原告の情緒的すぎる主張(大飯原発とともに民主主義が死ぬ その2)

 民主主義の崩壊の始まり。と、左翼的に煽ってみます。しかし、それほど遠くもないのが大飯原発3、4号機を巡る運転差し止め訴訟での福井地裁の判決です。

 裁判長は樋口英明氏。民主主義崩壊の引き金に指をかけた、この人の名前は記憶に留めておきましょう。

 裁判自体は珍しいものではなく、全国で繰り返されている「再稼働反対」のひとつ、主張は危険だから再稼働するならというもの。

 どちらの立場によるかで大きく意見が分かれますが、象徴的なのは、判決文にあった「前提事案」で「東日本大震災及び福島原発事故」で原告側(再稼働反対)が事故原因を説明するこのくだり。

“(原発が自動的に緊急停止)ところが、地震により外部からの送電設備が損傷し、すべての外部電源を喪失した。そのため、非常用ディーゼル発電機が自動起動し、いったん電源は回復したが、津波等の理由(津波だけが理由なのかは争いがある)によって、1号機、2号機、4号機の全電源喪失及び、3号機、5号機の全電源喪失(SBO)が生じた。

 1号機ないし3号機はいずれも冷却機能を失ったためメルトダウン(炉心溶融)を引き起こし、さらに落下した核燃料が原子炉圧力容器の底を貫通して原子炉容器に落下するというメルトスルー(炉心貫通)まで引き起こした。(ので、水素爆発を起こし、大量の放射性物質が外部に放出されたと続きます)”

 原告側の主張は「だから危ない」というものですが、一方で停止できている原発には触れていません。重大な事故が起これば、取り返しがつかないというもので、重大な事故が起こればという前提がすでにどちらに軸足を置いているからで、「重大」であるならばより「起こさない」「繰り返さない」というのが科学と向き合う態度ですが、ここに見つけることは困難です。

 さらに原告側は、被告(原発側)の安全対策を否定することで、主張を通そうと試みますが、そこにあった一節に馬脚を見つけます。

“事故の要因となる「人的ミス」「見えない欠陥」、「不運」は含まれていない”

 これはストレステストにおける評価を「机上のシミュレーションに過ぎず」と切り捨てた上で、「シナリオや入力値次第でいくらでも恣意的に導くことは可能である」と疑義を呈し

“絶対的な安全評価をできるものではない”

 と断じてから、「想定外」が含まれていないと、先の3要因をあげて追い打ちをかけます。

 一般的にこう表現します。

「それをいっちゃあおしめえよ」

 それをいえばシミュレーションなど、みなそうです。議論になどなりません。

 人間のやることの可能性を無制限に認めれば、すべての安全対策など水泡に帰します。

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