想定以上のボンクラ候補だった鳥越俊太郎氏。
いかに「ジャーナリスト」が適当な人物か分かったと言えば、靴底を減らし記事を書くジャーナリストが怒ることでしょうが、なにしろ発言は適当なことばかり。
・昭和15年生まれで終戦を二十歳で迎える。空襲も経験している
と出馬表明の記者会見において、自分で語たった経験も怪しい人物です。また、鳥越俊太郎氏の育った地域に空襲の事実はありません。むしろ「疎開先」だったようです。
脱原発の実現性は皆無で、そもそも政策無し。
大島は消費税5%などなど。
いやはやこんな人物が、ジャーナリストでございと大物ぶっていたのですから呆れます。あるいは、日本のマスコミの真実の一面というべきでしょう。
都知事候補になったからおかしくなったのではありません。
おかしな人間が都知事候補にしゃしゃり出てきたのです。
そしてそんな人物を担ぎ出したのが民共連合です。
つまり、民進党には人を見る目が無く、それを止めるものもいないということが明らかになった都知事選挙とみれば、選挙費用50億の都税の散逸にも多少の意味を見つけることができます。
なお、日本共産党の最終目標は、日本国転覆の上での共産主義革命なので、日本を首都から弱体化させるシロアリとして鳥越俊太郎氏を担ぎ出した可能性もあり、また、選挙戦の報道で、所属議員の露出が増えれば、知名度向上へとつながり、また選挙活動費も応分負担と軽くなり、彼らにとってメリットしかない選挙だったことも記憶に留めておくべきでしょう。
鳥越俊太郎氏が晩節を汚しまくったことは、故大橋巨泉のなりふり構わぬ安倍批判に通じ、人生の帳尻というものを感じさせてくれます。
その初手が、小池百合子氏が街頭演説で指摘した「病み上がり」です。これを鳥越俊太郎氏は「ガンサバイバーへの差別だ」と執拗に批判。
差別とは、本人には拭いがたい社会から迫害ですが、健康不安を抱えるという意味での「病み上がり」が、トップリーダーに相応しくないと考えるのは健全な大人の感覚です。
彼がジャーナリストを自称し、言論を武器に権力と闘うと気取るのなら、
「小池百合子氏はガンサバイバーを理解していない。病み上がりは働けないという偏見を払拭するためにも、私を都知事にして欲しい」
と、小池発言を逆手にとることだってできたのに、前言撤回を迫るとは、自由な言論はそこにありません。「厚化粧」を逆手に取った小池百合子氏との「報道出身者」としての実力の差でしょう。
さらに週刊文春に端を発する「淫行疑惑」への対応も、言論で応じず法廷闘争へ。
事実無根と主張し、釈明は「悪魔の証明」と記者会見すら拒否すれば、下世話な庶民が下衆の勘ぐりをいれるのは自明でしょう。なによりいまでもジャーナリストを自称しているのです。
産経新聞の取材に答えた、週刊新潮編集部のコメントに尽きます。
「反権力を標榜していた鳥越俊太郎氏が、いきなり権力中の権力である東京地検に刑事告訴とはあきれるほかない。(略)」
いわば、この手の、このレベルがジャーナリストでござい、反権力だ! とやっていた、つまりは「ごっこ」だったということ。
鳥越俊太郎氏も属するリベラル勢力が、完全失速し、息絶えつつあるのは、身の丈にあった結果に過ぎないということが、またひとつ証明されました。