辛坊治郎があがめる橋下徹とシルバー民主主義説

 大阪都構想が住民投票により否決されました。ホッとしております。

 大阪のこと、大阪市のことは大阪市民が決めるべきと、極力、触れないようにしてきましたが、実際のところ、都構想が賛成となれば、それは橋下徹氏の国政進出と同義で、屁理屈をこねる技術の高さから、「そのまんま東」が自民党総裁になる以上の危機を招くと危惧していたからです。

 ちなみに「そのまんま総裁」が誕生しようものなら、党内野党が総力を結集し、追放に追い込むか「第2自民党」をつくって叩きつぶしたことでしょうから、さほど心配はしていませんでした。

 自浄作用とは呼びません。権力闘争です。

 一方、安倍首相や管官房長官などの動きを見ていると、やっぱり彼らは信用ならんと警戒を強めております。

 その「都構想否決」について、様々な珍説が流布しています。都市伝説というか、ステレオタイプの選挙制度批判、体制批判といってもよいでしょう。その代表例が

「シルバー民主主義」

 です。「老害」と呼ばれることもあり、諸説ある・・・というより、都合の良いところで、微妙に役割を変えて用いられている言葉で、

「少子化から多数派の年寄り(シルバー)の意見が優遇される」

 といったところでしょうか。

 確かに人口構成比から、団塊世代というボリュームゾーンが、高齢化し、その傾向は強くなっています。そこから、年金問題や財政再建、さらには「脱原発」にまでこの問題を絡めて語る動きがあります。

 つまり年金や医療など、既得権益を得ているシルバーに不利に働く制度変更はできず、若者が不利益を被っているという主張です。

 「脱原発」は、「子や孫に負担を残す」と掲げる言葉の裏側に、「老い先短い年寄りは目先のことしか考えない」という侮蔑が透けて見え、都構想敗戦の翌日、辛坊治郎氏は関西ローカルの朝のニュースワイドショーで、

「老い先短い人たちの目の前の不安感を解消することができなかった」

「これからの世代の子はかわいそうかなって気がします」

 と嘆いて見せます。年寄りも若者も馬鹿にした

「俺様だけがすべてを知っているぜ」

 といった発言に失望します。なるほど、全国ネットでは、言葉を選びながら小さな毒を吐いていたのは、熟慮ではなく、保身のための遠慮や配慮だったと知ったのは発見です。

 年金や医療についての制度の見直しは喫緊の課題と考えます。しかし、改革がつねに正義と限らないのは「終身雇用」から考えると見えてきます。

 かつて終身雇用とは、「アメリカンドリーム」の対極と小馬鹿にする向きもありましたが、真面目に勤め上げれば、それなりの老後が保障されるという安心もありました。

 だから薄給にも耐え、理不尽なパワハラにも「忍」の一字で堪えてきましたし、レイオフの心配がなく、今風に言えば、転職にリソースを割く必要のない社員が揃っていたことも、日本型企業の強みだったといえるでしょう。

 円安になりながらも、いまひとつ波に乗りきれない日本経済の背景に、人材不足が影をさします。雇用の流動化で、人材が育っておらず、機動的な採用計画の名の下に、派遣社員が増加し、それを否定はしませんが、終身雇用が保障された正社員と同じモチベーションを望むのは無理な話です。

 また、終身雇用が崩壊したなか、新人に「ぞうきんがけ」を強いるのは酷な話しです。

 資源も土地も、軍備も持たない日本が、曲がりなりにも世界第2位の経済大国へと駆け上がった背景に、結果的には幻想になりつつありますが「終身雇用」があったのです。

 そして迎えた定年退職。

 約束の年金は削られ、医療費は高騰したとしても、すでに老いた身にできることなど限られ、不足分を交通誘導員として働くぐらいしかできません。職場は路上。

 スモークガラスのワンボックスカーで、傲慢に街中を疾駆するマイルドヤンキーと呼ばれる若造に「邪魔だ!」と怒鳴られても抗う術を持たず、愛想笑いを浮かべてやり過ごしたまま、かつての企業戦士らは死んでいきます。

 死ねば追加の医療費も不用ですし、そもそも医療費を絞り込むために、医療内容を削ることに成功すれば、医療を必要とする対象すら削減できます。

 そんな背中を見て育った「若者」はなにを思うでしょうか。

 コツコツ働いても、貧しい老後しか待っていない。政府の都合で約束は反故にされる。と悟った若者が取る行動は、一攫千金かモラルハザードのどちらかです。

 盲目的な「社会補償費の削減」が実現した暁には、政府を信用する国民は激減するということです。無知と親しい若者などは、抑制案に一時的に喜ぶかもしれませんが、時間は平等に過ぎていき、

「明日は我が身」

 の言葉を思い浮かべます。

 政治は数字合わせではないのです。

 これは消費税を巡る議論にも繋がってきます。海外の事例から税率が10%を越えると「脱税」が増える傾向があるといいます。

 単純な脱税事案は徴税強化で対応できますが、脱税を権利のように捉える「モラルハザード」が、欧州の経済破綻が噂される国に見られる特徴で、国家としての致命傷となります。

 一度、脱税を当然とする空気が生まれてしまうと、少しぐらい税率を下げても無駄です。わずかな努力で数パーセントの純益が増えますし、「国民全員」の規模でやれば、いかに優秀な税務署をもってしても捕捉は不可能となるのは、すべての自動車が交通ルールを守らなくなれば、警察が取り締まれない姿を想像すればわかることです。

 先の辛坊治郎氏がご高説をたれた読売テレビの『朝生ワイド す・またん!』。番組の冒頭から、辛坊治郎氏は

「投票日当日だけなら賛成派が圧倒的に多かった」

 と主張します。ソースを明かさない思いこみはいかがなものかとYouTubeを見ながら突っ込んでいると、後に当日の「出口調査」では賛成派が多いことがグラフで明らかにされます。

 つまり「期日前投票」の組織票、すなわち市職員などの反対票による成果であり、「一般の大阪市民の民意は賛成だった」と印象づけを狙っているのです。

 それもひとつの見識でしょう。また、これも番組内で辛坊治郎氏みずからの弁によるので、事実確認を省略していますが、

人口270万人の大阪市の市職員が3万5千人
人口370万人の横浜市の市職員が1万9千人

 と並べ、その多さを嘆きます。

 さすがに言葉を選びながらも、公務員である市職員を、いきなり首にすることができない難しさもあるとしながら、採用減による自然減少を待っていたら、何年かかるかとぼやいて見せるのですが、欺瞞に満ちたレトリックです。

 有権者数211万人のうちの3万5千で、全体の1.6%に過ぎません。僅差となった結果から見れば、大きな数字ですが、市内に住んでいれば市職員も有権者ですから除外などできるわけもありません。

 しかし、単純な数字で議論を展開するなら、残りの98.4%の賛同を得られれば、僅差ではなく「圧勝」できたということです。

 期日前投票には、党員や学会員など「組織」のメンバーも含まれ、彼らの組織力により反対が上回った・・・とすれば、大阪市における野党対策が不十分だったということで、政治闘争における敗北ということです。これは、橋下徹氏と同じくタレント弁護士の住田裕子氏による、テレビ朝日『モーニングバード』での指摘と重なります。

「橋下さんは敵を作りすぎた」

 仮想的を創りだし、攻撃する手法の限界で、まともな政治、民主主義の勝利といえます。お笑い100万票と揶揄される大阪の地で、「扇動政治」に待ったをかけたのですから。という、視点を辛坊治郎氏はお持ちでないようです。

 そして「戦犯」を「老人」に求めます。

 番組の中で年代別の賛否が明らかにされ、

「70代は圧倒的に反対が多い」

 との結論が、一連の発言のベースになっているようです。このとき、組織票主犯説が置き去りであることを、番組出演者の誰1人突っ込みません。

 実際の生データをもっていないので、断定はできないのですが、少なくとも放送されたグラフからだけでは、

「老人が反対したから否決された」

 とはいえません。なぜなら年代別に紹介されるのは、それぞれの「割合」だからで、同じく年代別の分母が明らかにされていないのです。

 70才以上の男性の61.3%が「反対」となっていますが、大阪市のサイトにあった「年齢別推計人口」から数えると196,708人で、単純に割合をかけると120,582票となります。ちなみに70才以上のなかには、100才以上の179名も含んでおります。

 反対に71.6%と、もっとも「賛成」が多い30代男性は同じ調べで187,879人の135,085票と、約1万票と同じ差で結果は逆転します。

 70才以上と30代男性の、それぞれ総数だけを見れば、「シルバー民主主義説」を唱えることもできますが、男女合わせた総数で比較すれば

70才以上: 480,003人
70才未満:1,769,893人

 となり、いわば「非シルバー」は4倍近い基礎票を持っているのです。

 確かにシルバー民主主義は存在するかもしれません。しかし、それはシルバーが存在しているという理由だけではなく、非シルバー世代が政治に参加していないからで、いわば「自業自得」ということです。

 そして再び、辛坊治郎氏の発言を引用します。

「これからの世代の子はかわいそうかなって気がします」

 年寄りを恨んで生きろということでしょうか。また、言葉の裏側には「俺は違うけどね」という自己保身が滲み出ていてイヤらしい。

 都構想が否決されたに過ぎません。都構想は手段や方法論であり、大阪市政の無謬なる正解でもなければ、あの宗教におけるお題目のような、揺るがぬ真実と思い込むのは自由であっても、ならばそれは政治ではなく宗教です。

 あるいは「橋下徹」の政治家引退を嘆いての台詞かも知れませんが、有り体に言えば「住民投票」という博打に負けて、身を引くというものに、果たして政治家としての資質があるかが疑問です。

「政治とは妥協の産物であり、可能性の芸術である」

 とはビスマルクの言葉です。

 結果が僅差ならば、説明不足の可能性だけは残されます。リベンジの可能性を自ら放棄したのは橋下徹氏本人です。

 なにより行政手法は専売でなければ特許もありません。

 仮に橋下徹氏がタイタン所属のタレントに戻り、暴言をはく生活に戻り、「バカコメンテーター」に就職したとしても、その志を継ぐ人物が登場すれば、都構想は死にません。「消費税撤廃」をいまだに叫び続ける日本共産党のように。

 辛坊治郎氏の発言を意訳するとこうです。

「橋下徹がいなくなれば市政は闇に包まれる」

 やっぱり宗教です。ならば、信教の自由があるのでそっとしておくことにします。

 番組の後半、「橋下改革」とやらを「手術」に例えて、高齢者は大手術に踏み切らないが、賛成した若者世代は、手術にかけてみたいという思いだったと代弁します。

 しかし、その「手術」が、群馬大学病院における腹腔鏡手術だったらどうなっていたのでしょうか。そのとき、若者は

「なんで止めなかった」

 と、きっというのでしょう。

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