バングラデシュの首都ダッカの中心部でテロ発生。日本人7人が悲しみの帰国をしました。
被害者の中には「私は日本人、撃たないで」と英語で叫んだ人もいたとか。それだけに現場には、ある種の安全が保障されていたと見るべきでしょう。そして昨今の状況を鑑み、想定レベルを改め、より厳しい警戒心を持たなければなりません。
ところがこれをすかさず政治利用する勢力が現れます。
朝日新聞の別働隊「The Huffington Post」。
目視確認ながら、元産経新聞記者が幾人か確認できます。
産経新聞=保守、右翼ではなく、親のコネ入社や、就職氷河期でとりあえずもぐこんだ記者に、マスコミ志望というだけで入社したノンポリ社員が、社風への反発から左派にシンパシーを感じる事例が多々あります。
マスコミ志望を一般論で括ると、左派をフォーマットで、NHK、朝日新聞、毎日新聞と付随するテレビ出版業界をみればしかり。
それはともかく、テロ事件でも産経新聞の記事を引用しつつ、紹介する「有識者」のツイートが孫崎享氏と江川紹子氏。
ダッカ事件「英語で”私は日本人だ”と叫ぶ40歳代ぐらいの男性1人が、男達に店内へ連れ込まれたのも見た”と話した」。残念ながら日本人なら無害は過去の話。IS「アベよ、戦いに参加するというおまえの無謀な決断でこのナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺戮する」
— 孫崎 享 (@magosaki_ukeru) 2016年7月2日
胸が詰まる。日本人である、ということが、もはや身を守るのに何の役にも立たない…どころか、逆効果にさえなるのかも→【ダッカ人質テロ】「私は日本人。撃たないで」 店外に響いた悲痛な叫び – 産経ニュース https://t.co/JWoFlyv9mT
— Shoko Egawa (@amneris84) 2016年7月2日
孫崎享氏の「ムー」的な陰謀論はともかく、元外交官として重宝するメディアの論理だけわかりますが、後藤健二氏を惨殺した殺人鬼の身勝手な主張が「論拠」とはこれいかに。
Web媒体として、奇抜な意見を採用して耳目を集める手法もありますが、ならば正反対の意見を掲載することで「バランス」をとるのが、いわゆる日本人が漠然と信じている「報道」ですが、さすがに朝日の傀儡、子会社ファフィントンポスト。
同じ穴のむ・・派閥ながら、異分野の著名人の意見を掲載することで「多様な言論」を演じてみせるのが朝日新聞のお家芸。
江川紹子氏といえばオウム事件で名を売ったジャーナリスト。同じジャーナリストの命だって奪われていることを忘れたのでしょうか。また日本人であるという理由で、守られた命がどれだけあったというのか。
国内在住の話しではなく国外で。それもイスラム原理主義者や、宗教対立に起因する犯行に限っても、数多く、下記のまとめサイトに一覧があります。
■これまで日本人がイスラムテロの被害に遭った事案まとめ(1991年~)
http://matome.naver.jp/odai/2142179595966841301
奥克彦参事官と井ノ上正盛駐イラク書記官が射殺された「イラク日本人外交官射殺事件」は、いまだ生々しい記憶です。
イラク三馬鹿事件は脇に置いても、橋田信介氏や香田証生氏の殺害事件もおきており、2013年にはアルジェリアで日揮の社員の悲劇もありました。
ここで挙げたのは、孫崎氏の指摘する後藤健二氏惨殺事件の前に起きた事件ばかりです。
なお、橋田信介氏とは、西原理恵子氏の漫画によれば、彼女の前夫のカメラマン鴨志田穣(故人、病没)の師匠にあたり、民青あがりのバリバリの左翼で、一時帰国してもっとも喜んだのが「回転寿司」で、それは「みんなが同じものを食べるから」と、根っからのというか、純粋な共産主義の崇拝者だったようです。
江川紹子氏が嘆くように、日本人であることは何のバリアにもならず、もちろん「憲法9条」は救ってくれませんでした。
同胞の悲劇、惨劇をすかさず政治利用、選挙利用しているのはどちら側か。
さらに集団的自衛権を可能とした安保法制により、今回の被害が起きたという言説もあります。
無差別テロを安倍晋三首相が引き起こしたかの主張。こうした何でも首相や与党の責任と主張するものらを、ネットでは「アベノセイダーズ」や「ジミンガー」と呼びます。
思考停止したバカの甘えと言ってしまえばそれまでながら、つまり誰かや何かに責任を押しつけることで、自分だけは罪から逃れようとする卑怯者の発想、あるいは論理的思考を持たず、責任感を理解していない子どものタワゴト。
暗黒の民主党政権のころ、私は繰り返していました。
「民主党に票を投じてはいないが、政権交代を止められなかった応分の責任がある」
彼我を入れ替えれば同じこと。という発想がアベノセイダーズやジミンガー、平たくいえば「パヨク」にはありません。
そのくせ、自説に都合がよいことについては、何でも結びつけるすがたはオカルトです。
もちろん、ダッカの悲劇に、安倍政権以降の日本の動きがまったく関与していないとはいいません。風が吹けば桶屋が儲かるようなレベルでの関係性はあるでしょう。
ニューヨークのアゲハチョウの羽ばたきにより、上海株が乱高下する「バタフライ効果」という学説だってあります。
ただ、議論の対象になるのはその度合いによりけりです。
民進党の枝野幸男幹事長は、NHK番組で
「安保法制できた後の方が北朝鮮でミサイル開発が進んでいるし、今まで中国海軍の船が日本の領海に来ることはなかったが、入ってくるなど、抑止力は全然高まっていない」
と宣います。
枝野氏は弁護士上がりで、黒を白と言い張る職業とは過言でしょうが、何をもって黒と判断するのか、輝度か彩度か、この点からの検証が必要であり、それまで真っ黒と断じることはできないのではないかと詭弁を弄することを技術とする職業が弁護士。
前後関係を無視して、ある時点の状況だけで批判するのは、弁護士としては優秀であっても政治家にさせてはならないタイプ。
これは橋下徹氏に通じます。短期のトリックスターとしては輝きますが、長期間続けると、その場限りの発言を繕うことに追われ、苦し紛れに「ヘイトスピーチ条例」のような思慮に欠けた危険な条例を指示だけしてから丸投げして遁走。
話しを枝野氏に戻せば、北朝鮮の核開発に、中国の東シナ海の侵略の意図が明確となり、着々と行動に移していることも安保法制が急がれた理由で、因果関係を取り違えているものが政治家をさせてはなりません。
そしてこんな現状認識しかできない人物を幹事長に据えている民進党の程度がわかるというものです。
こんなこともありました。
ご遺体が羽田に到着し、政府専用機から降ろされた棺は並べられ、岸田外務大臣らによる献花が行われました。
この映像を見ていたネジネジこと、タレントの中尾彬はテレビ朝日の番組内で
「なんで外でやっているんだよ」
「なんで(ご遺体が)大臣を待たなくちゃいけないんだよ」
とコメント。ネットの一部には中尾彬を正論と賛美する声が多く、安倍が死ねば良かった、安倍に殺されたと発狂して見せます。
岸田外務大臣らへの批判ですが、バカですね。クズですね。パヨクですね。
これを報じた日テレニュースは、こう続けます。
“この後ご遺体は空港内で警察の検視をうけ、死因を特定する司法解剖を行うため、それぞれ別の神奈川県内の病院へ向かいました”
そしてその後は、ご家族の元に帰るのでしょう。だから、空港しかなかったのです。
ご遺体を並べている、外で待たせている。セレモニー(儀典)とはそういものでしょうに。
それとも降ろされる棺に順次、献花しろというのか。仮にそれをしたならば「流れ作業」だと批判を浴びます。
また、屋外をなじるのもヤクザの因縁レベルの話し。土砂降りの雨の中の屋外ならともかく、平日の朝7時過ぎ。空港のホールやロビーを一般客を締め出して貸し切りにしろとでも言うのか。あるいは格納庫でやろうものなら、
「モノ扱いした」
と言うだろうに。っていうか、世界中どこでも行われていることですし、空の玄関口である空港の、それも滑走路での出迎えは、最大限の礼儀を尽くしていることは、国賓がタラップを降りるときに出迎える理屈と同じです。
さらに説明をしておけば、国賓を待ち受けるときは、空港及びその周辺はトップレベルの警戒と規制がなされ、事実上、空港を一時的に閉鎖するのですが、同様の待遇をダッカの犠牲者に施せと中尾彬が言うのなら主張としての筋は通りますが、果たして中尾彬にそこまでの考えはあったのか。
当然ながら安倍死ね、安倍が殺したは論外。
ちなみにラバブ・ファティマ駐日バングラデシュ大使も、同じ場で献花し黙祷を捧げています。中尾彬はファティマ駐日大使にも同じ言葉を投げるのでしょうか。
この論理に連なるのが同じくテレビ朝日の社員 玉川徹氏の主張。
「もはや戦争は国対国ではなく、テロとの戦いを想定しなければならない。そこで考えるのは敵を作らない大切さで、政府はもっとそれを考えるべきだ(発言要旨)」
中尾彬出演番組の次の番組「モーニングショー」での発言。
戦争は外交のひとつの手段で、テロは卑劣な犯罪という基本を彼は識らないようです。
百歩譲って平和憲法のもとに戦争を全否定するとしても、ダッカの悲劇のような無差別殺戮は防ぎようがない通り魔と同じです。敵を作る作らない以前の話しです。
正確には無差別殺戮ではなく「イスラム教徒以外の無差別殺戮」です。
ならば玉川徹説を実行するには、すべての日本人が、世界の人々がイスラム教徒にならなければなりません。
古代ローマにおいて「自由」は「奴隷ではない」ことであり、それは「自分の人生を選べる」という意味だったと言います。
キリスト教国になる前の古代ローマでも、もちろん現代日本でも信教の自由が認められていますが、玉川徹はイスラムへの改宗を迫ります。
もちろん、それも玉川の信仰であり信条の自由であり、その点においては私は彼の自由を認めますが、彼の主張に同意することなどできません。中尾彬も同じく、江川紹子氏も同じくながら、孫崎享はまぁいいや。
ことほど左様に珍説や因縁が粗製濫造されています。
仮にダッカの悲劇が、選挙期間中でないなら、批判の声ももう少し冷静なモノになったことでしょう。ところが、劣勢明らかなパヨク陣営、反日勢力(同義ですが)は、常に政府批判のツールを探しており、突然の悲劇に飛びつき政治利用。その結果、論理破綻かオカルトに飛躍します。
例示すればきりがありませんが、選挙はこうした「著名人」どもの見識を露呈してくれるメリットがあります。