首相と社長がゴルフをした企業の株価は上がる

 国民の知る権利は守らなければならない。
 ここで思考停止するとすべての議論がとまります。

 知る権利の濫用に社会的不信感を増幅させている可能性が高いからです。

 国家権力による検閲や、情報の選別を良しとするものではありませんが、だからといって、何よりも優るものではないと考えるのです。

 例えば知る権利だからと、わたしの性癖を開陳しろと迫られても困ります。もちろんプライバシーにより守られるものですが、それでは取引先の企業と、その契約形態を知る権利があるのだから教えろと言われても断ります。

 タレントの伊勢谷友介氏は、特定秘密保護法の制定に反対し、こうツイートします。

“特定秘密保護法案を可決しようとしている現政権。 知らなければ、問題を考えられない人が増えて行く。そして、国民は馬鹿になってゆく。馬鹿になれば、問題は為政者に任せるだけになる。参加型民主主義に逆行中の日本。 9万件のパブリックコメントの約9割は反対。それを反故にしてる現政権。”

 すると、彼の噂の性癖と、彼女との営みも知る権利・・・には興味ありませんが、これは人間の真実を知らない浅薄な発言でアリ、同時に自らを高みに置く高慢ちきな発言です。

 なぜか。

「特定秘密保護法がないのにバカは増えていないか」

 すでに起きている現象を踏まえた上で、語るのが科学的態度というもので、知る機会も知る方法もあったのに「知らなかった」とのうのうと語るのが「放射脳」であり、知る権利と知ることは全く異なる位相に存在します。

 そして伊勢谷氏の暴論の無惨は「知らなければ」と、前段の法律にかけることで問題視しようとする狙いがあるのでしょうが、「特定秘密」を知らないだけでバカになるとは、どれだけの情報を「特定秘密」に指定しようとしていると彼は考えているのでしょうか。

 そして「バカになれば為政者に任せるだけ」と大上段に構えますが、バカの本質を彼は知りません。

 バカとは自分に直接関係の無い情報に興味を持ちません。仮に特定秘密に「トイレットペーパーの価格」や「ナンバーズの当たりやすい数字」があれば、真剣に情報を求めますが、生活に直結したり、自分に利害があったりする情報以外には興味を持たないのです。

 語弊を怖れずに言えば「特定秘密」に遠いところで生活しているのがバカ・・・というより庶民です。

 さらに伊勢谷友介氏の「参加型民主主義」って、民主主義ってそもそも「参加型」じゃないの。これではチゲ鍋です。

 だから「パブリックコメント=民意」とするのは素人至上主義という病で、幼児化している日本の象徴です。民主主義においての民意とは選挙で問うものという前提を忘れ、自分の嫌なこと、気に入らないこと、しかもその根拠が「雰囲気」であっても声高に叫び、筋違いの意見をもとに世論を代弁します。

 安倍首相が演説で取り上げたこともあり、多少は名前も知られてきたニュースサイト「ハフィントン・ポスト」では

「朝日新聞の読者投稿コーナーでも、反対する声が多い。」

 と紹介します。朝日新聞を購読し続ける読者というバイアスを考えれば、反対の論拠にすらならない、むしろマイナスイメージであることに気がつかないのでしょうか。

 余談ながらハフィントン・ポストの本家はリベラル色が強く、日本版には朝鮮半島から極右新聞と名指しされる新聞の元記者も参加していますが、この記者は名家の令嬢で、新聞社時代から社風に合わないリベラルな発言が散見しました。満たされた環境で育った人は、その環境を空気の如く、当たり前とします。するとそこへの感謝がなく、わずかな空気の濁りにさえ不満を漏らします。改革や維新を叫び、山本太郎に票を入れる東京都民にも通じる「わがまま」です。

 その特定秘密保護法。問題が無いとはいいません。アリアリです。
 ただ、反対派の論の幼さと、主張の怪しさが気になります。

 こうした議論をする際、前提条件を正しく掴んでいないと、マヌケな主張を感情論でコーティングしてしまい正論と錯覚します。そして感情論をベースとした問題提起の方が理解しやすいと言うところが厄介なバカ・・・大衆の真実です。

 例えば失恋した女性がいたとします。元カレは女性関係にだらしなく、浮気がばれたことが別れの引き金を引いたとします。恋の終わりは元カレだけのせいと見るのが、目先だけをみた感情論です。

 ふられた女性は自己中心的で傲慢、面倒見が良いという評判もあれば気分屋と呼ぶ人もいて、なによりチャラチャラした男性を好み、いつも同じような相手とつき合っては、同じように別れて、同じように泣いては周囲を巻き込みます。果たしてこの女性に問題は無いでしょうか。

 内容は詰める必要があり、運用開始後の改善は当然としても・・・というかこれも実に日本的なのは、施行時に完璧な法律(そんなものないのですが)を求めるところ、これは国民とメディアはもちろん、完璧を原則とする役人の問題でもあります・・・そもそも特定秘密保護法を必要とした理由は「国防」です。

 日本版NSCとは国家安全保障会議で、ざっくりといえば、日本においては「国防」の専門機関。国防において自衛隊は「実行部隊」ですが、国防とは武力だけではなく、もちろん憲法9条でもなく、外交はもちろん、有事に際しての国内の法整備、対策のすべてが連携して初めて実現できるもの・・・という発想がそもそもこの国にはありません。

 最近ではずいぶん空気も変わりましたが、平時に自衛隊が迷彩服を着て街中を行進(移動)するだけで、白い目で見る人もいて、ほんの数年前にはイラクへの人道支援に出発した自衛隊の家族が、肩身の狭い思いをしていたというニュースを思い出します。

 また、すわ開戦ともなればともかく、不穏な空気が流れている(いまも流れていることは脇に置いて)段階で、防衛強化のための実戦配備をしようとすれば、

「周辺国を刺激する」

 と反対論がでる我が国において、国防を司る機関は不可欠なのです。ちなみに日本の周辺国は仮想敵国ばかりです。

 そしてこの日本版NSCを機能させるために特定秘密保護法が必要となります。

 現在、枠組みが作られつつありますが、そこで働く職員に秘密の保持は不可欠です。さらに、関係省庁との連絡が欠かせないのは、東日本大震災により設置され、いまいち機能していなかった復興庁を思い出せば充分でしょう。「国家」として動くとき、最大の障壁は縦割り行政だからです。

 部隊の配置のために国交省、林野庁、海上保安庁との協力はわかりやすい話ですし、敵国のスパイを取り締まるためには警視庁や入国管理局との連携、あるいは経産省やJETROから、海外企業の動向に睨みをきかせることも時に必要となります。

 ここにからんだ職員が

「日本版NSCに○○の資料渡したなう」

 とツイートしたら、敵国に日本の動きを苦も無く与えることになります。公務員だけを対象とすれば、特定秘密保護法がなくとも大丈夫というのは論外。公務員はいつからそれほど有能になったのでしょうか。むしろ、民間のノウハウを活用しなければならない場面は多く、今後も増え続けることでしょう。「サイバー空間」など最たるものです。

 民間に委託し、民間が「なう」と情報漏洩して処罰する方法がない。これでは国防などできません。

 特定秘密保護法の制定に際して、今年の1月におきたアルジェリア人質事件での政府の情報収集能力不足が露呈し、これをきっかけとするという説がありますが、情報筋によれば北朝鮮の人工衛星発射と称するミサイル発射のときにも、米国は情報共有することで連携して対応することを目指しました。

 ところが日本の窓口を探すと、関係省庁を縦断した指揮系統がないばかりか、機密漏洩に関する罰則もなく、伝えることにより米国の情報収納力が露呈するリスクが発覚し、計画そのものを断念したのです。

 実際の「発射」時は、米軍と自衛隊は連携しますが、打ち上げ前にその兆候を掴み、外交的な手段で阻止できるのがベストですが、その術を日本は持たないのです。

 特定秘密保護法において秘密の保持期間が長く、恣意的運用により永遠に秘密のままとなり、歴史の真実が闇に葬られるという懸念もあります。

 そして米国の例を元に「公開」を求めますが、米国も公開に関しては紆余曲折し、大統領令で修正を重ねており、単純にすべてを自動公開しているわけではありません。

 また、暗号や国防に関するものは、自動公開の対象外で国防意識の薄い日本人には馴染みが薄いかも知れませんが、暗号解読の技術は継続性に支えられるもので、ある時点の解読レベルが発覚すると、いまの技術が浮き彫りにされるリスクがあるのです。

 例えば現在は10年前と、まったく違うアルゴリズムの暗号を使っていたとします。いまと違うからと10年前の方法を公開するということは、

「いまは別のアプローチ」

 ということを告白するのと同義だからです。

 国力の彼我は脇に置いても、大東亜戦争の敗北は日本の通信が米国に筒抜けであったからです。そもそも開戦に追い込まれたのも、暗号が解読され手の内が晒されていたからです。

 そもそも、米国の情報公開法を例にするなら、前提条件を揃えなければなりません。

 米国には諜報機関がアリ、日本にはありません。戦中の特高のイメージから、諜報機関の設立を口にしただけで非難する声があがりますが、諜報機関は世界の常識です。

 特定秘密保護法を巡る議論で新聞各紙に掲載される、前日の首相の行動を伝える「首相動静」が特定秘密になるか否かという議論がありましたが、特定と限定されるかはともかく、一国のリーダーの行動を晒すことは各国のスパイの仕事を楽にしていることはあまり知られてはいません。

 各国のスパイとは、潜入した先で007のように派手に活動しているわけでもなければ、身分を偽り敵国の機関に忍び込み情報収集しているのでもなく、8〜9割は、その国の新聞やテレビ、雑誌と言ったメディアから情報収集しているといいます。潜入したり、内通者を確保するのはこれらの情報の裏を取るためで、漠然と情報を集める目的のために危険を冒したりはしません。

 それを事細かく教えてくれるのですから、まさしく「スパイ天国」です。

 科学的に証明された理論ではありませんが

「首相と社長がゴルフをした企業の株価は上がる」

 と唱えるアナリストは実在します。見方によっては「アベノミクス」の関連銘柄。口利きをするというより、その企業や業界について政策を打つのではないかという邪推です。冗談のような話しですが。

 もちろん、知る権利は守られなければなりません。しかし、知る権利は何よりも優るものではありません。知ったからと国民が正しい判断を下せるというのも、因果関係を無視した暴論です。この説の過ちは、教科書に書いていることを試験問題としたからと、誰もが100点を取れるものではない事実が証明しています。

 最後に重要な前提条件はこれ。

“情報公開において「国防」を除くは世界の常識”

 なのです。問題点を指摘し、改善していくのは歓迎すべきことですが、感情論だけで否定するのはいただけません。

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