18歳に選挙権が与えられ、左派の新聞雑誌、マスコミが躍起になって盛り上げようとしていますが、関心は低いまま。それは当然の話。アスリードの原稿で指摘したとおり、それが健全な姿なのですから。
一方で今世紀にはいったあたりから、主に反自民、アンチ自民の文脈で使われているのが「シルバー民主主義」。
自民党の支持層と高齢者が重なるのは、単純に「団塊の世代」という人口のボリュームゾーンだからなのですが、その結果、お年寄りに有利な政策ばかりとなり、若者への予算配分が行われていない。と批判します。
直截、じじぃ、ばばぁワガママいってんじゃねーよ。といえば済むことですが、マスコミは自分の口では言いません。
一方、麻生太郎ちゃん(愛を込めて)が、先月の講演で、
「90歳になって老後が心配とか、わけの分かんないこと言っている人がこないだテレビに出てた。いつまで生きてるつもりだよ、と思いながら見てました」
と語ったことを問題にしようと左派とアンチ自民が目論みましたが尻つぼみ。常識的に考えれば、太郎ちゃんが正論。その麻生太郎財務大臣でさえ75歳で「後期高齢者」。むしろ若者が言いにくいことをズバッと言ってくれたのです。
シルバー民主主義の傾向があるのは事実です。
そこで麻生財務大臣が腐すように、ある程度の嗜みが必要で、この嗜みとは人生におけるケジメや覚悟で、一定の年齢になっても、若者と同じようなピカピカの健康を求めるかの医療を望み、また提供するのは如何なモノかとは考えます。
しかし、シルバー民主主義でなければ刹那的すぎます。
なぜなら「年寄り」の人生は長いからです。
選挙における「若者」の定義は難しいながら、18歳から40歳までとします。
40歳で区切ったのは「中年」の扉が開かれ、小学生から見れば立派なオジサンであり、広義の年寄りで、平均寿命まで40年も投票権が与え続けられます。
対する若者は22年。若者も23年目から中年です。
仮にドラスティックに若者への配分が強い政策に転換したとします。しかし、その恩恵を得られるのは「若者」でいる間です。つまり、いずれ訪れる中年と、老人になってからの自分を苦しめるための政策だということです。
そしてもうひとう。最大の人口のボリュームゾーンである団塊の世代は、平均寿命でみれば20年以内に天に召されます。次の団塊ジュニアの世代でも40年後。
いま、20歳なら60歳を迎えるころに、社会保障負担の重い世代は地上からいなくなります。
もちろん、財政政策に、少子化対策など、喫緊の課題は山積みながら、「若者対年寄り」という短絡的な二抗対立で、若者傾斜の政策を急進的に進めたとき、いまの若者はかならず歴史の復讐を受けることになります。
「お年寄りを大切に」とは道徳ではなく、社会保障の話しだからです。それはいずれか訪れ未来の自分の姿です。お年寄りを大切にしない社会は刹那的になります。老いの不安は老後だけのモノではなく、早ければ学生生活を終えた直後から感じることもあり、老いさらばえる、すなわち「若くない」ということが不利に働くならば自暴自棄となるか、快楽主義に走るかは個体差とは言え、どちらにしても長期的視野を持つことは困難です。
しかし、世代間対立を煽っている勢力を見てください。ジャーナリストや専門家を気取っていますが、彼らの多くがパヨク。若者の貧困、格差社会を執拗に煽っているのはパヨクで、連中の最終目標は「日本解体」。ましてや経験に裏打ちされたお年寄りを、社会から排除すれば、戦後パヨクが犯した悪行の数々を語るものはいなくなります。
パヨクが若者の不安を煽る理由とは、若者を思ってのことではなく「日本解体(破壊)」が狙いです。