チラシを「フライヤー」と呼ぶ、オッさん、オバハンらが増えています。費用対効果をコストパフォーマンスと呼ぶならともかく、「コスパ」「CP」と呼び替えて「イケてる」と錯覚するぐらい恥ずかしい行為だと個人的に思います。
なぜなら「フライヤー」の語源を考えれば明らか。
日本の「チラシ」は現在の三越の「引き札」から始まるとされます。「呉服物現金安値無掛値」と、「売り掛け」が当たり前だった時代に、現金売買で安く売ると歌った「札」を貼り宣伝したのです。これが1683(天和3)年のはなし。
そして「チラシ」という単語そのものは関西の方言だったとされ、紙を撒き「散らす」から転じ、とりわけ新聞の普及に連動した「折込チラシ」とともに定着していったとされます。
紙片を意味する「札」の字に「びら」とあてた表現もあり、一説には文明開化とともにやってきた外国人居留区のビレッジの案内が書かれた紙片を「ヴィラ」と聞きかじり、そこから生まれたという説もありますが、いわゆる「寄席文字」は「ビラ字」とも呼ばれ、寄席の幟(のぼり)には江戸時代から使われていたことを考えると、どうもこれは俗説。
ウィキペディアによれば「びらびら」から転じたとアリ、どちらかといえばこちらの方が現実に即している感じです。また、複数ページの冊子に対する「単ビラ」という表現は、ほぼ「チラシ」と同じ意味ですから、明確な区別は野暮というものかもしれません。
翻り「フライヤー」といえば、これらと比べて新しい言葉なので語源がしっかりとしています。それは「飛行機」や「ヘリコプター」などから、広報目的でばらまいた紙切れ。「fly」なわけです。
つまり、航空機が普及していこうの言葉で、私が史実ではっきりと記憶しているのは、戦時下のプロパガンダと、抵抗を続ける帝国陸軍への投降を呼びかけるビラ。
すると、学生よりも老人が目立つ「SEALDs」なる政治団体が、ビラを「フライヤー」と呼ぶのは、政治的扇動=プロパガンダですから、ある意味、正しい呼び方ではあります。
だから空から降らせる予定のないチラシやビラを「フライヤー」と呼ぶことを恥ずかしいとするのです。いま、無許可でそれをやれば、何かの条例で逮捕されるでしょう。
従来からある日本の言葉を置き換えただけで、最先端を気取るとは、語る言葉に中身も意味もないから、目新しい単語に差し替えているに過ぎないからです。自戒を込めて言うなら、広告の手法にまんまと騙されているのです。
ちなみに先のSEALDsや、その仲間の共産党などの左派が、エンブレムやプラカード(これもフライヤーと呼んでる光景は、あまりにも偏差値28過ぎて笑えませんが)を絶えず更新するのは中身がないから。広告としては常套手段ですが。
無知な若者が使うことには寛容です。いつか通った道ですから。しかし、同世代か、それ以上が意味を踏まえず使うなら、それも表現の自由ながら、見識の程度を晒す行為だと心の中で蔑みます。