移民を受け入れるわけではない、といいながら、外国人労働者受け入れの門戸を全開にしようとしている安倍政権。何かがおかしいとは、日本共産党の池内さおり氏や、社民党の福島瑞穂氏の主張ではなく、やっていることが「チグハグ」だということです。
だから左翼が・・・正しくは、日本型左翼やリベラル、インテリと呼ばれ胸を張るような連中が、地団太を踏むのでしょう。なぜならとても「革新的」だからです。
また、すぐに「切れる」ところの大人げの無さに、保守らしさを探すのは難しい・・・とは、第2次内閣発足当時から、指摘していたので「いまさら」といえばそのままですが。
安倍首相のイデオロギーはともかく、「移民」と「外国人労働者」については真剣な議論が求められます。私のブログがプチ炎上した、曽野綾子コラムの主題も、ここにあるというのが私の理解。
コラムの批判者の多くが触れませんが、曽野綾子氏は移民として受け入れるのではなく、労働力としての来日と離日の制度確立を提言しています。
言葉尻を捉えて批判をやり出したら「言葉狩り」となり、現状でさえ「子供」を「子ども」と書き換えるような「自主規制」がまかり通る異常さは加速します。
自由な言論が、健全な民主主義を担保するなら、タブーの増加が何をもたらすかは、いわずもがな。
そんな中、当該ブログに小説家の津原泰水先生から、丁寧な指摘を頂戴しました。すべてに同意することはなく、指摘への反論をしたやり取りは、ブログのコメント欄に公開しているので、興味ある方はご覧ください。
http://goo.gl/X1EKIQ
津原泰水先生は、荻上チキ氏が、曽野綾子氏への本件に関するインタビューで「黒人は大家族主義なの」が繰り返されており、これが妄言だという指摘します。
確かに黒人の全てが大家族主義ではありません。しかし、それは言葉尻を捉えての批判です。文脈を読めば、大成功を収めた黒人系、ハリウッドセレブではないことは明らかです。
先の曽野綾子氏と荻上チキ氏との対談の「文字起こし」をみると、荻上チキ氏は
「黒人と表記すると誤解される(発言要旨)」
と折伏を迫りますが、曽野綾子氏は
「いちいち、どこどこの黒人とは書けない(もちろん、要旨)」
と寄せ付けません。
荻上チキ氏は「アメリカ黒人もいる」ということですが、それを言いだしたら
「人間社会は不平等なものだ」
と書くことも「人種差別」へと繋がります。どの「人間」を指すのかと。
もちろん、批判も言論の自由の重要な一要素ですから、多いにやるべきですが、コラムの主旨ではなく、その表現の一部を取り上げ、社会問題に祭り上げるのは筋が違います。
いや、そこから新たな「社会問題」が作り出されるとしたら危険すぎます。
小説家 津原泰水先生とのやり取りで、彼は「現代の奴隷制度」として、「外国人技能実習制度」にも触れておりました。この問題は構造的な欠陥がありますが、いささか誇張が目立つ報道や言論も少なくありません。
この「奴隷制度」という言葉、この指摘の前から、ネット上でちょくちょく見かけるようになって気になっていました。
外国人技能実習制度とは、1993年よりはじまり、農漁業などの約70種に途上国からの「実習生」を受け入れる制度で、建前的には技術移転による国際貢献を目的としたものでした。
ところが実際には「安価な労働力」に見られていることが少なくありません。農漁業の協同組合などの団体が受け入れますが、実際の「実習先」はそこに加入する中小企業ですから、好待遇を提供することは困難であることに説明は不要でしょう。
余力の無い企業が、技能の無い人材を受け入れるということは、単純作業や、なり手のない職種に偏ってしまうのは、構造的に当然です。
これを包括的に取り仕切る「公益財団法人 国際研修協力機構」に話を聞くと、改定案が政府で検討されているとのことで、その改定案にも問題がありそうなのですが、今回内容についてはパスしますが、「奴隷」という言葉のチョイスに危機感を覚えます。
海外に発信されれば「奴隷」は「奴隷」です。欧米がイメージする奴隷制度をもったことのない日本人にはピンと来なくても、現在進行形で奴隷制度を根に持つ差別意識が残る、欧米ではいらぬ火種となりかねません。朝日新聞が引き金を引いた「従軍」慰安婦と同じです。
朝日新聞的知識人(擁護派)は、
「右翼やネトウヨは従軍慰安婦をなかったことにしようとしている」
と論をすり替えます。私は右翼はともかく、ネトウヨではありませんが、
「従軍慰安婦という言葉も制度もなかったが、兵隊相手に商売をする慰安婦はあった」
というのが、保守派の一般的見解です。
ところが彼らは「歴史修正主義」という言葉を見つけて以来、論をすり替えて、海外に向けて発信し、その批判を輸入して焚きつけます。タチの悪いターボシステムですが、「現代の奴隷制度」にもこの恐れを見つけるのです。
ネパールから実習生として来日した女性が、働いていたのは沖縄県のマンゴー農園。高地の母国とは、あまりにも環境が異なるなか、台風で飛ばされたビニールを貼り直すために高所作業を強いられ、買い物は月に1回で、買った食べ物は翌月まで持たずに腐り、生活費は2万円ほど。
これは読売新聞2015年2月12日号に掲載された「難民偽装」という企画連載の第2回より要約したものです。
企画は難民制度の問題点を追究するもので、「外国人技能実習制度」の批判ではありませんが、記事としての角度をつけるためでしょうが、対比として悲惨さを誇張しています。
ネパール人女性の話を元に構成されております。しかし、必ずしも正直者だけが被害者になるわけではありません。
そこで先の財団に確認すると、実習生は来日前に勤務内容を知っており、ちゃんと「契約書」が作られている、とはさすがお役所仕事です。これは良い意味。
いわゆる「取引」ですから、ネパールと沖縄の農業における親和性があるかないかは、互いの利益の上に判断することであり、
「ネパールでマンゴー栽培は厳しいですよ」
と日本の機関が、ネパールの当局に進言するのは、ともすれば内政干渉です。途上国であっても先進国でも、中国でもアメリカでも対等に扱うのが外交の原則です。
台風で飛ばされたビニールを修理するのは、ビニールハウスでの栽培なら当然で、一部の破損を即座に手当てしなければ、ハウス全体が倒壊することもありえます。実戦的な、よい修行のチャンスだったはずですが、それを被害と受けとめたのでしょう。もっともネパールに台風は来ないかも知れませんが。
食べ物が腐った話しも、生鮮食品なら当然ですし、缶詰なら不良品です。腐った食べ物しか得られない環境なら、難民問題よりも緊急度の高い人権侵害です。天下の読売新聞なら、そこを糾弾すべきでしょうし「速報性」が求められます。同様の事例があれば、それは外国人実習生の命に関わる話しだからです。そこを掘り下げていないということは、証言の裏をとれなかったか、記事の「角度」のために証言をそのまま掲載したのでしょう。
先の要約では割愛しましたが、時給は650円で家賃など引かれても7万円の手取りがあります。
生活費が2万円になるのは、来日前にネパールの送り出し機関に支払った費用が、当時のレートで約70万円かかり、これを銀行や親戚から借り、その返済に充てるためです。
当時の沖縄県の最低時給といったところですが、
「生活費2万円」
は実習制度の問題ではありません。これを問題とするなら、あご足つき=渡航費用支給=日本国民の税金で負担して実習生を受け入れるということになります。
あるいは沖縄のマンゴー農園が負担するなら、先の時給で単純計算1077時間。1ヶ月120時間労働として9ヶ月分の人件費です。これを負担できる余力があれば、技術と経験を持ったプロを雇うのが経営判断です。
公的な制度が関与していることから、最低時給は支払われることでしょうし、システムの上では納得しており、ネパール人のように借金してまで来日するのは、彼らにとっての経済合理性、すなわち、
「日本に来れば稼げる」
と考えるからです。事実、このネパール人女性は、農園から逃げ出し飛行機に乗り、東京入国管理局に駆け込み難民申請し、いまは北関東の自動車部品工場で働き月10万円ほどを稼ぎ、同胞の4人の女性と3DKのアパートで生活しています。
難民も外国人技能実習制度に問題があるのも事実です。しかし、問題提起のための「誇張」が過ぎており、記事の冒頭はこうあります。
“ネパール人女性(33)はここで約2年半、襲ってくるめまいをこらえながら、黙々とマンゴーを収穫した”
その「めまい」の理由は開示されぬままです。めまいとマンゴーの因果関係はなく、沖縄の猛暑が理由としても、冬になればフリースが必要なぐらいの涼しさはやってきます。あるいは標高差なら、沖縄と北関東に違いはありません。
おかしな数字も目立ちます。2年半(30ヶ月)、毎月5万円を返済していれば150万円です。この時点で完済したとして年利46%です。ネパールの公定歩合は6.5%ぐらいとすれば、相当な暴利を貪る銀行か、親戚ということになります。
農園を逃げ出してすぐに飛行機に乗ったのなら、時期にもよりますがJALの那覇、羽田の直行便は5万円はするので、生活費2万円では不可能です。
さらに、北関東の工場では月額10万円を「稼ぐ」とありますが、マンゴー農園では家賃を除外した「手取り7万円」です。北関東地域の3DKの家賃相場は管理費込みで6万円ちょっとで、4人で割れば1万5千円で、これに光熱費を1人頭5千円とすれば、手取りは8万円。
先の渡航費用の返済が終わっていないとしたら、生活費は3万円です。
より都会に近い方が、生活環境に恵まれるので、2万円と3万円の開き以上の便利さを、ネパール女性は享受しているのかもしれませんが、ならばそもそも「農業研修」ではなく「出稼ぎ」です。
そのとき、より良い労働条件を求めて渡り歩くのは当然。しかし、「難民」も「外国人実習制度」も意味を為さなくなります。
と、記事は方向付けしたいのでしょうが、ネパールからの実習生、現難民女性は、吉田清治が妄想した「人間狩り」の末に連れてこられたものではありません。
借金までして自主的に来日してきたのです。これを「奴隷」と表現することが国益を損ねると危惧しているのです。
欧米における奴隷の認識とは、無給かそれに相当する待遇で、自由が認められず、人権が制限され、虐待されても被害回復する術を持たない人を指します。
この基準に照らせば、労働は過酷でも外国人実習生は奴隷ではありません。
「黒人」という単語に差別を結びつけるなら「奴隷」にも敏感でなければ片手落ちです。と、この「片手落ち」も障害者差別になると批判されたことがありました。
反対に「黒人」についても文脈から判断し、意見を戦わせるのであれば「奴隷」という表現に寛容であってもよいでしょうし、「恋の奴隷」ならば、世界中でいまでも認められるかも知れません。
国際的にと国内で騒ぐ人ほど、恣意的に単語を選別している気がしてなりません。無知に起因するなら致し方ありませんが。
先の曽野綾子・荻上チキ対談で面白い発見がありました。
曽野綾子氏が「安倍政権のアドバイザー」と紹介されたことを「間違い」としたことに、荻上チキが絡みます。
これは「教育再生実行会議委員」という、いわゆる有識者会議に呼ばれたことを持って「アドバイザー」と紹介した海外の記事についてですが、同じ理屈で言えば、この荻上チキ氏も
“消費税率を10%に引き上げた場合の影響について有識者に意見を聞く「点検会合」”
に呼ばれております。彼は「アドバイザー」を自認しているということなのでしょう。すると古市憲寿もそうなります。
経済の専門家でもなければ、生活感にも乏しい人選からも、アドバイザーの正体は明らかで、日本における有識者会議とは、政府の「アリバイ作り」に過ぎません。
それを「おれ、アベッちにバッシっと意見してやったぜ」的な満足を得ているのだとしたら、荻上チキとはなんとも無邪気な人物で、曽野綾子騒動におけるひとつの収穫で、彼の伸び伸びとした主張にも優しい目を向けることができそうです。