リベラルの自滅を呼び寄せた「ネトウヨ」


 噂で買ってニュースで売るとされる株式市場は、やや伸び悩みながらも18連騰を伺う勢い。安倍自民党の大勝利によります。

 選挙期間中に株価が上昇するのはアノマリー(経験則)として知られていて、与野党ともに「バラマキ」を広言する傾向があり、そこへの期待感が理由の1つとされています。

 だから選挙後は、手じまいの売りがでるものですが今回は続伸しました。それに歩調を合わせるわけでもないのでしょうが、マスコミ報道は相も変わらず「政局」です。その中心人物は小池百合子氏。

 もちろん、彼女の責任は問われるべきでしょうが、果たしてそれが「自民圧勝」の理由だったのか。結論から述べれば、それは違います。野党の失速、分裂をもって「敵失」とマスコミは理由づけますが、「敵失」という結論は同じでも、その理由は違います。

 とりわけブログやツイッター、Facebookなどの「ネット言論」を観察していて、野党敗北の理由は「リベラルの敗北」と結論づけます。ここに到達しない限り、日本の政治土壌に、リベラルを掲げる政治勢力が根付くことはないでしょう。

 もっと簡単な言葉でいえば「ネットでリベラルは嫌われている」からです。

 立憲民主党が公示前勢力の三倍の議席を獲得し、これに希望を見いだすリベラルや左翼、反安倍、アンチ自民マスコミや有識者は少なくありません。しかし、ネット言論を見ている限り、まるで株式市場への上場直後が最高値で、あとは下がる一方の「上場ゴール」になる公算が大きいでしょう。

 なぜなら、旧民主党の勢力と糾合すれば、選挙のためだけの看板の架け替えと批判されるでしょうし、支持者のすそ野を広げるには、寛容性がなさ過ぎます。

 立憲民主党の枝野幸男代表は、日テレ系「スッキリ」に出演して、みずからを「保守」と語ったとネットニュースにありました。彼は以前から同様の発言をしており、要約すれば「日本は古来から多様性と寛容性を秘めたリベラル的土壌の国」ということで、つまりはリベラルと呼ばれる我々は保守と。

 他人の国籍や身分を盗み取りすり替わる「背乗り」を得意とする共産主義的左翼と密接な関係を持つとされる枝野氏の発言である点に注意が必要ですが、その論旨には同意します。

 欧米と違い、絶対王政や一神教の支配を受けていない日本的価値観は、世界的見れば多様性を持ち寛容な「リベラル」といっても遠くはありません。

 それなのに、国内においてリベラル勢力が、明らかに退潮しているのは、枝野氏も掲げるリベラルが大切とする、多様性や寛容の精神が、そのリベラルを騙る連中に感じ取れないからです。

 「安倍政権打倒」のみを掲げるのがそれ。端的にいえば「全否定」です。

 正反対の考え方の人とも、互いに折り合いをつけて同居するのが多様性です。ならば安倍政権の政策に是々非々があるはずながら、日本維新以外の野党は、良い部分を一切認めてはいません。

 一方を全否定しておきながら、リベラルの多様性を掲げる論理矛盾が、多くの国民にばれていることが、リベラル退潮の最大の理由と見ています。各種発言がテキスト情報となり可視化され、保存され続けるネットに明らかです。

 選挙期間中「#立憲民主党」というハッシュタグ付きで、投稿すると、そのシンパや信者が大量に釣れました。

 彼らに好意的とも受け取れるツイートは即座に拡散され、事実を添えた指摘や批判であっても、彼らに耳の痛い言葉には、即座に罵倒と中傷が投げかけられます。「ネトウヨ」をバカや阿呆と同義に使うものも少なく・・・というより、ほぼ100%。

 匿名のネット民だけではなく、著名人、有識者においても「ネトウヨ=バカ」と様式美を崩しません。いや、思考停止しているのでしょう。

 言論の多様性などそこにありません。対立意見への寛容性も、都合の悪い指摘にたいして目をつぶると言うことをせずに攻撃してきます。反論のつもりが論拠を示さず、罵倒語だけを投げつけます。

 これで世界標準におけるリベラルである日本人の支持者が拡がるわけがありません。

 対するネトウヨはといえば、かつてほどの罵倒語、中傷はなりをひそめました。全廃には至っていませんが、これも多様な言論の副作用で、むしろ完全排除すべきではないと考えます。

 そして右派、保守派は賛意や批判、具体性を持って主張する傾向を確認します。とりわけ保守とは、可能な限り伝統や習慣を残そうとするので、その為に常に現実と対峙しているので、事実や具体性を添えて話す傾向が強いのです。保守とは頑迷な権威主義や、狂信的伝統派ではありません。

 もちろん、そのすべてが正しい主張ではなく、トンチキな声も少なくありませんが、具体例があることで、それをみたネット民に考える材料を与えます。

 安倍政権の熱狂的支持者のなかには「信者」と呼べる人もいて、彼らは株価や有効求人倍率に、外交の成果などをあげて「マンセー」と褒めそやします。確かに株価は上がり、アルバイトの時給は上がっています。

 しかし、これを贔屓の引き倒しと思うネット民なら、それでも安倍政権を批判するでしょうし、一方でマスコミの「安倍一強」への批判を漠然と信じていた人が「そうだよね。安倍さん、なかなか良くやっているよね」と思うこともあるでしょう。

 この繰り返しで「議論が深まる」のです。

 もちろん、左派やリベラルのなかにも、具体例を挙げて批判する人もいれば、現状を踏まえた上で是々非々の批判をする識者もいますが、ネット言論を渉猟する限り少数派であり、また、ネット界隈で声の大きな人=フォロワーが多く、拡散される自称リベラルは、感情と妄想と印象を論拠とし、なにより言葉が汚い。

 善良なる日本人なら眉根を寄せる汚い罵倒と中傷が、なぜか多様性と寛容を大切とする「リベラル」から拡散されています。

 その場の勢いで言葉が過ぎることはあるでしょうが、「リベラル」のシンパや信者は間違いを指摘されても、論点をずらし攻撃を止めず、謝ること諦めることをしません。繰り返しになりますが、その入口が「罵倒」です。

 匿名とは言え、見ず知らずのアカウントに、突然、論拠も示さず「バカ」と呼ばれて良い気分になるものはいません。

 彼らはバカと呼ぶことで「勝った」つもりでいるのでしょうし、各所で同じことを繰り返しているので、ひとつひとつを覚えていないのかもしれません。

 しかし、バカと呼ばれた側は覚えています。そして本来的には中立で、是々非々だった日本人的リベラルのネット民が「反リベラル」となっていくことは否めません。

 ネットはこうした言葉をすべて保存しています。累積された罵詈雑言は、そのままストックされ、繰り返し拡散されていきます。そして自称リベラルと、そのシンパと信者の居場所が小さくなるのは当然と言えるでしょう。それを「自滅」といいます。

 ここまでは「ネット」の話。ながら、マスコミと政界も同様です。

 安倍のバーカ、自民党のハゲ・・・はいってないか・・・いずれにせよ、安倍首相、自民党の全否定から入ります。

 安保法制によせテロ等準備罪、そして憲法改正などその最たるもの。

「安倍政権での改憲はしない、させない、許さない」

 とどこかで聞いたことのある「3ない運動」のような全否定の振る舞いは、議論の場である国会でも、多様な情報を提供するマスコミにもっとも相応しくなく、また多様性を重んじ、寛容を大人の所作と考える「日本人」が違和感を覚えるのは当然です。

 そして民意は自民党を選びました。それは確かに自民党からみれば「敵失」ですが、日本国民からみれば「自称リベラルの敗北」に過ぎません。

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