ツイッターはブログの代わりになる、むしろツイッターがあればブログは不要ではないかという主張もあります。
筆者は条件付きでこれに賛成します。
条件とは「ネットリテラシーが高く、すでに有名人であること」です。
ネットリテラシーとは、インターネット上からの情報収集能力と集めた情報の分析力と、それを踏まえた上での発進力、加えてコミュニケーション能力を指します。
ヤフーニュースを欠かさず読んでいるということではなく、ある著名人のツイートに対して、著名人の日頃の発言と照らし合わせ、議論の誘導を目指すものであると見抜く能力であり、絡まれても無難に対処し、誹謗中傷はもちろん、自分に都合の悪い意見を「スルー」する厚顔さを身につけているということです。
短文であり、拡散力という瞬発力を持つツイッターは失言と誤解を生む豊饒な海です。
ネットリテラシーの低いものが、ツイッターをブログの代わりとするのは、ビーチ板がなければ泳げない人が、ドーバー海峡の横断を目指すぐらいの無謀な挑戦です。
「てにをは」ひとつで、印象ががらりと変わる短文のほうが遥に難しいのです。
また、執拗に絡まれても無視する能力がなければ、無駄な時間を費やすかノイローゼに追い込まれることでしょう。
都合の悪い事実を執拗に指摘されたときに襲う良心の呵責に、耐えられず政治家を廃業するかもしれません。
そして既に有名人であることはなによりも重要です。
短文での理解をすでに世間に与えている「キャラクター」が補足してくれるからです。例えば橋下徹氏は政治家になる前から「茶髪弁護士」としてテレビに登場し、失言による番組降板など、彼の舌禍事件に国民は慣れていました。
かつてテレビ番組で作家の阿川佐和子氏に対して「阿川さん、今の僕なら絶対一発で命中させることができますよ!」と発言をしていた男です。一発とは性交であり、命中とは懐妊を指し、セクハラどころか女性蔑視発言と糾弾されても不思議ではありません。
こうした人となりという背景が、橋下氏のツイッター利用を助けているのであって、無名の市長や、知事が同じ発言を突然始めれば、猛烈なバッシングに晒されることでしょう。
つまり、この2点を満たさないのであれば、ブログをやらずに、ツイッターだけに絞り込むのは得策とはいえません。
(後略)
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