いま流通している「歴史認識」を変更することを「(歴史)修正主義者」と罵る声があります。
事例は引きませんが、現代にしても新証言により覆されることは一般的で、あきらかになった事実や証言により、歴史を見直すことはむしろ当たり前なのですが、特に最近の「右傾化」と絡めて否定的に捉えさせようとする動きを朝日新聞などに散見します。
最近、とみに進んでいるのが「戦前・戦中」についてです。果たして日教組が洗脳したような「暗黒時代」だったのか・・・そうではないという「証拠」は次々とあがっています。
この点、朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』における、戦争の描き方に極端さがみえるのですが、あのドラマは昭和時代の「少女漫画」なのでツッコミはしません。
ご都合主義の登場人物の行動、ピンチになると現れる救いの手に、主人公自らがトラブルを引き起こす姿は、目がバツ印で表現されたそれです。ついでに「苗字」だけのキャラは、死亡フラグが立っているところに、脚本家のおざなり感が一杯。
話を戻します。
「都市部に育った日本兵は親米的。米国映画に熱狂」
これ大東亜戦争における戦地の帝国陸軍での話しです。
本書は米軍が将官向けに発行していた、いわば「業界紙」を丹念に渉猟し「日本軍」の実像に迫ります。
そこには「ファナティック(狂気)」とみられた日本軍が、実に腰抜けとして描かれています。著者はそれを嘲るのではなく、米軍の「戦意発揚」を狙ったものであると指摘しながらも、重なる記述から「事実」を拾い上げます。
盲目的な狂信者ではなく、普通の人々で、むしろ臆病で命を惜しんだ姿も見えてきます。一方で、「恥」を嫌い、それと「命」を天秤に掛けている様子をうかがい知る事ができます。
また「精神論」に頼ったのは、精神性と言うより貧乏性というか、本当に物資が足りていなかったが故の苦肉の策で、これを先の恥が背中を押すという構造で、現代日本で失われてしまった
「やせがまん」
をそこに見つけます。
筆者の視点がユニークであり、かつ的を射ていると感じるのは、敵という鏡を通して帝国陸軍を見ながら、彼らの背景を探るのに、現代日本人との共通点を採用していることです。
歴史は連続しており、民族の本質は引き継がれているものです。
事実を持ってしても、歴史の修正を許さないとする勢力は、戦後の日本人とそれ以前を別の人種のように誘導します。しかし、そんなことはないことを本書は教えてくれます。
・・・それとあえて日本への弱さを弁明するなら、物資不足だけではなく、主戦力の温存であり、レイテ島に第一師団が派遣されてからのエピソードは、筆者としても「一矢」を報いるとは想像ですが。
それと「本土決戦」においての水際作戦の採用は「穢れ」という精神性からじゃないかなとは、これまた私見。
■日本軍と日本兵 米軍報告書は語る
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