宇都宮健児氏出馬辞退に見つけるパヨクはパヨク

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 陛下の生前退位に比べれば、俗で些末なことながら東京都知事選挙が告示されました。そして昨夜、出馬準備を重ね、表明していた元日弁連会長 宇都宮健児氏が出馬を断念しました。ガッカリだよ。

 思想も信条も異なるので、過去の選挙でも宇都宮健児氏に投票したことなどありませんが、常にぶれない姿勢は、市民活動家のひとつのあり方としてある種の敬意をいだいていました。彼の支援者に若者が多いといわれるのも、そういう「一途さ」は若者特有の幼さに隣接しており、シンパシーを覚えるのでしょう。チェ・ゲバラなどの革命家に憧れる感覚といっても良いでしょう。

 裏返せば「世間知らず」な「幼さ」に過ぎません。革命以後のコストを考えれば、「妥協」という選択肢をもつのが世間であり大人の所作だからです。

「理屈ばっかの大人になんかなりたくない」

 とは高校時代の悪友が職員室で吐いた台詞ですが、バカは気楽に理想論を持ち出します。

 実母が借金と間男を作って蒸発し、残された多額の借金を前に、喧嘩上等で事実、ヤクザ相手にも無敵だった実父が「死のうか」と姉と私に相談するといった、額面通りの言葉として「マジ、死ぬかと思った」という経験を得ていた16歳の私は、友人ながら「こいつ、バカだ」と心の中でつぶやいたものです。

 なお、排ガス中毒による一家心中がもっとも苦しまないと、親父はすでにゴムホースを用意していました。確かに当時小学校2年生だった妹を思えば、最後の時を苦しませるのは残酷・・・いや、生きようよ。

 話を戻します。宇都宮健児氏への敬意とは、かつての青春に捧ぐ投げ銭のようなもので、昨日、小池百合子、増田寛也、鳥越俊太郎の4氏そろい踏みでの記者会見で、差別と闘うために弁護士になったというエピソードもまた青臭くて良い。

 なんて思った私がバカでした。バカは馬鹿。もといアカはアカ。自民党の意向を無視して出馬した小池百合子氏と、自民党都連が擁立した増田寛也氏の「保守分裂」選挙となったことを受けて、

「選挙に勝てる千載一遇のチャンス」

 と出馬を取り下げます。

 宇都宮健児氏が議論の果てに、同士に道を譲ったのではありません。テレビ朝日の三反園訓氏が鹿児島県知事に当選し、TBSの杉尾秀哉氏が長野選挙区より参院議員に転じたのを受けて、「俺もやらねば」と立ち上がったと宣う鳥越俊太郎氏ですが、「後輩(目下)に抜かれた」「あいつらで当選するなら俺様も」という思い上がりでしょう。事実、政策もなければ、小池・増田両氏の政策すら読まずに討論会に出席する体たらくです。

 都民としていいます。鳥越俊太郎は何も考えず、己の名誉欲、政治的主張のために都知事選挙にでたのであって、都民の生活のことなど何一つ考えてはいません。と、書けばひとつぐらいはある、「ガン検診100%」と言っているじゃないかと反論するような、言葉尻だけで生きているのが鳥越俊太郎という人物です。記者会見でも「政策は頭の中にある」とうそぶきます。

 民共連合による擁立なら選挙スタッフもつき、ならば「口述筆記」でも政策を書面化するなど容易なはず、頭の中に本当にあるのならですが。ルーピー鳩山の「腹案」と同じでしょう。あるいは、宇都宮健児氏は「鳥越氏が政策を引き継ぐ」的なこといっていたので、「つまみ食い」して「独自政策」と強弁する可能性はあるでしょう。いずれにせよ、「出馬」=決意したときに「政策」はなかったのです。

 そして宇都宮健児氏。結局、彼は都民のための政治ではなく、反自民、アンチ体制のアカで、体勢を崩せるのであれば、高邁に掲げていた政策だってドブに捨てる活動家だったということ。目的は「体制転覆」のみ。結局、左翼は・・いや、パヨクはパヨクってこと。分かっていたつもりでしたが、つくづくなガッカリ感は否めません。

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