディ」で、毎回、さまざまな舞台設定がなされ、設定に沿った「着替え」が序盤のお約束で、いつもダウンタウンの浜田雅功、通称「浜ちゃん」だけが、女装だったり、おかっぱだったりします。

 今回は、他の出演者が架空の「アメリカンポリス」の制服なのに、浜ちゃんだけは大ヒットした映画「ビバリーヒルズ・コップ」のときの主役「エディ・マーフィ」に扮します。1984年の作品のため、テロップで映画や役名を紹介していました。

 「突っ込み」の浜ちゃんが、与えられた設定により強制的に「ボケ」にされるというお約束。念のため述べておきますが、扮装の内容は実のところ、どうでもよく、

「いばりちらした日頃の浜ちゃんの役回りとのギャップを笑う」

 と私は理解しています。

 ところが、このエディ・マーフィが「差別」と一部で拡散されているのです。

 この「扮装」で、浜ちゃんは顔を黒く塗りました。
 それが

「ブラックフェイス」

 だとツイッターで批判されているのです。

 ブラックフェイスとは、かつて白人が黒人の扮装をしての出し物「ミンストレル・ショー」があり、時を経て「差別的」ということで姿を消し、いま米国社会では「差別」とみらるというもの。

 日本在住の黒人作家 バイエ・マクニール氏が異議を唱えます。

 情報として黒人の、とりわけ米国黒人の背負ってきた歴史的差別については理解していますし、「ブラックフェイス」についても通り一遍のことは知っています。

 そしてこう思う人がいて、それが黒人だけではないことも理解しています。

 それでも腑に落ちないのが、これを巡る「報道」の在り方です。

 マクニール氏の1月1日早朝5時のツイートにすかさず反応したのは、朝日新聞と実に親しいネット媒体「ハフィントン・ポスト」。

 翌1月2日には本人に取材し、3日には記事としてこの見出しで配信します。

《「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安》

 文字通り「不安」をかき立てる見出しですが、それは東京五輪・パラリンピックの開会式や閉会式で「ブラックフェイス」をやれば、日本が人種差別国に見られてしまうという不安です。

 他国からきて日本の心配をしてくれることには感謝しますが、杞憂に過ぎません。

 五輪のセレモニーはそれぞれの国の文化を発信するもので、記憶に新しいところでは「リオ五輪」の閉会式で、次回開催都市の東京がアニメやゲームといった「日本文化」をモチーフにしたようにです。

 我が国には他にも、能に歌舞伎、相撲などなどがあり、日本文化に「ブラックフェイス」を用いる文脈をみつけるのは困難です。もちろん、ボビー・オロゴン(本名:近田ボビー)のように、日本人となり日本で活躍する黒人もいますが、彼の出番が必要なら彼をそのまま登場させることでしょう。

 実はこのハフィントン・ポストの記事を、最後まで読み込めば、マクニール氏の主張は無理があり、そもそも記事として成立するかも怪しいものです。

 例えば日本には黒人差別の歴史がなく、そもそも文脈が違うとの記者の質問に対して、マクニール氏はあの黒船の「ペリー」が来港した際に、当時アメリカで流行していた「ミンストレル・ショー」を幕府の役人に披露しており、その後も「エノケン」や「シャネルズ(後のラッツ&スター)」が「ブラックフェイス」をしていた。だから「知らない」は通じないと主張。

 それは話しのすり替えです。

 ペリー提督が、当時の政府高官に披露した「出し物」を、いちいち日本民族として共有することなどありえず、仮にそうしろというのであれば、なんだか「黄色サル」と、いまだに進駐軍気取りなのかと反発もしたくなります。実際、マクニール氏のコメントに感じるのは日本人に対する「上から目線」です。

 「黒塗り」は確かにありましたが、シャネルズは黒人音楽へのリスペクトで、見た目のインパクトは最初だけで、当時の若者はその「いかしたミュージック」を支持したものです。

 歌舞伎における白塗りや隈取りのように、何者かになりきって演じることが日本の文化にはあり、いまの「コスプレ」に通じることでしょう。

 マクニール氏の個人の感想、憤りは彼のものながら、それを唯々諾々と記事化するところに、ハフィントン・ポストの「意図」を感じずにはいられません。

 その後も彼は、訪日外国人に日本の立場を説明するのは、日本をよく知る在日外国人の役割になるといいます。

 アジア侵略の橋頭堡を目指したとも言えるペリー提督の「出し物」をあげつつ、日本を「よく知る」というのなら「弥助」にふれないのはおかしい。黒人への「(人種)差別」と「奴隷」の歴史は不可分だからです。

 戦国時代の日本に渡来した南蛮人どもが連れていた黒人奴隷が弥助で、あの織田信長への献上品とされます。人ではなく「もの」として扱われたということです。

 ところが信長は彼を気に入り、家臣に召し抱えられ「黒人侍」になったと伝えらています。語弊を怖れずに言えば、奴隷から騎士、官僚に取り立てられたということです。

 日本人は黒人奴隷を「人」として扱ったのです。ペリーの出し物より価値ある歴史です。つまり、マクニール氏はペリーという歴史を引きながら、信長というそれ以上の日本史における要人に触れていないということです。

 つまり「日本をよく知る」にもレベルがある、このことをハフィントン・ポストは指摘すらしません。インタビュー記事とはいえ、注釈なく彼の主張だけを紹介するところに「意図」、あるいは「角度」を感じます。

 記事の結び近くに、マクニール氏による日本人への「アドバイス」を紹介します。

《この問題を解決する方法は、非常にシンプルです。こういう(黒人が登場する)シーンには、日本語が話せる黒人…できれば日本語が話せる黒人の俳優を起用すればいいだけです》

 ・・・既に紹介したように、この企画は

「浜ちゃんを笑う」

 ものです。浜ちゃんを黒人俳優に代えればコントの意味がありません。

 牛肉を禁忌とするヒンズー教徒のための「牛丼」は、牛肉のかわりに豚肉を使えばよいとはいえ、それはもはや「牛丼」ではなく「豚丼」です。

 シリアスな芝居や、例えば先の「弥助」をドラマ化する際になら、マクニール氏の「アドバイス」は参考になっても、浜ちゃんのバラエティには的外れです。

 記事において記者は、これについての質問をしていません。

 当人の「主観」は事実だとしても、その主観が間違った事実に基づいていたとき、それを注釈もつけずに報じることが果たして正しいのか。

 ちなみに強制連行されたとする在日韓国人の女性の証言が、史実においてずれがあり、そのまま報じた神奈川新聞を批判したところ、そのコラムが「ヘイト」だとされ、そこそこ人気を誇った私の連載を打ち切ったのは「マイナビニュース」。毎日新聞系列ということなのでしょう。

 ハフィントン・ポストは朝日新聞ととても親しく、というより、日本版は朝日新聞との合弁事業です。

 するとどうしても思い出してしまうのが、朝日新聞の世紀の誤報「従軍慰安婦」です。もちろん、そんな職業は当時もいまも日本にはありません。

 いま、この「被害者」とされる方々の証言のいくつにも、齟齬が確認されております。年月を経て記憶が不確かな「主観」に揺れることはありますが、それを注釈もつけず記事にするのは、事実(ファクト)を重視する新聞社の態度ではありませんが、朝日新聞にとっては、こうした案件におけるファクトはさして重要ではないのでしょう。

 こうした案件とは「反日」、あるいは「ディスカウントジャパン」で、日本の名誉を汚し、名を貶める角度においてためらいを見つけることは困難です。

 さらに、記事では重要な確認事項が抜け落ちています。
 それは

「番組を見ての批判ですか」

 ということ。

 記事とツイートから、マクニール氏は、番組の一部をスナップした画像に映った「ブラックフェイス」だけを問題視しているように感じます。

 もちろん、ワンカットたりとも、どんな文脈であっても「ブラックフェイスは許さない」という態度もあるでしょう。ならばその立場からの主張だと明確にして記事にすべきでしょう。

 そして、マクニール氏のツイートにある「浜ちゃん以外の画像」も追及しなければなりません。

 そこには朝日新聞系列の「テレビ朝日」の「黄金伝説」でお笑いコンビ「よいこ」の濱口優によるブラックフェイスの画像も添付されています。

 「よいこ」の方は、アマゾンの取材で「染料」をかぶり、肌が紫色になったテレビ朝日の名物ディレクター「なすD」への対抗としての「黒塗り」でしたが、画像を見る限り隣にあるエディ・マーフィ・浜ちゃんと意図するところの区別は困難です。

 ここからもマクニール氏が番組を見ずに「ブラックフェイス」にのみ反応した可能性が高く、また、記者も番組を見ていない可能性が浮上します。

 当該番組を見逃したとしても、画像を見れば、映り込んだテロップで片方が「黄金伝説」だと確認できます。こうした事実確認すらせずに朝日・・・もといハフィントン・ポストの記者はマクニール氏に訊ねたとすれば、そこに「意図」を見つけてしまいます。

 記事はあくまで「マクニールさんの言葉」として紹介するばかりで、マクニールさんの認識を正すことも確認することもなければ、注釈も添えず、日テレやテレビ朝日に見解を求めたという記述もありません。

 そこに見つけるのは「差別」をツールとしたジャパンダンピングです。

 1月3日に公開されたハフィントン・ポストの記事に呼応するように、英国BBCや米国ニューヨークタイムズも騒動を報じ、その報じたという記事をハフィントン・ポストは1月6日に記事にします。そしてこの日を皮切りに、朝日新聞御用達の「朝日文化人」が「差別」「ブラックフェイス」でツイート、ブログを同時多発的に拡散。

 騒動の一部を切り取り、海外に積極的に拡散し、海外が報じると「外国様もお怒りだ」と逆輸入する左派、反日活動家の手口にソックリ。

 ハフィントン・ポストは外国様がお怒りになっているという箇所だけつまみ食いして記事にしていますが、そのハフィントン・ポストがリンクを貼るBBCの記事では、以下のように「批判」や「擁護派」の声も紹介しています。

「すごく得意そうだね。米国人の罪の意識を日本人に押し付けて。そもそも日本では問題にもなっていないことを、直そうとしている。米国で不適切だからって、世界中でそうだとは限らない。#作られた義憤」

「浜ちゃんがどれだけディテールにこだわっているか、ちゃんと注意して見てるの? 服とか靴とか。本当にエディー・マーフィーになりきりたかったのが分かる。エディー・マーフィーの最高コメディーがどれだけ好きで尊敬しているかが、見れば分かる。でもあなたたちは違う。あなたたちは、ミンストレル・ショーや奴隷やヘイトを見るのね」

 ニューヨークタイムズも「浜ちゃんが〜」という声を掲載しており、つまりは「様々な意見」を紹介していますが、ハフィントン・ポストはBBCとニューヨークタイムズのどちらからも「つまみ食い」しています。

 さらにこれを「差別」だと騒ぐ朝日文化人は、かつて「保育園落ちた。日本死ね」を積極的に取りあげて拡散していました。

 さらに議論を飛躍させれば、選挙では事実上、野党は惨敗し、安定の安倍政権で、モリカケも飽きられ、もはや「政府転覆」が困難となった左派が、お屠蘇気分で飛びついたのがコレ。

 差別、というレッテルで思考停止させることで、すべての「議論」を封じるのもいつもの手口です。

 状況証拠から浮かび上がってくる仮説が「差別のツール化」。

 政治目的を達成するためだけに用いられ、対立を生むだけで誰も幸せにしない卑劣な手口です。あくまで「状況証拠」ながら、その手口はネット上で「可視化」され保存されています。

 一方でマクニール氏からの問題提起は、我々に「議論」の必要性を突きつけています。

 それはこうです。

「差別も含めた海外の文化を一切の批判も検討も加えずに受け入れるのか。それとも“議論”を踏まえて取捨選択すべきか」

 常識的に考えればどちらかは明らかながら、今回の「差別」では、たぶん日本人と思われる連中からあがる批判に議論の余地はない「差別」のみ。米国では、海外ではアウト。なるへそ。

 「成人の日」のNHKに、こんなヘッドラインが踊りました。

東京23区の新成人 8人に1人が外国人

 留学生の増加が主因とし、新宿区ではなんと45.7%。二十歳の半分が「外国人」なのです。

 海外の「文化」を丸飲みしたとき、そこは果たして「日本」でしょうか。仮に丸飲みが日本国民の総意ならば、私はそれに従いますが、それはイスラムとキリスト、ユダヤ、アフリカと南米にロシア人と、すべての国の「文化」に応じなければ、排除された側の外国人は「差別」と叫ぶことでしょう。

 日本以外の国からやってきた外国人が、自国の文化を強制する。それも一国だけでなく全ての国のゲストが。

 それはもはや文明国ではありません。

■「ブラックフェイス」報道にみつけるカラクリ 動画版です。
今回は動画と文章で、角度を変えて検証しています。
なお、顔がむくんでいるのは「寝過ぎ」です。

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