都議会議員選挙結果がでました。自民党の歴史的大敗、というより正しくは都議会自民党(都連)の敗北です。そしてメディアの死期が早まりました。まるで都連の轍(わだち)をなぞるようです。
猪瀬直樹氏、舛添要一氏と2人の都知事のクビを切ってみたら、小池百合子氏が名乗りを上げて、自分たちのクビが切られる結果になったというお伽噺のような展開。
また、望まぬ選挙結果でも、決まった以上は、少なくとも滑り出しぐらいは従って見せるから成り立つ民主主義ながら、小池百合子氏と対面で記念撮影を拒否したのは都連です。
「自民党」がメディアにどう扱われているか、とりわけテレビに限れば、ほぼ反自民の色調であることを考えれば、どれだけ融和的に接しても、細部の悪意を見つけられ拡大され、時には捏造してまで貶めようとする連中に、美味しい餌を与えたのは都連です。
一例を示せば、投開票翌日の7月3日TBS『ひるおび』で、先の記念撮影拒否の前段、自民党 川井都議会議長のところを就任の挨拶に訊ねた小池百合子都知事との握手を「拒否」したと報じます。
しかし、挨拶の握手はしっかりしていたと、ネット民が当時の映像で発掘し、いまネットで急激に拡散中。対面当初、後で手を組んでいた川井議長の映像と、握手の後の映像を「切り貼り」し、そこにナレーションと解説を加えるという悪質さ。
TBSのワイドショー「ひるおび」は、7月3日の放送で、映像を見せながら、川井都議会議長が知事就任の挨拶に出向いた小池都知事との握手を拒否したと報じましたが、これは映像から握手シーンを巧みにカットした完全なるフェイクニュースでした。国民はあからさまな情報操作を受けたわけです。 pic.twitter.com/48oggYvD7B
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) 2017年7月4日
ここまで悪質な例はさすがに珍しいながら、ナレーションなしで加工した映像だけで、視聴者に誤認させる手口ならよくあること。選挙報道の前後に、自民党のスキャンダルや、騒動で挟み込むといった印象操作は日常茶飯事。ちなみに2017年7月6日の放送で、訂正しましたが謝罪はせず「失礼しました」。だって。川井さんの名誉回復はこれで十分と考えるのでしょうか。
#ひるおび 2017/07/06 握手はしてたが記念撮影は拒否った、失礼しました、だって。 pic.twitter.com/qS5fzNeMat
— 宮脇睦@月刊「正論」8月号6月30日発売 (@miyawakiatsushi) 2017年7月6日
偏向報道には呆れるばかりながら、それへの警戒は「自民党」を名乗る以上、もたなければなりません。これはマスコミだけではなく、国民も含めた自民党への甘えながら、だからこそ一定程度は「甘受」すべきと考えます。理不尽なようですが、それぐらいの度量の広さを日本人なら持ちたいもので、それを期待できるのが自民党ぐらいしかないと考えるからです。
失策に話を戻せば、豊洲移転の延期を小池百合子都知事は、議会に諮らず独断したことなど、いくらでも作り出せたはずの議会としての争点も作らなかったのも都連です。
小池旋風に怯えて、戦う前から逃げていた。とはいささか敗者に厳しいでしょうか。いずれにせよ、選挙結果という民意は尊重しなければなりません。
私が小池都知事批判も、からかいのレベルにおさめていたのは民意は民意だから。選ばれた以上はお手並み拝見。
都民ファーストの新人議員についても同じく。
都民ファーストは、確かに都議選で圧勝。しかしその舞台裏では、都議選5日前から公認、選挙活動を始めダントツトップ当選の人。選挙事務所を持たず借りず、事務所の電話・FAXもないいわゆる住所不定候補も数名。公開討論会にも不参加、マスコミアンケートに一切答えずに何と当選した猛者も多数w
— 2017都議選 政局ウォッチNOW❤️ (@Chijisen) 2017年7月4日
こうした批判はもっともで、我が町足立区でも後藤なみ氏なる、文字通り「ぽっと出」の新人候補が都民ファーストから出馬し、足立区民も舐められたものだと呆れていたら、なんとトップ当選。
そういえば民主党による政権交代のとき、平山たいろう氏なる、自分の名前と党名しか語れない候補者が、鴨下一郎氏を破ったことのある地域です。
それでもこれが民意です。
納得せずとも選挙結果に従うのが民主主義。
メディアが執拗に繰り返す「自民党の敗北」についてもいささか留保すべきでしょう。
小池百合子都知事は、ちょっと前まで自民党。離党届の受理不受理ではなく、自民党に所属して大臣まで務めており、消去法的自民党支持者や、暫定的自民党支持者のなかには、彼女を応援するものが現れても不思議ではありません。
平たく言えば「自由民主党 小池派」という見立てもできるということで、事実、都知事選挙を応援した野田聖子議員のような存在もあります。自由民主党渡辺派ともいえた「みんなの党」が一定の支持を集めた理由でもあります。
先にあげた当選後の撮影拒否はもちろん、選挙期間中の石原慎太郎氏の「厚化粧」発言などから、消極的自民党支持層が都連に対して「お灸を据えてやる」と思うことは止められません。
宗教やイデオロギー、反自民だけで繋がる政党の場合、支持者もまたその色で染められますが、自由で民主的な自民党支持層には「今回は自民党以外」という選択肢も持ち合わせており、そこに「小池派」という選択肢があれば、共産党にいれるよりはマシと思う有権者がいるということです。
都連にはノーを突きつけたことと、自民党そのものへのノーは慎重に腑分けすべきですが、メディアはこれを混濁させ、政権批判、倒閣運動へと目論みます。
しかし、このあまりにも前のめりな政治活動への傾斜は、都連の自滅同様、メディアの終わりの始まりのような気がしてなりません。
今回の選挙ではメディアによる選挙妨害が明らかとなりました。
通常、地方議会議員選挙とはいえ、国民の1割が集中する東京の選挙は、国政選挙並みに扱われ、選挙結果に影響がでないように、政権や政党への批判報道は控えられるものです。
とりわけ「放送法」により公平公正を課せられたテレビは、可能な限り公平に報道したものです。テレビの親会社である新聞もそれに準じていました。
とりたてて縛りのない週刊誌は、選挙期間を狙って暴露や告発をぶつけることもありましたが、週刊誌報道を元にテレビが執拗に追うことは、あまり記憶にありません。
むしろ、公平を期するが為に、奥歯にものがはさまったように紹介していた記憶があります。
それが今回は延々とひたすらに政権と自民党を批判し続けました。
選挙応援における稲田朋美防衛大臣の発言は論外。罷免されても仕方がなく、これへの批判は当然ながら、下村博文氏への「闇献金疑惑」とやらは、証拠不十分な文字通り「週刊誌ネタ」のレベル。
下村氏は即座に会見を開き、一定の説明責任を果たしましたが、疑惑が払拭されていないかのように報じ、ひいては「政治資金規正法」の問題点を、下村氏に投影して「疑惑」を色濃く演出する報道。
法の抜け穴を利用した政治献金。
という形式に見えますが、そこに現行法においての違法性がなければ、本来的には追及ができない話し。ましてや選挙期間中で、下村博文氏は都連の会長。
内容はまったく異なりますが、民進党の党首選挙という、内輪の話に過ぎないとは言え、蓮舫氏に浮上した「二重国籍疑惑」への生温い追及と比較にならない執拗さです。
蓮舫氏はろくに説明もせず、説明も二転三転し、証拠の一切をいまだもって示していません。対して下村博文氏は、その時点で公開可能な内部文書を示して説明をしています。
近代の法治国家における大原則は「推定無罪」です。法律による統治をする以上、明確な法律違反を確定できない限り、被告人の利益を優先するというものです。
逆を考えればわかることです。
「怪しいよね」って疑いのまなざしだけで人を裁ける「推定有罪」が可能となるなら、芸能人や著名人、町内会の有力者が「怪しい」という世論を作り出せば、罪なき人に罪を被せることができてしまいます。
もちろん、政治権力者による扇動も可能となり、こうした権力や民意の暴走を戒めるためにも「推定無罪」は守られなければならないのです。
ところが、モリカケ騒動にせよ、下村博文氏にせよ「推定有罪」。まるでマスコミやテレビによる司法で、それはお隣韓国にあると揶揄される「国民情緒法」の世界です。
いつものことだ、と思ったあなたは正解。
ただし、それでも「選挙期間中」は一定の自粛をしていたものが、ついに歯止めがなくなったのが、今回の都議会議員選挙の報道です。
メディアによる選挙妨害が、決定的となったのは、選挙戦最終日の7月1日、安倍首相が秋葉原で行った街頭演説での野次による妨害を、「抗議活動」と報じつづけていることです。
ネット情報によれば、これらの勢力は朝から場所を陣取り、そこにはなぜか「マスコミ」のカメラが隣接し、状況証拠だけで語るなら、明らかに「連携」が見られます。
野次の内容は「安倍やめろ」「国会ひらけ」。シュールなコントが持ち味の「籠池夫婦」の姿も確認し、「百万円見せびらかし」の芸まで披露し、それをご丁寧に放送します。
籠池夫婦の手には「カンペ」まであり、政治勢力により「動員」されたと見るべきで、ならばそれを報じることは「選挙妨害」にあたるという警戒心は一切なく垂れ流し。
さらに安倍首相が支持者を鼓舞するために、野次を飛ばし発言を封じようとする連中を指して「こんな人たちに負けてはいられない」と語った台詞を
「国民の声を切り捨てる」
と批判します。
選挙演説最終盤での「煽り」に過ぎず、ことさら問題することではありません。
まして「国民の声」とは片腹痛い。
「選挙演説は聞きたい人が集まる場所。そこに妨害しようとする人がいて、それがありなら少数政党の演説に人を集めて野次を飛ばしてダメにすることもできる。危険だ(要旨)」
とはCBC(TBS系)「ゴゴスマ」で武田邦彦氏が指摘していたこと。
選挙は民主主義における重要な意思決定プロセスで、選挙演説は立候補者やその陣営の考えを聞くことができる貴重な機会で、古代ローマから存在します。
これを「妨害」するとは、日本の民主主義に挑戦するものらでアリ、それを「国民の声」とする意見に一切、賛同できません。
これを許せば、武田邦彦氏が指摘することがまかり通ってしまいます。文字通り、民主主義の死です。
ところがメディアはこれを「是」とし、安倍政権批判のツールとして使い始めました。もはや「放送法」どころではありません。
いまはまだ、社会全体で見れば少数派ですが、それでも確実に、ネットでニュースを知る、あるいは様々な「ニュース解説」に触れる国民が増えています。
とりわけ若年層は、テレビをあまりみません。特にテレビのニュースやワイドショーには興味がありません。
また、これらを見る層でも、「おかしい」と気づき、ネットに触れたり、私に相談したりする高齢者もいて、地殻変動は起きています。
いずれもせずに世論は、今以上にメディアに厳しい目を投げかけて、放送法のより厳格な運用か、放送電波の「オークション制度」を求めることになるでしょう。
それは自民党を支持するからではありません。日本人が「ズル」を嫌うからです。
中立公平を装いながら、時に映像を編集して捏造までして倒閣運動を展開するテレビの「ズル」を許しはしません。
それだけではありません。メディアは都連と同じジレンマを抱えてしまいました。これもメディアの死期を早めるでしょう。
民進党からの脱走兵や、政治的な右と左の区別もつかないような新人議員ばかりとはいえ、丹念に腑分けするとそこには多くの「自民党議員」が確認できます。
我が町、足立区から都民ファーストの会で出馬した馬場信男さんは、我が家から一直線のところに住むいわばご近所さんで、少し前まで自民党。自民党区議として区議会議長まで務めています。
なにより都知事は自民党でしたし、選挙後に代表復帰した野田数(かずさ)氏とは、現行憲法を破棄して大日本憲法の復活を掲げ、かつては尖閣諸島の上陸を試みるなど、かなりな右の人。市議時代に自民党にいたこともあります。
ウィキペディアによると早稲田大学教育学部を卒業して、左派的色彩の色濃い教科書会社「東京書籍」に入社するなど、いささか腰の定まらぬ印象がなきにしもあらずですが、行動から政治信条を読み解けば、「安倍政権」に近いとみて良いでしょう。
選挙後になって、ようやくこれに気づいたメディアは狼狽。
安倍憎し、アベやめろ、自民党を叩きつぶせ! と放送法違反も選挙違反もすべてをすっ飛ばして、イケイケドンドンで煽りに煽って、都連を叩きつぶしたと思ったら、ウルトラ右翼が党首を務める都民ファーストの会が第一党になっちゃった。
うっかり都民ファーストの会を褒めようものなら、安倍政権をアシストすることにもなりかねない。バカですね。嘲笑していた都連と同じ轍を踏んでいるのですから。
本来は勝者を称え、敗者そっとしておく慣習というか、日本人的な心性を一切無視して、自民党、安倍批判へと舵を切りました。勝者である都民ファーストの会に触れると、やぶ蛇になりそうだからです。
それはまるで凌遅刑。生きたまま肉を・・・と描写は割愛しますが、徐々に辱めと絶望を与えながら施す残酷な死刑で、中華文明圏ではわりと最近まで実施されておりました。
死者にむち打つこともまた、善良なる日本人は嫌います。こうしてメディアは信頼を失い、その残忍で執拗な手口は嫌悪感を拡散させています。
徐々にそして確実に、自らの死期をたぐり寄せている姿は、この1年間の都連に重なります。
メディアの死期を早めた。都議会自民党の敗北は、後年、こう歴史に位置づけられるのかもしれません。