SNSは世界を不安定にしている #ネット選挙

予想通り盛り上がりに欠けるネット選挙を横目に、とても残念なニュースがはいってきました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、現場で指揮を執っていた吉田昌郎元所長が亡くなりました。

菅直人の癇癪に怯えた東電本店の指示により指示された、海水注入の中断を、吉田元所長が無視して継続しなければどうなっていたか。

改めて菅直人や、言い訳本を上梓した福山哲郎なども含め、民主党政権への憎悪を強めます。水に落ちた犬は叩かないとは、たしか韓国の諺でしたが、存在の許せぬ奴らは、私にしては珍しく怒りが持続する対象です。

なにはともあれ、ご冥福をお祈りします。

さて、ネット選挙が盛り上がらない、いや一部では盛り上がっているようです。その最右翼が

「動画配信」

です。ニコ動を筆頭に、政治家がテレビに出てはしゃいでいます。まるで『夕焼けニャンニャン』の腕相撲のコーナーに出演した高校生のようです。ユーストリームを使って、演説風景を生配信する候補者も登場しました。

さて、それではなぜ盛り上がらないか。という問いかけが人間の本質というもの置き去りにしています。逆質問です。

「ゴールデンタイムに教育テレビ(現Eテレ)を見ますか?」

放送大学でも結構です。端的に言って「つまらない放送」を誰が見るかっちゅうのという話しです。

政治家からすれば、動く自分をひけらかすことにエクスタシーを感じることでしょう。音声までついています。しかし、まともなサラリーマン、社会人なら、日中は仕事をしています。わたしのような気ままな自営業でも、猛暑を避けて早朝シフトしている現在は早朝4時には仕事を開始しており、夜の7時8時には軽く眠気が襲ってきています。

さて、猛暑を乗り越え、ようやく「自分の時間」がやってきました。どうして、政治家のつまらない話しを聞かなければならないのでしょうか。たいていの政治家の話は垂れ流しが多く、起承転結もありません。さらに街頭演説は、集まった聴衆に向けるもので、リビングでテレビから聞く仕様になっていません。アジテーターは不快指数を上昇させるだけです。

政治家がよかれと思って流す生映像は電気の無駄遣いです。特に脱原発を掲げる政党や候補者の「電気の無駄遣い」は見ていて醜悪です。

根本的にネットの使い方を間違えているのが、

「マス=不特定多数の大衆」

に向けて映像配信を行っているところです。

わたしが選挙対策のメディア担当ならこんな番組を作ります。

「地元の有名人、人気店のマスターとの対談番組」

あるいは

「地元の商店街や企業をめぐる、ぷち旅番組」

狙いは「票」です。足立区から出馬した候補者に、沖縄県読谷村の住民の支持者がいても当選に直接つながりません。

だから徹底的に地元をフィーチャーして、地元民にネット番組を見て貰う工夫をしかけ、その一例が対談であり旅番組です。

この方法は衆院選の小選挙区や、市区町村レベルの地方議会議員選挙において有効となるでしょう。

と、本日のお題は選挙にも絡みますが、これ。

「SNSは世界を不安定にしている」

アラブの春と礼賛された、アラブの初夏の失敗。エジプトの政変です。デモが拡大し、鎮圧に軍が動き、選挙で選ばれたモルシ大統領が追われ拘束され、暫定的に軍政に戻りました。そしてモルシ大統領を支持する派のデモに対し軍は発砲し、緊迫の度合いを強めています。

我らが安倍首相はいいました。

「フェイスブックは昨年アラブを変えましたが今年は日本を変えることでしょう」

だったら大変です。日本もあぁなるというのでしょうか。結論を述べます。なりません。そしてアベっちも言葉が走る傾向があり、フェイスブックを過剰評価をしています。取り巻きが悪いのでしょう。なぜなら、アラブの春はフェイスブックが起こしたのではないからです。

一番をあげるなら「アルジャジーラ」です。衛星放送により、世界の出来事を知った国民が立ち上がったのです。そして特にエジプトに顕著であるのが2番目の理由で「パン」です。

オックスフォード大学の地理学者スタンバーグ氏は「アラブの春」の直前に中国を襲った百年に一度の干魃が要因と結論づけています。小麦価格の高騰により、パンを買えなくなった庶民が、腹減ったと政権打倒に動き出したというもので、今回のデモが激化したのもこれだと指摘するのは、中東情勢に明るい高橋和夫教授です。

冷静に考えれば分かること。フェイスブックがあったからと、体勢打破を考える暇人はいません。腹が減って飢えたから動き出す。なんともシンプルで説得力があります。

エジプトでは大衆向けの「補助金付きパン」というものがあり、庶民の生活を支えているのです。さて、この国でスマホを前提とするフェイスブックを利用できる国民がどれだけいるでしょうか。ネットカフェからの接続はあるでしょうが、それではデモの機動性に活かすのは困難です。

報道ベースになりますが、今回のデモで大活躍したとされるのはショートメールで、auならば「Cメール」です。これなら低機能携帯端末でも利用できます。なんでもかんでもフェイスブックを礼賛していた連中(阿呆と読んでください)は、日本と同じように恵まれた通信インフラと端末供給体制を前提に語りますが、世界で日本ほど恵まれた国はそうはないのです。

さて、デモは世界中に「連鎖」しています。イタリア、フランス、香港、ブラジルなどなど。比較論として、これら豊かな国々ではフェイスブックは活躍していることでしょう。しかし、フェイスブックがあったからではなく、特にフランスなどは「デモ大国」で、ケータイのなかった時代からの伝統芸です。

SNSが個人を不安定にしているのは確かなことです。ウツの増加、ネットイジメ、そして○○疲れ。○○にはミクシィ、ツイッター、フェイスブック、最新はLINE。

ヒットしたSNSには○○疲れが発生することが、世界を不安定にしている証拠と言えるでしょう。それを上回る利便性があると主張する人もいるでしょうが、経済損失の面から見ると、決してそうとは言い切れないのがSNSです。

LINEやパズドラで消耗する神経と、その浪費した時間に自己研鑽できた可能性・・・と、本日のお題とずれるので割愛しますが、SNSにより相当な時間の無駄遣いが発生しています。

話を戻します。アラブの春をフェイスブックの手柄とするなら、世界中で起きているデモもフェイスブックの責任となります。だから、アラブの春でフェイスブックを礼賛した連中は

「SNSは世界を不安定にしている」

と告白しなければ「狡い」のです。もちろん、実際はツールに過ぎず、フェイスブックにそこまでの力はありません。第一、日本でデモは起きていません。

これまた津田大介氏あたりが繰り返していたタワゴトですが、首相官邸周辺で行われた脱原発集会がフェイスブックやツイッターといったSNSを通じて拡がりを見せたという主張。国内屈指の交通至便な永田町というファクターを誰も語りません。

それが証拠に、同運動で呼びかけた関西電力前や大飯原発前に集まった活動家・・・市民はそれほど多くありません。会社帰りにぶらりと立ち寄れ、社会参加したような気分を手軽に味わえるというライトさから集まっただけで、ワールドカップの出場が決まって渋谷の街角で騒ぐバカどもと同じで、真剣にサッカーを応援している人間がどれだけいるのか、もとい、原発について考えているものが果たしていたのでしょうか。

そもそも日本人にデモは馴染まないのです。

脱原発デモの時も、さらには旧自民党政権時代、記憶に新しい所では「消えた年金問題」や、安倍→福田→麻生政権をたらい回しと批判した「小金稼ぎのバカコメンテーター(アンチ自民党芸人)」どもはいいました。

「日本の若者ももっとデモをしたら良い」

・・・亡国です。

何故、日本人はデモをしないのか、馴染まないのか。
結論にはいる前に、秀逸なサンプルを発見したので紹介します。元フジテレビアナウンサー中村江利子さんによる朝日デジタルへの寄稿です。

少々長目ですが、雰囲気を知るために引用します。


あまりにも頻繁にデモやストがあるので彼や友人たちに訴えると……「フランスは革命をおこした国だから!!」と言われます。

う~ん、分かったような分からないような……。

つまりは国民が“自分たちの権利”を常に主張しているということです。

日本のようにデモもストも、お行儀よく行われることはありません。これでもか!!というお行儀の悪さです。

“スト”は一番、人の迷惑になるときに行われます。

例えばノエル(クリスマス)で家族と一緒に過ごすために帰省をする人たちのラッシュのときや、ヴァカンススタートのときなどに公共交通機関がストをします。

混乱を起こすことで、自分たちの主張を通そうとしてるようです。

朝日デジタル『フランスは“デモ”と“ストライキ”の国』
http://www.asahi.com/and_M/living/TKY201306170159.html

フランス革命の正体から言って、鼻で笑ってしまう主張ですが、フランス人の歴史観に口を挟むと隣国と同レベルに成り下がるので、やめておきますが、ポイントは2点。

・国民が“自分たちの権利”を常に主張している
・“スト”は一番、人の迷惑になるときに行われます

つまりは自分が一番大切ということです。そして裏返すとこうなります。

「他人を信用していない」

デモが頻発する国の特徴です。

戦後日本で学生運動を中心にデモが頻発した時代も同じで、戦前までの価値観が崩壊させられ、大人を信用できない(ま、いつの時代もですが)青臭い小僧どもの不信の極みが社会にぶつけられたのです。

自分の権利をいの一番に主張するのは、主張しなければ叶えられないと考えているからで、つまりは社会や他人を信用していないのです。

それでは我が国はとみれば、他人を信用するところに立脚して社会ができあがっています。難しいことではありません。大工に家を発注して、監視を怠ったからと屋根のない家が建つことは希です。多分ないでしょう。手抜き工事や耐震偽装は、程度問題はともかく、滅多にないことだから大事件に発展したのです。

誰も見ていないからとドブからすくい上げた油を料理に使うことはないと誰もが信じています。自動販売機はもちろん、「無人の野菜販売所」など最たる物です。

日本人社会は他人への信頼をもとにしているのです。

だからデモをしてまで、自分の主張を押し通すことはしません。信頼できない政治家なら落選させれば良いだけのことです。また、人を信頼しているから、デモも日曜日や夕方と、他人の迷惑がもっとも少ない時間や場所を選びます。

信頼は思いやりと同居しています。他人への迷惑も手段のひとつと考えないのはそのためです。さらに職業モラルの高さも図抜けています。先の大工のように、任された以上、請け負った以上は、仕事をするのが当然。と考えるのは日本の常識、世界の非常識です。だから世界では契約で縛り、監視を怠らず、騙される方が悪いと考えます。国により程度の差はありますが、日本のように無条件に他人を信頼し、また期待に応えようとする他人の割合の多さは突出しているのです。

そして結論。

「日本はデモを起こす必要がない程度には良い国」

だということです。左翼系やネトウヨ系がデモを多発するのはこの反対。

フェイスブックがいまより普及するようなことが起きたとしても、日本にデモは起きません。いや、デモが頻発するような社会になるかもしれませんが、それが何を意味するかはすでに述べた通りです。

最後に安倍首相の錯誤を糾します。

「フェイスブックが日本を変えます」

違います。変えるのはあなたの仕事です。あ、参議院選挙の最中でメール(※メルマガ版での記述)での選挙活動は禁止されていますので、念のため以下もお読みください。

これは言論活動です。投票の呼びかけではありません。
ついでに。

投票所へ行こう!

まではOKです。一般論ですので。

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