古市憲寿が社会学者であるという読売新聞の見識

物書きの肩書きの大半は「自称」です。ウェブ業界も同じようなもの。自己申告で肩書きだらけの肩書きに溢れているのは、それが理由。また「コンサルタント」も怪しい肩書きのひとつ。これに比肩するのはバブル時代の「空間プロデューサー」ぐらいでしょうか。

だから各紙の取材を受けて肩書きを問われたときに「ITコンサルタント」とされることを永らく断っていました。しかし、実務と研究、取材と検証という「フィールドワーク」のすべてをこなす、わたしに適切な肩書きはこの胡散臭いものしか残っておらず、報道チックな掲載では「ITジャーナリスト」、それ以外は「コンサル」としております。

ただ、わたしは今後「学者」でも名乗ろうかと。ご存知でしたか?

「学者という表記に学位は関係ない」

というのが読売新聞の見解。学者という表記にアカデミックな基準は関係ないとも。

今朝の読売新聞が「新聞週間」の特集企画で、古市憲寿にインタビューをし、期待通りの中身の薄いコメントを寄せます。その肩書きが「社会学者」。その横にあるプロフィールでは大学院博士課程に在籍中とあります。つまりは「学生」です。

これを読売新聞の読者センターに訊ねると、確認してから折り返すと丁寧な対応。一貫して丁寧な対応だったことを先に記しておきます。

しばしのち、応対した方から電話がはいり以下の回答。

「フィールドワークなどもされており、著作を発表されていることなどを総合的に判断して社会学者とした。学生だということで学者でないという見解はしない(要約)」

やり取りの中で「研究などもされていて」とあったので、「ならば研究者では?」と訊ねると絶句。その後、5分近くやりとりが繰り返されるのですが「総合的な判断」としか回答はありません。すごいなぁと思ったのは、フィールドワークなら在野のたばこ屋のオヤジでもできると告げ、学者とはその道の研究で身を立てているものを指し、道半ばの学生には不相応なものではないかと、実例も交えながら指摘すると絶句をくりかえすのですが「それでも・・・」と、当社の見解を繰り返す。以前に記者の知人から聞いたことがありますが、記者という人種は絶対に自分が正しいと信じ、絶対に訂正も謝罪もしないというのはどうやら本当です。もっともわたしの目的は謝罪でも訂正でもなく、読売新聞の見解を知りたかっただけ。

ただし、読者の率直な意見として伝えます。「新聞週間のおいて古市憲寿という人選もどうかと思うが、それを“社会学者”という肩書きで紙面に載せる読売新聞の見識を疑います・・・というか、その程度の記事が掲載されているのだと今後接します。」と。

それが天下の公器を自認する新聞社の見解。そして便所の落書きと揶揄されるインターネットのウィキペディアにある「社会学者」をひくと古市憲寿の名前はありません。わたしが今後、どちらを信じていくべでしょうか。ちなみに古市憲寿は、その読売新聞のインタビューで、新聞の信頼性についてべた褒め。イヤミでしょうか。いいえ、薄っぺらいだけ。

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