津田大介氏「リベラル敗北論」の欺瞞

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 虐められているものには、虐められる理由がある。

 いまどきこんなことを言えば、差別主義者(レイシスト)だなんだと非難の雨あられが起こるでしょうし、世の中は理不尽なもので、まったく被害者に非のないイジメは存在し、これを許してはなりません。

 法治国家において私的制裁は許されていませんが、法律がすべてをカバーできるという幻想を支持しない私にできるアドバイスはこれです。

「やられたらやり返せ」

 軽口程度と聞き流していただきたいのですが、反撃しない限り暴力がエスカレートするのは、イジメの参加者は幼児性が強く自制が聞かず、イジメが過激化するのは所属集団への同調圧力の仕業です。

 また、イジメ的な暴力により殺される、自殺に追い込まれるぐらいなら「やられる前にやる」べきと私は考えます。

 私は学生時代、定期的に虐められていました。

 はじめは小学校一年生の時。転校生として、土佐弁を理由に「田舎者」と虐められました。

 アニメ『いなかっぺ大将』のオンエア(多分、再放送)も手伝い、「にゃんこ先生はいないのか」ともからかわれました。犬派の私にとっては・・・とは別の話。

 子供は残酷。異物を嫌うのです。言葉の多様性を理解しない幼児性によります。

 心苦しい告白ながら、虐めたこともあります。クラスの皆が虐めているという理由だけで、その同調圧力から調子にのってあることないこと言いふらしました。

 許されることではありませんし、許してくれとは言いません。
 一生の後悔を胸に死んでいくつもりです。

 中学二年生の頃か、ふたたび虐められました。学年のいまでいうところの「イケてる」グループにハブられたのです。今風でいうなら男子の「スクールカースト」において、私は最下層だったのかもしれません。

 その少し前には、不良グループのイジメのターゲットにもなっています。

 だから言います。私が土佐弁を抱えていたように、虐められる側にも理由があります。

 息を吐くように嘘をつく、嘘を重ねる、嘘を認めない。
 自分の考えがなにより正しいという前提で正義ぶる。

 こうした人が、なにかのきっかけで虐められることは良くあることです。というより、いま現在進行形で行われているパヨク、あるいは自称リベラルを対象とした「ネットイジメ」の構図です。

 きっかけは自分でありながら、攻撃され、批判されたことだけをも喧伝し「被害者面」します。そしてイジメが加速します。

 自分から殴りかかっておいて、殴り返されたことをイジメと騒ぎ、初手の攻撃を反省しません。こうして発生した「ネットイジメ」について、虐める方だけが悪いと私には言えません。

 もちろん、こうした人々を、虐めるかどうかは個人の価値観で、私は先の一生の贖罪のためにイジメに加担することはありませんが、同じ社会の参加者として間違っていることは間違っていると指摘はします。今回はそんな回です。

 ITジャーナリストのはずが、いつのまにやら「IT」がとれ、ネットで政治を動かせると過信してからは「メディア・アクティビスト」、つまりは「活動家」を名乗っている津田大介氏。

 金髪を特徴としメディアで大活躍されております。Twitterで社会が変わる的な妄言は、IT系でスマッシュヒットした人物にありがちな勘違いで「ウェブ進化論」の梅田望夫氏にも通じるよくあること。

 発言の不確かさに危うさを覚えずにはいられませんが、他人事であり、彼の活躍の場のひとつであるフジテレビを、いまはほとんど見ないので、それほど不快でもありませんが、ツッコミどころの多い発言のためか、ネットニュースでよく見かけます。

 見かける度に中性脂肪の値が気になるところですが、それは人の心配より我が身の方が先な案件とはいえ、先日も朝日新聞が運営に協力する『ハフィントン・ポスト』で見かけました。

『「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」 津田大介さんが訴える政治運動の姿とは』

 と題したインタビュー記事です。

 同誌に掲載された鳥越俊太郎氏の、「ネットは裏社会だと思っている」「リベラル勢力は何もしていない」といった発言へのアンサー的記事で、リベラル勢力の内ゲバは実に醜悪ながら、伝統芸能への敬意から文字を追ってみました。

 記事の趣旨を同誌の冒頭より引用します。

《鳥越氏がネットやリベラルに幻滅を感じた背景に何があるのか。なぜネット上では保守派ばかりが強くて、リベラルは元気がないのか。SNSを通した情報発信の必要性を訴え続けてきたジャーナリストの津田大介氏(42)に話を聞いた。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/07/daisuke-tsuda-interview_n_12383414.html

 ほぼ全てにツッコミどころが満載ながら、私に思想信条の自由が認められる以上、津田氏のそれを私は尊重します。

 リベラルの敗北について津田氏は問われると、以下のように答えます。

《(鳥越氏の「日本のリベラルは現実に負けている」発言を受け)これについては同感です。一言でいうと、保守の人のほうがマメなんですよ。保守系団体の「日本会議」もそうですが、とにかく参加者たちが地に足のついた活動を継続的にしているし、筆まめなんです。自分達はどういう思想で、何を目指しているのかをちゃんと主張する。自民党も野党時代にマスメディアに相手にされなくなったからネット戦略というのを重視するようになって、マメになりました。ネットを活用して、自分達の主張を訴えている。(同)

 マメさと、地に足のついた活動の継続は意図的な混同でしょう。そうでなければ日本語の理解に難アリです。唐突に「日本会議」を持ち出すのも、菅野完氏や青木理氏の掲げる陰謀論を匂わせる狙いでしょうが逆です。

 地に足を付けて仕事をしている人が、己の信念に基づいて活動をしている任意団体が「日本会議」で、「日本会議」が悪魔の力をもって会員を動かしているのではありません。

 仮に「日本会議」が保守を代表しており、そのマメな活動姿勢にリベラルが負けたことを裏返せば、地に足着けず勤勉性のないリベラルが負けたということで、むしろそれは当然の話に過ぎません。

 自民党が野党にくだったときのくだりも事実誤認。下野してからもマスコミはひたすら、自民党を叩き続けたのです。相手という曖昧な言葉の裏側に、与党になれば自己宣伝ができるという誤認があり、これはそのまま民主党、現在の民進党にも確認できる自称リベラルどもに通じる傲慢さです。

 津田氏は第一次安倍政権を、朝日新聞が社是であるかの如く叩き続けた事実すら「相手」と表現するのでしょうか。

 自民党の声(主張)を取りあげてくれなくなったのは本当。だからネットに真剣に取り組んだのも本当。ただし、それが票に結びついていないのが事実。津田氏も笛を吹き太鼓を鳴らした、この三年間の「ネット選挙」の微力が雄弁に物語ります。だから、自民党がネットを活用しはじめたことと、リベラルの敗北に因果関係は認められません。

 一般論におけるマメさとは、「こまめ」や「頻繁」「定期的」であって、自民党議員の多くは、津田大介が指摘する「マメ」さをもって、地元の有権者とリアルに盆踊りなどで接触しているのです。

 だから「マメ」であるというのは、一面において正しいのですが、ネットにおいてそのマメさで勝利しているとは、事実の一部を切り取っての拡大解釈で、一般社会では「誤認」と受け取られるものです。

 対する津田氏が近しい民進党(旧民主党)はどうか。

 新党首の蓮舫氏に重なりますが、派手なこと、目立つこと、楽することが大好き、とは地元足立区と、隣接地域での民進党の活動をフィールドワークして追い掛けての結論で、それはいまも変わっていません。

 地域に対して「マメ」に動いていないのです。

 かつて民進党は東京13区に、平山たいろうなる、箸にも棒にもかからない人物ながら、小沢一郎のお眼鏡にだけはかかったものを据えて、政権交代選挙の暴風でうっかり当選した経験を、まったく反省していないようで、今度も若く、見た目の宜し気なだけの、政治経験のない人物を擁立します。

 民進党のなかにも、マメに地元をまわり、区民の問題に取り組んでいる「区議」はいます。少ないながらも。そんな「人物」を無視して、党中央部が選んだ人物の落下傘させる、現場感覚に乖離した中央集権的統治手法をみたときに、何も変わらぬ性格をそこにみつけ、「虐められる側の責任」という言葉を思い起こさずにはいられません。

 それは津田氏の主張にも重なります。
 事実誤認の上からの上から目線。

 フジテレビの編成部はともかく、一般社会では嫌われるか、信用を無くします。

 会社員時代の後輩なら泣くまで指導するか、他部署への移動願いを書かせることでしょうし、文字通り私の会社なら雇いません、雇えません。

 さらに言えば、リベラルというよりサヨクながら、自民党の次にネットを活用している日本共産党について、津田氏は一切触れていません。

 また、自分が政治扇動目的ではじめたかに見える「ゼゼヒヒ」などのネットサービスが、政治に無力であったのは、やはり「マメ」さが足りなかったことへの自省を微塵も感じられません。

 こんなことも言っています。

たまに中道左派やリベラルの人が情報発信をしても、保守系の人たちが数の力で押さえこむことができる。(略)中道的な意見は左右両方から叩かれ、過激な意見を持つ人に支持が集まっていくので、その結果、普通の人が発言をしなくなっていく……。このあたりは山口真一さんと田中辰雄さんが著書『ネット炎上の研究』で示されていますね。そういう情報環境になった結果、ネット上では保守層の対抗勢力が、数的になくなりつつあるという状況なんじゃないでしょうか。(同)

 敵と味方の二抗対立でしか状況を判断できない典型的なパヨク脳です。津田氏にとっては分かりやすい理解でしょうが、社会は彼が考えるほど単純でも不寛容でもありません。

 彼の示す中道左派やリベラルの、そもそもの定義が開陳されていないので一般論ながら、一般常識に照らしてまともなリベラルや、筋金入りのサヨクの発言について、保守系の人が数を頼りに抑え込むことはありませんし、日本的価値と伝統を重んじる思想を「保守」とするなら、数を頼りにした他者への攻撃を「卑怯」と捉えます。

 津田氏の貴重な自白もあります。「中道的な意見は左右の両方から叩かれ」とは、左右のどちらかも叩かれる珍妙でトンチキな意見を述べるものらが、自称リベラルとして、かつ「中道」と自称して発言し炎上しているのです。そもそも偏っている人物の「中道」とは、中華思想やオウム真理教と同じです。

 また、本論に目立つのは曖昧表現と論拠の乏しさで、「たまに」とはさじ加減次第で、いかように言い逃れが出来てしまいます。そしてわずかに示す論拠も、原典を引かなければ正誤を確認できない説明は、論者として不親切。

 というか煙にまくためだけの明示ではないかと疑ってしまうのは、数を頼りにと保守派の傲慢さ、悪辣さへと印象操作を試みていますが、津田氏が論拠とした『ネット炎上の研究』で、炎上を煽る者はわずか0.5%と結論づけています。

 津田氏はほんのわずかな発言のなかに、あまりある自己矛盾をさらけだしているのです。あなたの同級生でこんな人がいたら、どう思うか。これが津田氏が嘆き、ハフィントン・ポストが憂うリベラル退潮の本質です。

 そして決定的な箇所がこちら。

そして、ネット上の争いになると、リベラルは99%負けるんです。リベラルが「多様であることがいい」「多文化であることがいい」と訴えると、保守派の言っていることも「そういう言論もありだ」と認めなきゃいけないから。でも、保守派はリベラルの主張を認めないですから、その点がそもそも非対称なんです。それをわかった上で保守派と同じ土俵で真っ向から対決すると、今度は「リベラルの欺瞞」と責められる。対等な土俵が存在しないという意味で、よほどのことがない限り、ネット上の論争で勝つことは難しい。(同)

 私のマイナビの連載が、パヨク、すなわち日本型リベラル陣営の工作員により打ち切られたことは執拗に述べていることです。有名どころでは「はすみとしこ」氏や百田尚樹氏への攻撃も同じく。

 多様な言論を許さない、認めないのは常に自称リベラル、パヨクの側です。

 なお、匿名の闇に身を潜めて他者を攻撃する「ネトウヨ」は保守ではありません。発言や文言は「保守風」を気取っていますが、精神構造は左翼やパヨクやリベラルと同じ。論壇でも活躍する自称保守にも見られる傾向で、彼らのやり方が、津田氏のような曲解を許す土壌になっており、むしろパヨクの連携を疑ってしまうほどです。

 話を戻します。

 津田大介氏が旗を振った脱原発や、安保法制でも同じです。妥協点をみいだす努力をせず、己の信条からは一歩もはみ出さないというスタンスで、そもそもの話し合いを拒否し続け、一方で政府は強硬だ、独裁だと叫ぶ。まるでサイコパス、あるいは嘘つき。

 本当の保守の人士というか、日本的価値観で他人と接する者は相手の主張に耳をかたむけます。

 出版物という証拠でみれば、韓国から極右雑誌と批判されている花田紀凱編集長時代の「月刊WiLL」には、たびたび左の人が登場し、ジャーナリストの堤未果氏などをはじめ、伝説の左翼もたびたび登場しています。

 あの宮脇睦先生の人気連載「ネットバスターズ」が掲載されている「月刊正論」には、宇都宮健児氏が登場氏、それを津田氏が熱心に支援した抗議団体「SEALDs」の活動を、これまた応援していたパヨクのしばき隊が攻撃していたことは記憶に新しいところです。

 津田の指摘する「非対象」とは、全く正反対の図式で、つまり己らの所業を充分に理解した上で棚に上げた妄言か、鏡に映った己らの振る舞いを、保守陣営に重ねて発狂し、批判しているかのどちらかで、いずれにせよ、良き隣人になりたくないタイプの人物です。話しが現実に即していないのですから。

 だから、ネットだけではなくリアルでも、徐々に居場所がなくなるのです。

 自称リベラルの欺瞞であり、津田の欺瞞でしょう。津田氏に個人的好悪の感情は、あの髪型以外にありませんが、ゲンダイ的なリベラルの代表としてやり玉に挙げています。

 ネットを渉猟すれば、けっして右派が有利でもなければ、津田氏などを批判する声の中にも、数多くの「まともなリベラル」の声を確認できます。

 津田氏はそれを見ずにリベラルの敗北を宣言し、つまりは多様性と対極にある、自分だけの脳内現実をリアルと錯覚しており、ましてやそれをリベラルの代弁者かのように騙ります。

 虐められる側にも理由がある。

 津田大介氏と自称リベラルをみたとき、何度も執拗に思い出す言葉です。

 なお、小学校時代のイジメは、「標準語」を習得することで克服しました。多数派に従うことは、そのコミュニティで生きていく以上、仕方のないこと。と私が考える原体験です。イヤなら群れから離れれば良いだけのこと(←いまココ)。

 中学時代のイジメは自力で解決しました。イケてるグループと、不良グループの、そのどちらから虐められた理由も、つまるところは「嫉妬」で、理由はなにかと問われれば、私が多少、イケメンだったから。手前味噌ながらこれは事実。街を歩けば何人かが振り返るレベル。

 二学年下にファンクラブがあった。とは、六学年下の妹の同級生の姉に、このファンクラブの会員がいて、

「ウチのお姉ちゃん、妹ちゃんのお兄ちゃんが好きなんだって」

 と、ファンクラブの存在を伝えられたとは妹ちゃんが証人。

 もっともこの話、知ったのは中学校を卒業してからで、事実上のメリットなど何一つなかったことが悔やまれます。そういえば、窓からチラチラ見られていましたが、背中に貼り紙でもされているのか、靴下に穴でもあいているのかとビクビクしていたものです。

 男子カーストのなかで最下層でしたが、これに女子生徒を加えるとそれなりに楽しい学生生活で、野郎と話すより、女子との会話が楽しく女子を味方に付ければ、男どもなどもの数ではありません。

 媚びず、怯まず、顧みず、女子との会話を楽しんでいるウチに、いつのまにか「ミヤワキ シカト令」は消えていました。

 なお、イジメを首謀したとみられるグループが、仮に暴力的な圧力を加えたとするなら、それを跳ね返す力は、すでにその前の不良グループからのイジメを経て身につけており、漫画にで来るような最強ランキングなどは分かりませんが、少なくとも番を張っていた(不良のリーダー)S君と、殴り合いをした後、彼は二度と私にちょっかいを出さなかったことで察してください。

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