真・週刊フジテレビ批評(笑)。編成に滲む投げやり感なフジテレビ

フジテレビ公式サイトより フジテレビ公式サイトより

 フジテレビにはすでに番組を作る力が無い、だけではなく「編成」も捨て鉢です。番組制作に冠しては、下請け丸投げでも、運良く良い企画、良い下請けに巡り会えばヒット番組になることもあるでしょう。しかし、どの時間帯に何の番組を放送するかを割り振る「編成」についてはフジテレビ社内のこと。これがクズ。

 「笑っていいとも!」を打ち切ったことに代表されますが、この春より「ごきげんよう」と「昼ドラ」を打ち切り、前番組の「バイキング」と後番組の「グッディ」をそれぞれ拡大させますが、どちらも「低視聴率」だけしか話題にならず、そもそも分母が少ない番組を拡大するとは水増しです。もっとつまらなくなることでしょう。

 対して視聴率の絶対王者に君臨する日本テレビ。巨人軍びいきな放送局から、炎の男 西本聖を放逐した1989年以来、アンチ巨人になり積極的にチャンネルを選ばなくなりましたが、いま、一番、バランスがとれ、番組作りをしているのは日テレと感じます。

 代表的なのが、日曜朝の7時です。この時間、日テレは日常の些細なことを科学の視点で切り取り、解明する「所さんの目がテン!」で、フジテレビが3人の著名人が雑談をする「ボクらの時代」。

 今朝の「所さんの目がテン!」は「卵かけご飯」を美味しく食べるという、実に浅い企画ながら、丹念に取材し実験し、セットを組んだスタジオ収録でまとめます。ちなみに、タレントの「ユージ」は今回で卒業。ちと残念。

 対する「ボクらの時代」は同居するお笑いタレント徳井義実と小沢一敬と構成作家。番組制作におけるカギは、「お洒落なカフェを探すこと」といっても過言ではないほどなにも仕掛けていません。
 
 もともと「ボクらの時代」は、タイトルにあるように新進気鋭の、今後の注目株の若手俳優にスポーツ選手、そしてあらゆるジャンルの人物を集め、台本無しで雑談させることで生まれる化学反応を楽しむような番組でした。

 2007年の初回をウィキペディアで引けば「安藤忠雄×三宅一生×深澤直人 」、2回目が「高田純次×ベンガル×柄本明」。なんとなくつながりは分かりますが、彼らが台本抜きでどんな話しをするのか、キャスティングだけで興味を惹きます。

 それがすでに同居しているいわば知り合い。結果、褒めあう馴れ合う、オチがない。

 まぁキャスティング頼みの番組は、はずれ回もありますが、前回は津田大介、三浦瑠麗、古市憲寿の三氏。2分でチャンネルを替えます。ビジュアル的に無理。また、語りはじめが古市と津田の最初の出会いを振り返り、興味ねーよ。

 「お洒落」を演出テーマとしているのか、肩越しのアングルや演者のアップも多く、また全体の引きの画では、下手から津田、三浦、古市とならぶのですが、小太りの金髪のオッさんと、貧弱なオッさんに、思惑ありげに笑顔を絶やさない女性。そのビジュアルは不気味であり醜悪。さわやかな日曜の朝が台無し。なお、30才過ぎをオッさんと定義しています。

 三浦瑠麗氏がまともに言葉を発する前に「目がテン」にチャンネルを替えました。すると「科学の力で納豆を作る」という科学者が納豆を作るという企画。

 お洒落風なカフェを抑え、キャスティングのみで台本不要。片や科学者までロケに駆りだし、結果を出させ編集し、組んだセットでまとめます。どちらが「作っている」かといえば一目瞭然。

 そしてはたと気がつきます。津田、三浦、古市のスリーショットに感じた違和感は、それぞれが心のバリアというか、よく見られたいという虚栄心からか、特に津田と古市には自分を良く見せようとする下心がプンプン。それはあって当然ながら、鼻についたのは前番組の「はやく起きた朝は」からの流れで視聴したから。

 松居直美、磯野貴理子、森尾由美の3人による雑談番組で、放送時間とタイトルを変えながらも20年以上続く老舗番組。いわばプロの雑談、女子トーク番組。肩の力の抜けた彼女らに、津田や古市に感じる下心はありません。というより、良く見せることを前提としたアイドルやタレントですから、当たり前すぎてそれを感じさせないのでしょう。

 「はやく起きた朝は」と「ボクらの時代」は同じ、3人の出演者による雑談。前者は組んだセットで企画を織り交ぜ進行し、後者はだらだらの雑談で演者次第。安定したクオリティは前者です。

 連続してみなければ気がつかなかったことでしょう。日曜の朝は雑談的な番組が良い、よし並べてしまえ。こんなところにもフジテレビの凋落ぶりが滲み出ます。

 ま、見なければ良いのですが。なお、フジテレビは土曜日早朝に「新週刊フジテレビ批評」なる自作自演、自画自賛な番組をもっており、ここにも津田大介氏はたびたび登場します。なんでも大の中日ファンで、その日の対談相手は昨年引退した山本昌。

 津田は言います。

「今でこそ投手王国のイメージがある中日だが、山本昌がアメリカ留学から帰ってきた1989年当時は、恐竜打線と呼ばれるなど打撃の印象が強いチームだった。つまり山本昌が投手王国の礎を築いた(発言要旨)」

 ・・・適当なことを言うのは、津田氏の持ち味ですし、私は中日のファンではありませんし、いまやプロ野球ファンでもありません。しかし、1987年に星野仙一が監督になってから投手強化を進めたのは周知の事実で、1989年には巨人のエースだった西本聖を獲得し、彼は20勝を挙げ巨人キラーとなります。この年の8月、父は他界し、父が大ファンだった西本の活躍なので間違えようがありません。

 対する山本昌は9勝。シーズン終了後、ふたたび留学を命じられています。「無事これ名馬」を体現するような選手で、リスペクトをするのは構いませんが、歴史の捏造はいけません。ファン故の知ったかぶりの披露なら、養老乃瀧での雑談ですべきです。

 もっとも、彼の本業であるはずのITでも、視聴者による投稿が報道に与えるようになった影響について、やはり同番組で2009年の「ハドソン川の奇跡」だと得意げに騙っていましたが、2001年のワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込んだとき、封鎖された現地周辺の一般人がネットに挙げた情報を、CNNなどが転電していたことを知らないようです。そしてこれが「ブログ」が普及するきっかけとなります。彼が「違法ダウンロード」について得意げに解説する書籍を発刊する2年前の話しです。

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